アルゼンチンに赴いた家族


帰国、アミー
ようやくこの国の生活にも根がはえ、楽しめるようになったころ、夫はこう切り出した。
「帰国になるかもしれない」
「あら、そう」
わたしはいとも簡単に答えていた。しかし、内心はやっと生活がおちついてきたのに、まだこれからやりたいこともあるのにと不満だった。会社って勝手なもんだなあ、あっち行け、こっち行けと・・。でもとにかく、今は海外生活してきてよかったと胸を張って言える。また位置からやり直しだけど、仕方ない。
その日以来、私の頭の中は、日本に帰国後の自分の生活でいっぱいになった。新しく開店した日本書籍を扱う店で偶然みつけた、コレット・ダウリングの「シンデレラ・コンプレックス」を一騎に読み終え、女の自立について考えていた。
私は何をしたいのだろう。どんな風に生きたいのだろう。私は自分の「主婦」という座に疑問を抱くようになっていた。「講座・主婦」というシリーズ本が出版されたという日本の新聞広告をひそかに切り抜いて、大切にしまいこんでいたのもこのころだった。

さて、帰国直前私はかつてから興味と関心のあったアミーという友人をお茶に招待した。彼女は夫の同僚の夫人である。ブエノスアイレスへ来て一週間目に、彼女の家に食事に招かれて以来、家族で食事をしたり、テニスをしたりしてきた仲である。
彼女は結婚後、大学へ再入学し、2、3年前から司法書士として働き出している。そんな彼女の生き方に、とても興味があったのだが、今まで面と向かって尋ねたことはなかった。
「あなたの生き方にとても関心があるの。もっと詳しく話してくれない?」 とぶしつけにも尋ねてみた。彼女は今の仕事につくまでのことをいろいろ語ってくれた。
「子育てが人段落したころ、私は毎晩、無償に涙が出て仕方がなかったの。なぜだかまったく自分でもわからなかったわ。ノイローゼのようになって、精神分析医のところに通うようになったの。そして二年後、医者にもう大丈夫と言われた最後の相談日に、私はまっすぐに大学の門をくぐったわ。私がやりたかったことはこれだって。それで、今は仕事もできるようになったわ。
あなたになにか芽があるなら、やってみなきゃだめよ!押し殺していたら、いい人生おくれないわ。もちろん、大学に行っていた時だって、子供のことや家事が機になって機になって、胃が痛くなるほどだった。今だって山のような洗濯物が気になっているのよ。でも、こうしなければまたないて暮らさなくてはならない。大丈夫。だんだんに家事も手抜きや要領を覚えて、自分も家族も慣れてくるものよ。夫はそんな私に満足しているわ。だって、私が生き生きしているのだもの!」
私より少し年上の彼女のこの話は、私をとても勇気付けてくれた。みんな悩んでいるんだ。そして勇気をもって一歩づつ進んでいるんだと。
「私も何かしたい。一生続けられる何かを見つけたい」
そんな思いが私の胸にこみあげていた。


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