その日はある老人を訪ねて、ペンソンへ行くと、入口に二人の日本人が立っていた。彼は今しがた出かけたというので、しばらく話しながら待つことにした。
「一人暮らしなら、もう一人82歳のじいさんがいるよ」
と二人が教えてくれる。
「そのじいさんも今、出かけたけど、もうすぐ帰ってくるよ。その辺のバールにでも出かけたんだろ。あのじいさんは子供もアジューダ(援助)しねえしよ。もう82歳だろ。ボケちゃってんのよ。しょっ中、飲んだくれてるよ」
そんな話から、私は以前、援協の事務所に顔を出したおじいさんを思い浮かべた。あの人だとすると、確かにボケが始まっていると福祉士が言っていた。もう何年も、援協が世話をしているが、援助費はみなピンガ(さとうきびから作る強い酒)に消えてしまうということだ。あの時は、弁当を現物支給していた。
 立ち話の途中で、ヨタヨタと通りを上ってきた一人の老人が目に入った。
「あ、帰ってきた。Mさんよ!援協の人だってよ」
と紹介された。そして、Mさんに連れられて彼の部屋に行く。このペンソンは二階建ての長屋のようになっていて、一階はポロンと呼ばれる半地下の部屋だ。Mさんは自分の部屋の鍵を開けた。私は息をのんだ。それはもう、人の住む所ではなかった。まさに穴ぐらだった。昨夜の大雨のせいか、ポロンの中は湿気がひどい。カビと汚れた衣服の異様な臭いが鼻をつく。
「ここですわ」
「おじゃまします」
と言っても、入るのに少しためらう。とりあえず、一番清潔そうな椅子を選んでこしかける。ひびの入った壁にはカビが黒々とつき、ひどい湿気のためだろう、あちこちにしみができている。天井からは裸電球が一つぶら下がっている。老人はパチンとその電球をつける。小窓はガス台のそばに一つきりなので、中は電気なしではいられない。ベッドは、Oさんとは違って、ボケの始まった男所帯だから、薄汚れたシーツに毛布。椅子にはねずみ色に汚れたタオルが一枚掛けてある。あちこちに脱ぎ捨てた垢だらけの服。ベッドの横にはピンガのびんやらが並ぶ。私の椅子の後ろにはテーブルがあり、5キロ入りの米袋に半分ぐらい米が残っている。びんの中には何やらカビのはえたようなものが入っている。老人は酒臭い息を吐きながら話し始めた。
「息子に連絡しとるんだが、ここへはまったく来ないんだよ」
「老年金はもらっていますか」
「ええ。しかし、家賃もたまっているから」
「病気はしませんか」
「足は痛むな。酒飲むとよくないから、酒はやめとる」
と言うくせに息がひどく酒くさい。
横からさっき立ち話をしていた一人が口を挟む。
「何たって82歳だろ。よたよたしてんで、危なっかしくってしょうがないよ。ピンガを飲みにそこいらのバールに行くんだけどよ、車にひかれやしないか心配なんだよ。おれにしたら、父っつぁんみたいな歳だろ。おれは戦争へ行ったから、日本から恩給もらってるからよ、金には困ってねえんだ。だからよ、時々、魚とかタバコとか買ってやったり、酒飲みに連れていったりしてるのよ」
「Mさんは自炊してるんですか」
と尋ねると、また、このおじさんが即座に答える。
「自炊たって、おれたちは米は米、魚は魚って具合に分けて料理すんだろ。ところが、この父っつぁんはみーんな一緒に煮ちまうんだ。それも鍋に入れたまんま、三日も四日も食ってるからよ。腹こわすんだよな。しょっ中、下痢してるんだ。その上、少しボケちゃってるからたれ流しよ。このペンソンに来て二年になるんだけど、かわいそうで見てられなくてよ。どうしてるか時々のぞいてやるんだ。だけど、根が丈夫なんだね、しばらくすると治ってんのよ。でも、この間なんか、鍋をガスにかけっぱなしでよ。火が入っちゃって。近所のやつが窓から水ぶっかけて消したんだ。危なっかしくて」
 台所のたった一つの小窓は、新しい木枠がはめこんである。焼けて新しくしたのだろう。そこへ、また違う人がやってくる。
「これ水稲米だから」
と米を二、三合袋に入れて差し入れにきたらしい。こうやってペンソン仲間が面倒見てるのかなと思う。
 私はM氏の住いと生活の惨状を目の当たりにして、前の訪問以上にショックを感じながらも、近隣の人々のほのぼのとした手助けに、少し救われた思いで長屋をあとにした。


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