そんなある冬の夜、相変わらず入札に明け暮れる夫が、明日ゴルフへ行くという。私はふてくされて、先に寝もうとすると、夫は、
「ちょっと、話がある」
ともちかけてきた。私には何か、ピンとくるものがあった。かっかと燃えるストーブの前に縮こまって、
「なに?」
と半分不機嫌に、尋ねた。
「アルゼンチンに転勤の話が…」
「え!嘘でしょ。嘘よね」
かつて、妊娠中に初めてブラジル出張の話を聞かされた時のような緊張が走る。
「ほんとだよ!」
体が震えた。歯ががたがたいっていた。来るべき時が、思っていたより早く来てしまった。子育ても、ちょっと一息つける時となり、ようやく少し自分の時間がとれそうになり、何か始めてみようと思っていた矢先の出来事だった。
来るべき時が来た。ただそれだけのはずなのに、私たちはひどく動揺していた。夫の仕事柄、海外転勤は覚悟の上だった。けれど、現実のこととなると、90パーセントの不安と、10パーセントの期待。
「いいことだってあるさ!」
と夫は言うけれど、私にとっては不安のほうが大きい。私以上に夫も不安だろうと思う。
「結婚五年目。人生の区切りを迎え、新しい生活をするのもいいのかなあ」
「大丈夫、あなたならうまくできるわよ!」
と励ましてくれた学生時代の友人もいた。昔の私にならできたかもしれない。何事にも積極的な生徒だったから。しかし海外駐在員の妻。今の私にできるだろうか。
「今までだって何とかやってきたじゃない。子育ても一人で奮闘してるじゃない。みんな何とかやっているんだもの、私にだってできる」
何度かの危機にいつも自分にそう言い聞かせてきた。今度もきっとそうだと思う。今や、海外転勤する家族は山ほどいて、みんなやっているんだもの。私たちにもきっとできるはず。日本を離れるデメリットもあるけど、メリットだってきっとあるはず。海外生活してきてよかったと、帰国する時に言えるようがんばろう。私はそう思うようになっていた。
私たちの出発は半年後に迫り、一番気がかりだったのは、両親や友人、そして住み慣れた社会から離れるということだった。それは、職場や生活環境だけが変わるというのではない。変わらないのは私たち家族四人だけで、その他はすべて変わってしまうということなのだ。今まで、気持ちの上でずいぶんと頼りにしていた両親や友人。生活上のストレスを発散させてくれるかれらの存在が、今、相当の重みをもっていたことを感じる。私たち家族が、現地で何か問題にぶつかった時、それを乗り越えるために、何らかのストレス解消法が必要だ。しかし、それが何なのか二人でゆっくりと話し合う時間もなく、子供たちは相変わらず"ただの風邪"をひき、その間に海外渡航の研修会、旅券手続き、荷物の整理や発送と続き、そして、またまた子供は風邪をひく。
もうこうなったら、どこで暮らしたって同じじゃないか。子供が病気をする。自分も具合が悪くなる。夜もろくろく眠れない日が続く。医者通いに明け暮れ、家の中はぐちゃぐちゃとなり、早く平常の生活に戻りたいと願う。このくり返し。こんな時、海外じゃ、もっと心細いだろうと思うけれど、信頼できる医者さえ見つければ、あとはどこだって同じ。日本での生活をそのまま海外で期待するなと、よく言われるが、実際は、困難に出会った時の苦労なんて、どこにいても大差ない。どこに住んでも、子育ての悩みなんて同じだとすれば、日本にいてはできないことをやってみたい。私はいつの間にか、10パーセントの期待に大きな夢を持つようになっていた。
初めの半年がその後の海外生活を左右するという。子供たちの成長や手の離れ具合からいっても、よい時期かもしれない。やろうと思いさえすれば、できるような気がする。
「気張らず!あせらず!でも着実に!自分のしたいことをしてみたい」
船積みの荷物を入れたダンボールの箱に、ガムテープを張りながら、私は秘かにそんな決心をしていた。