1988年11月、私がブラジルに来てちょうど1年が過ぎた頃、サンパウロの市長選挙が行われた。他国の市長選挙などあまり関心のなかった私は、毎日のように新聞を賑わしている候補者の支持率予想になんとなく目を通していた程度だった。
ところが投票日2週間前、それまで支持率が10%〜15%にすぎなかった労働党の女性がぐんぐんおいあげてきた。私は急に選挙の行方が気になるようになってきた。
私は訪問先の暗い縁との一人から彼女の経歴について聞かされた。ルイザ・エルンジーナ候補は、貧しい北部の地域出身で、苦学して福祉大学を出た後福祉士として長い間スラム問題で闘って来た経歴を持つという。クライエントは私に
「エルンジーナはあなたと同じ福祉士ですよ」
と教えてくれた。
その頃、サンパウロの年間インフレ率は1000%。物価は10倍以上になり、国民の生活は苦しくなるばかり。ストは頻発し治安も悪化、政治家の汚職は増え貧富の差はますますひどくなる。貧しい北部地域から職を求めて多くの人々がサンパウロにやってくるがすむところも満足になく、公害の丘の上を不法に占拠し勝手にバラックを建てて住んでいる。そんななかでの市長選挙で彼女は
「貧しい人々のための政治、スラム問題解決を第一に!」
と訴え、大方の予想を裏切り当選してしまった。今までの腐敗した政治に対して不満をもっていた市民が最後の望みを左派政党にかけたということだろうか。
サンパウロの目抜き通りでは花火が打ち上げられ、エルンジーナ市長の誕生祝う市民たちで埋め尽くされた。私もなぜかとてもうれしかった。自分の仕事の世界で出会った多くの貧しい人々を理解できる福祉関係者で、しかも女性の市長の誕生に、少し希望をもてたように思った。