この頃、仕事場の福祉部も福祉士だった若い女性部長が退職し、ベテラン心理士の船辺静子さんが新部長に就任した。新しいスタッフも加わり、忙しく落ち着かない毎日をすごしていた。
私は新部長の心理士、静子さんとであったことで心理相談について多くを学ぶことができた。ボランティアとして独居老人の家庭訪問を担当していた私はほとんどそれを一人で行っていたため、誰に相談し指示を受けたらよいかと迷うことも多かった。
年配の心理士であった静子さんは強いリーダーシップを持つ人だった。
「私達の仕事は人を扱う専門職です。たとえボランティアであっても、趣味なんかじゃできません。あなたも福祉士として大きな責任があるのです」
こうして新しいメンバーで始まった福祉部は、各々が分担をしながらチームプレイでクライエントの対応にあたるようになった。私もスタッフの一人として動くようになっていた。
サンパウロ日伯援護協会の福祉部には、毎日さまざまなクライエントが相談にやってくる、日系社会の福祉事務所のようなところである。相談内容としては、生活扶助・医療扶助・精神障害・老人問題・家庭問題・年金取得・転就職・結婚相談と幅広い。年間3000件近くの相談がある。その中でもっとも多いのが精神障害で、全体の3割、ついで老人問題が2割。しかし精神障害の中には老人性痴呆なども含まれているので、老人問題の実数は相当な数に上る。
行き倒れのアル中患者、道路や地下鉄内を行ったり来たりして生活している浮浪者、一人暮らしができなくなった老人、家族と折り合いの悪い老人、老人ホーム入居希望者、結核患者、精神分裂病の患者などの件でブラジルの病院や警察、領事館、家族から連絡が入ってくる。大方のケースが即日処遇は決められない。そこで近所のペンソンと契約し、一時的にそこへ宿泊させた上で時間をかけて面接やケーススタディを行い、その人の自立を援助する方法を考えて行くというわけだ。
このペンソンは福祉に理解ある老夫人が経営していて20ほどの小部屋のあるコロニア風の一軒家だ。しかし建物は古く、ポロンと呼ばれる地下室などには窓もなく、ひどい湿気を帯びていた。そこには自然と解決が非常に困難な人々が居座るようになっていた。今までの福祉部では手におえない人々が、ますます増えていった。
1989年に入り、新部長の静子さんはこれらの人々の解決に着手する決心をした。経費の節減とクライエントにとって長期にわたる保護が自立援助および社会復帰の妨げとなるという判断だった。
私達スタッフは20名ほどの長期滞在者の解決を急ぐとともに、新規のクライエントはなるべく早く処遇を決定し放置しないよう心がけることにした。
そして5人のスタッフは施設の開拓・家族との連絡・各種証明書および年金需給・心理カウンセリングの担当にわかれて一人ひとりの対応にチームであたることにした。
サンパウロ日伯援護協会の福祉部スタッフ