彼の住むペンソンは三人部屋で、六畳ほどの部屋に三つのベッドが置いてある。S氏のベッドの頭の方は、神棚のようになっていて、少しの果物などがお供えしてある。S氏はベッドの上にあぐらをかいて、しかし背筋をシャンとのばして話をする。76歳には見えない。
「いつブラジルへ来ましたか」
と尋ねると、「S家の先祖の霊」と書かれた、真新しい位牌のほうな木のふだを見せてくれ、裏を指して、
「ここに、一九三五年○月○日サントス入港、S、24歳、独身、とあるでしょ」
という。
「契約移民として、入植予定の家族の使用人として手続きをすれば、独身者も来られるということでね。サントスに着いたら、その先は自由になるという約束で来たんですよ。
 パスポートは一九四〇年にバストス市で外人登録した時はあったんだが、戦後『勝組・負組の事件』(注)があった時に取り上げられてしまった。日本が無条件降伏したことを認めないと、みんなカデイア(牢屋)にほうりこまれましたよ。
 ブラジルへ来る途中、船で親しくなった人が再渡航の人でね。平野移民地に来たらいいと言うんで、まず、そこへ入りました。十一月から六月のカフェの採取が終わるまでおったんです。私ら、お日さんの明かりでカフェした(朝食を取る)ことはなかったね。朝はまだ暗いうちからよう働きましたよ。六月のカフェの収穫の後、一年間の給料をもらうんだが、八〇〇ミルしかくれんかった。若かったし、力もあって、人の二倍も三倍も働くのに惜しいといって、隣りの農場の人が自分のとこで働いてみんかちゅうて、そこへ行きました。
 戦後に、サンパウロへ出て来たんですわ。イタペシリッカの手前の町で、マルセナリア(家具職人)をしていました。えーと…」
と言って、ベッドの上の棚から当時の名刺をとり出した。ポルトガル語のものだ。
「このペンソンへはいつ?」
「二年ほど前、ここのペンソン代は子供たちが助けてくれているし、私はマッサージの仕事をしているから」
「マッサージはいつ覚えました」
「ここへ来る前、柔道の先生に習いました。マッサージをする前に、二〇分間お祈りをしてからやる。このお祈りがいやな人には断るね」
と言って、かれの信仰する宗教の祈とう本を出してみせる。宗教の話になると、一段と熱がこもる。棚の上には信仰の本がズラリと並ぶ。
「代金の代わりに本を買ってもらうこともあるんです。いくらでもいいっていうんです。神さまへの気持ちだから」
 それから、古い紙バサミの中から、信者用のパンフレットや雑誌、奉仕の時の写真などを出して私に見せてくれる。
「あ、これが私のエスポーザ(妻)。あれもやっと信者になったんだが、二世で日本語が上手くないから、どうしてもブラジル人の会の方に出る。ほれ、見なさい。講師がぜんぜん違うでしょ。やっぱり真髄は日本語でないと理解できないと思うね」
 ブラジルには仏教各宗派、創価学会、真光教、生長の家、新旧キリスト教、実にさまざまな宗教が入っていて、かなり活発な活動をしている。日本の宗教団体は日伯両語で布教しているため、ブラジル人の信者も多くかかえている。
「四八年ほど前に信者になった。リンス市の昭和植民地のBさんの家に信者のための雑誌があって、読んだんだな。戦後、住んだ町のYさんも熱心な信者で、影響を受けたね。一時、信仰も薄れた。でも、十年前に胃ガンの手術をしてね。家族は私に黙っとったけど、そんなもんすぐわかるさ。一時、精神不安定になって、服薬したが死にきれんかった。それで、ふっ切れたかな。まあ、信仰によって救われましたよ」
「ご家族とはどうして別居しましたか」
「子供が四人、孫もおるけど、この孫が、『ボボ(じいちゃん)がいるとおもしろくない』言うんです。みんながボルトゲース(ポルトガル語)でおもしろおかしくワーワーと笑っとるのに、わしだけが笑わんでしょ。そうしたら、『おもしろくないじいちゃんの顔見とると、自分までおもしろくなくなる』って言うんですよ。エスポーザもポルトゲースの方がいいわけだし。それで、わしが家を出たんですわ」
と淋し気に語る。
「老年金はもらってますか」
「あんなもん、わざわざ頭を下げてもらうほどのもんじゃない!ま、簡単に取れるなら、タバコ代くらいになるのかね」
「一緒に手続きしてみましょう」
と私は言ってその日は引き上げた。
 福祉部へ帰って、スタッフの福祉士と相談。やはり老年金取得の手続きを援助した方がよいだろうということになる。まず社会保険局の老年金取得説明に連れて行き、S氏のケースについて相談。必要書類は、家族に連絡の上、書き込むよう依頼。後日、娘婿が書類を持って福祉部に届けてくれたので、社会保険局に提出させた。ところが、印がないと返されてしまう。S氏は、ブラジル人の娘婿に対する偏見から、
「どうせ、いいかげんな書類を揃えてきたに違いない」
と言う。私たちは、家族に連絡をとり、説明し、再度提出した。その後、三ヵ月ほども待たされただろうか。
「おかげさまで年金がもらえるようになりました」と、うれしそうに私たちの所へ報告に来てくれた。言葉のちょっとした行き違いで、人間不信に陥ったり、理解しあえないと思いこんだりということはよく起こる。S氏の場合は、第三者としてのスタッフが仲介することで、うまくいった例だろう。その後も、S氏は家族と連絡を取りながら援助を受けた。
 老年金はほんとうにタバコ代程度のものなのだが、それでも当然の権利としてブラジル政府から受け取れるお金で、お年寄にとっては心の支えになる。ある人はこう話してくれた。
「『こんな少しの年金のために、あれこれ煩雑な手続きは面倒だから、そのくらいならぼくが小遣いあげますよ』と息子に言われたのだが、そんなことをされるのは、フェイラ(青空市場)で、物乞いするようなもんだ」と。
(注)勝組・負組の事件
 太平洋戦争の日本敗戦をめぐって、ブラジル在住日本人移民間で、それを信じない者たち(勝組と呼ばれる)が敗戦を認める者たち(負組)を攻撃し、流血騒ぎとなった。


ご意見、ご感想をぜひおきかせください。
Email:takayo-i@msh.biglobe.ne.jp

Homeに戻る