アルゼンチンに赴いた家族


ノイローゼ
あわただしく日本を飛び立ち、休む間もなくブエノスアイレスでの生活が始まった。はじめの3ヶ月は緊張していたのか、奇跡的にも娘たちは病気もせず、生活は順調に運んでいった。ブエノスアイレスは美しい街で、緑いっぱいの広々とした公園も多い。人々ものんびりしていて、子育てにはとてもよい環境だ。

しかし、まだまだ行動範囲の狭い私にとって、相変わらず、子供が病気になった時の閉塞感はひどかった。やっぱり、日本にいた時と同じで、なかなか治らない。自分の具合も悪くなる。家中がぐちゃぐちゃ、洗濯物は山となる。おまけに買物は不便ときている。
そんな時、頼みの夫は現地最前線の企業戦士。入札の毎日が続き、彼自身も高熱と偏頭痛で倒れる。それでも、会社からの電話は鳴り、伝令が書類をもって押しかけてくる。アスピリンを飲み飲み徹夜作業の続く日もあった。

そんな夫の銃後を守る良き妻を演じつつも、時にふっといらぬ思いが頭をよぎる。
わが家はアパートの九階にあった。大家さんは、小さな子供のいた人なので、窓という窓には金網が張ってある。日本では考えられないほど広いステキな家具付きのアパートだが、ノイローゼ気味の時には何の意味もなさない。夕暮れに、ベランダの金網に手をかけ、向い側の部屋に目をやる。暖かなオレンジ色の光の中、パーティでもあるのか楽しそうな雰囲気が伝わってくる。週末の道路は、中心街へ出かける車であふれている。家の中に目を転じると、何とも言いがたく抜け出せそうもない現実がある。
「ああ、よく日本の新聞でみかける育児ノイローゼの若い母親の自殺。あれって、まんざら他人事ではないかもね。金網があってよかった。もしなかったら…吸い込まれてしまいそうな気分」
誰かに話したい。誰かに聞いてもらいたい。さりとて、日本への国際電話では、「元気、元気」とそればかり。「病気して、気が狂いそう」なんて間違ったって言えやしない。トランクに荷物を詰めて帰りたいとわめくには至らないけど、電話で何もかも言ってしまいたいという衝動にかられた。

そんな時、ふと思った。なぜ夫じゃダメなんだろう。ときどき、ブツブツと話してはみるのだが、まったくわかってもらえない。
「そんな子供の風邪ぐらいで、育児ノイローゼになるなよ!おれのストレスに比べたら大したことないよ!」
そう言われてしまうと、返す言葉もなくなり、やっぱり我慢しなくちゃいけないのかと思い込んだりする。そういう夫も熱を出して寝こむ。私だって、寝こめるものなら寝こんでしまいたい!
地球の裏側に家族は四人だけ。お互いにもう少しの思いやりがあればいいことなのに。それもできないほど、それが押しつぶされてしまうほど、お互いに疲れているのだろうか。


ご意見、ご感想をぜひおきかせください。Email:takayo-i@msh.biglobe.ne.jp

Homeに戻る