私が自分を女として意識するのは、いつも、男としての夫との比較においてだった。大学生活を共にした夫は、一緒に成長してきた仲間でもあり、一種ライバルでもあった。結婚後、家庭に入るという選択をしながらも、企業人としての夫との距離が日増しに遠くなることに不安を感じるようになっていった。なぜ夫ばかりが社会や会社の中で成長し、私にはなんのチャンスもなく、閉鎖的な子育て生活に埋もれなければならないのか。しかし「何かしたい、何かしよう」と捜し求めるとき、わたしは「主婦を第一任務とし、支障のない限りの自立」を考えていたようだ。
私は夫に頼らず、自分の判断で自由に自分の道を選びつつあった。けれども、それは経済的にはすべて夫に依存した上に成り立った、サラリーマン婦人の趣味以外の何物でもないのではないか。これじゃ、いつまでも夫と対等な立場にたてない。やっぱり何か変だ。そう思いながらも、
「仕事をしたいんじゃない。精神的に自立したいだけなんだ」
と自分自身を正当化してみたりする。
コレット・ダウリングの言う経済的自立が何だ。今、私は夫の経済力に頼っているけれど、夫もまた、私に生活面で頼っているではないか。男と女が各々役割分業で幸せな家庭生活を営めるのなら、それでいいではないか、と居直ってみたりした。
しかし、私の目に映るガムシャラに働く夫の姿はあまり正常と言えるものではなかった。
「気の毒だけれど、きみは男だ。家族を養い、仕事に熱中し、明日のために眠り、体にムチ打って働くのだ!」
とどうして言えよう。彼もまた一人の人間だ。自分の時間も持ちたいだろう。したいこともあるだろう。私はそんな夫に比べて格段に優雅な生活を満喫しているように思えてきた。もう一度「講座・主婦2−壁のなかの主婦たち」の一節を引用すれば
「女が養われず自立すれば、おそらく男の賃金と労働時間の一部が女にまわってくることとなり、賃金格差が縮まり男も人間的な余暇を楽しめるであろう。そこに到達するプログラム-政治的社会的なそれ‐が今や解放運動の中で具体的に立てられなければならない」(和田好子著)
それは頭の中ではよくわかるのだが・・・。性別役割分業でスタートしてしまった我が家の家事はどうなるのか、子供たちはどうなるのか、という大きな不安があった。
その頃、女性問題懇話会では、第一回女性問題キャンペーンとして、「世界の女性にその生き方を聞く」というシンポジウムを開催した。日本語の話せる外国人女性3人を招いて、彼女たちの生き方と共に、彼女たちからみた日本女性を語ってもらおうというものだった。
中国人の女性は「社会の一員として男女問わず、社会のために働くのはあたりまえ。また男女同じように働いているのだから家庭内のことを男も一緒にするのは普通だと思う」。
日本人の夫を持つポルトガル人の女性は「日本の男性は働きすぎると思う。自分の仕事が生活の中で一番大事なものになってしまっている。一方日本の女性は家と子供のことしか考えない。しかし塾や学校で勉強させても女の子は結婚したらもう何も続けない。もったいないと思う」。
フランス人の女性からも「働かない夫をヒモと呼ぶのに、働かない女性はシュフ(主婦)といって社会的に認められているのはおかしい」。
などと痛烈な批判があった。
一方欧米では働きつづけるための条件や社会的な慣習が進んでいて、保育所月の企業、授乳時間の確保、夫たちの協力なども日本とことなっていた。また、自分で仕事場を選べない中国では互いに別の都市で働き、生活しなければならないこともあるそうだが、そんな時も仕事をやめていっしょに暮らそうという人はまずいないという話を聞いてひどく驚かされたりもした。
性別役割分業に代表される女性問題というものにも気づかされ、理屈では充分わかっているつもりなのだが、残念ながら自分のこととなると何の解決もできないまま時がすぎていた。しかしいつも私の心の中に「自立」の二文字がひっかかっていた。