てんやわんやの引越し騒ぎの末、1992年12月、真夏のブラジルをあとに真冬の日本へ帰ってきた。その上今回は二人の娘たちの受験というおまけ付きだ。あっという間に2ヶ月が過ぎ去った。
ブラジルへ行く前に出した放送大学への休学期間が切れてしまう寸前に復学願いを出した。認定心理士の資格をとるまであともう一歩。資格をとったら老人心理関係の仕事がしたいと、強く心に決めていた。
ブラジルにいた頃読んでいた朝日新聞で、私の地元市川市国府台の国立精神・神経センター精神保健研究所の、老化研究室長で地方性老人のデイケアを実施している斎藤和子先生の記事に出会った。幸いにも1990年日本へ一時帰国した際に、私はこの研究所を訪れ斎藤先生にお会いすることができた。それ以来何度かコンタクトを持たせていただいていた先生に、私はいつか先生と一緒に市川で何か老人福祉プログラムがしてみたいとひそかに願っていた。帰国後さっそく連絡をとり、先生の地方性老人デイケア研究や老人調査のお手伝いをさせてもらえることになった。
そしてどうしても会いたい仲間達がいた。それは5年前に「がんばっておいで!」と励ましてくれた、女性運動の仲間だった。私がブラジルでなんとかめげずにがんばり通せたのも彼女らの支えがあってこそだと思う。ちょうど市川女性問題懇話会の10周年パーティが行われた。懐かしい顔ぶれに久しぶりに会い、女性問題だけでなく、福祉分野・教育分野・在留外国人援助の分野の人々からも声をかけていただいた。
会場を埋めていた大勢の女性たちのエネルギーを体に感じ、私はまたこの地域で何かできるのではないかと予感した。