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- H氏は一世だが、1歳のときに渡伯したのでブラジル生まれと変わりはない。片親を早く亡くし、兄と一緒に住んでいたが意見が合わず、若い頃家を飛び出したという。同棲経験は二回あるが、子供はいない。ずっと農場の管理人をやっていた。三年前に、心臓病で入院、一時よくなり退院するが、再びぶり返す。仕事ができる状態ではなかったので、ずっと援協の生活扶助を受けている。時々アルバイトをしているらしい。身分証明書を紛失しているので、正式な職につけない。現在、この証明書の申請を福祉士が行なっている(手続きは有料)。ふだん決まった仕事はないので、今回のZ氏の付添いに名前が上がってきた。
H氏は快く引き受けてくれたが、最初は不安なので、私が何度か同伴することになった。Z氏がトレーニング中、私はH氏とペンソンでの生活について話し合った。
「うーん、あそこの連中は何ていうか、世の中から見捨てられたような人ばっかりでね。仕事もしないでぶらぶらしたり、だらしないね。だから、人からも信用されていない。同じ部屋の連中だって、名前も知らないし話もしないよ。こっちが話かけたって、いやそうな迷惑そうな顔するからね。声かけるのもやめてしまう。おはようとおやすみくらいしか言わんもの。一人仕事に行ってるらしい若いのがおるけど、朝出て行って夕方帰って来たって、シャワーも浴びずに、メシ食って寝てしまう。仕事してきたら、シャワーはしなきゃね。みな服も汚ないし、部屋が何だかカビくさい気がするよ。ここじゃ、アミーゴ(友だち)と呼べるような人はいないよ。家族の雰囲気ってもんはないね」
このH氏は、その後、援協のもつ農場付の施設で、社会復帰の訓練のために住みこみで働くことになった。
Z氏もしばらくH氏の付添いで歩行訓練を受け、スタッフがやっと探しあてたサントスの盲人の施設に入居した。そこでは点字指導と、日中の作業指導もあるということだ。彼の生きる意欲がよみがえるとよいと思う。
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