私が初めて訪問したアパートは、事務所から五、六分の所にあり、おまけにその家は電 話があったので前もって連絡してから行った。入口で4号室というインターホンを押すが
返事がない。ブラジルは治安が悪いので、ほとんどのアパートは、入口でインターホンを 通じて相手を確認し、ドアを自動で開ける(日本でいうオートロックシステムに近い方式)
か、門番が常駐していて、居住者の承認を得てから門を開閉するというシステムになって いる。このアパートはどうなっているのかとしばらく門の前に立っていると、目の前にス
ルスルとひもが降りて来る。ひもの先には小さな袋がついていて、四階の窓から品のよい おばあさんが顔をのぞかせた。
「袋の中の鍵で開けて入ってください」
と言う。私はなかなかおもしろいアイデアだと思いながらドアを開けて中に入った。暗い アパートの中で4号室を探す。そのおばあさんが迎えてくれた。Aさんだった。Aさんは
このアパートのTさんのところでお手伝いをしているという。小ざっぱりとした居間に案 内された。私は訪問の経緯を述べ、こういうアパートなら問題はなさそうだと思っていた。
「ここでお二人で住んでいらっしゃるのですか」
と尋ねると、口数の少ないAさんに代わってTさんが応えた。
「ここは私のアパートなんです。私もマリード(夫)なくしてから、一人暮らしなんです が、息子も三人おって、アジューダ(援助)してくれているので心配ないんですが、この
人は夫も一人息子もなくして一人やから、ここへ毎日来て、手伝ってくれているんですわ」
それからAさんに向かって言う。
「あんたんとこのシトゥアソン(状態)見てもろた方がいいのと違うか。言うたら悪いけどスラムみたいなとこに住んで…。そういうとこ、よう見てもろて、話聞いてもろた方が
いいのとちがうか」
 ポルトガル語混じりに話すTさんのすすめもあって、私はAさんに連れられてその住いに案内してもらった。トーマス・デ・リマ通りのペンソン(下宿屋)に着く。
 ぶ厚い木戸の、すりへった鍵穴に古めかしい錠をさしこみ開けると、うなぎの寝床のような細長いレンガ作りの建物が目の前に迫ってくる。それは二〇ほどの小部屋に分かれて
いるだろうか。どの部屋も窓ガラスは破れ、段ボールなどでふさいである。壁のレンガはいまにもくずれそう。トタン張りの屋根の上は物干しになっていて、どこから上って干し たのか、ロープにいくつかの洗濯物が干してある。トイレは共同のようだ。
「ここです」
と言って彼女は部屋の木戸の鍵を開けた。日本でいう四畳半位の広さだろうか。所狭しと物がおかれている。窓は上の方が一枚破れ、紙袋に新聞を入れて大きくふくらましたもの
をつめている。私は、床におかれた大きなマットで靴底を拭き、中へ入った。どうぞとすすめられて、イスに腰かけた。家具らしきものは年代物の整理ダンスが一つ。その上に段
ボールが横にしておいてあり、神棚代わりなのか、明治神宮のお札の前に、両親や夫とおぼしき古い写真が飾られている。冷蔵庫はかなり旧式なものが一台。入口近くには小さな
プロパンのガス台が一つ。ピカピカに磨かれた鍋がかけてある。ベッドの脇には編みかけの毛糸が置かれていた。
 Aさんは、小さな机の上におかれたポットからハブ茶を入れ、ビスケットにバターをぬってすすめてくれた。そして、
「長く住んだトゥッパンの街で、夫を亡くし、息子も事故で亡くしたため、家を売り払い、
サンパウロのTさんを頼って出てきました」と話し始めた。
「息子はサンパウロで自動車事故に遭い、私が駆けつけた時は、病院で鼻から管を通して寝ていました。息子は『ハンドルで腹を強く打っただけだから異常はない。ママイ(母さ
ん)心配しないで』と言うんです。医者も大丈夫だと言ったんです。その夜、息子が『寒い寒い』と言うので、カサッコ(セーター)着せたり、メイア(靴下)はかせたのに、ち
ょっと私が目を離したすきにそれが脱がされて盗られているんです。病院の中ですよ!
 次の日、医者が来て、急にオペラ(手術)するって言うんです。私は何度もおかしいって言ったのに。大したことないと言っておきながら、やっぱりオペラなんて…。もっと早
く手を打っておけば、息子は助かったに違いないと今でも思っています。
 息子の四十九日の後、宮城県人会で日本に連れていってもらいました。50年ぶりの日本でした。ずいぶんと変わっていました。その後、サンパウロに住み始め、ここでは、老
年金をもらっていますが、下宿代にほとんど消えてしまいます。あとはTさんの家で手伝ったり、編物の収入で何とかやっています。でも、自分が病気したら困ると思うんです。
それだけが心配です」
と、その日暮らしの不安を話してくれた。ちなみに、当時ブラジルの最低賃金は、50〜60ドル。老年金はその半分だった。


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