今月のニュース<2000年10月>

県大会出場決定!!県大までの道のり

 最後の生き残りをかけたバーズ戦。これに負けたら夢も断念という試合でした。子どもたちの戦い方はそれまでのとは明らかに違っていました。気迫にあふれ、絶対勝つんだとパワーがみなぎっていました。子どもたちは必死になって戦いました。あの勝負強いバーズが攻めきれないくらいに。
 そして最後のブザーが鳴った瞬間
の、選手・ベンチ・応援席の喜びようといったら・・・・あのときの状況を説明するのは難しいものがあります。
 子どもたちはもちろん大喜び。監督・コーチ陣は興奮し、保護者は泣いていました。
 これは間違いなく奇跡です。

 8ヶ月前の2月、新チームがスタートしました。
 
 そのときのメンバーといえば、県大会など想像もつかないものでした。
 昨年度は6年生が多かったため、スタメン入りしていた5年生はたった1人(今の4番)。他の5年生も3,4人程度。しかも練習も来たり来なかったりだし、試合にはほとんど顔を出しませんでした。「来年度は休部だな」が監督・コーチの中でよく出るセリフでした。

 そんな中、今年に入ってから、笹目東小というちょっと離れた小学校から2人の子が入団しました。1人は長身、1人は足の速い子でうれしいニュースでした。また柔道少年、左ききのD二郎が入団。さらに放課後いつも外で一人シュート練習をしていたユウスケもなんとか親を説得して入団。少しずつ人数が増えてきました。
 その後4月に長身こば、6月に170センチのいつきが入団。素材はそろいつつありました。

 とはいえ、スタメン10人のうち、6人が今年になってから入った子です。のこり4人だって5年生からやり始めた子たちです。この、基礎力と経験のなさは、ものすごいハンディでした。その証拠に2月や3月の練習試合は、やれば負け。どうにもならないという感じでしたから(笑)

 しかし、人数がそろったのなら、県大会を狙わないわけにはいかないと私は考えていました。8ヶ月でどれくらいのことができるか分からないけど、とにかくやってみようと思っていました。

 まず練習ですが、時間があまりにも足りないため、メニューを厳選しました。昨年までやってきたドリルを全く変え、この素人集団にあったメニューにしました。
 フットワークはほとんどやりませんでした。少しでもボールにならさなきゃという思いから、常にボールを使ったドリルにしました。また待ち時間をなくし、常に何かをやっているようにしました。密度の濃い練習にしたかったのです。
 まただらけることがないようにとデジタルタイマーを見えるところにおき、飽きさせないようにと1つのドリルを3分〜5分というように短くしました。
 とにかくバスケットの基礎を2月から4月の間、ひたすらやらせました。この2ヶ月間の地道な努力は今、生きていると思います。時間がないと思いながら、基礎基本は大切にしてきたつもりです。

 そして何よりも気を遣ったのは、とにかく「誉める」ということ。入ったばかりの子に細かいことを言っても仕方がないという割り切りもあったのですが、一人もやめさせないぞという気持ちが強かったです。「もうこいつはやめないな」と思った時点で怒るようにしましたが(笑)

 ようやく基礎的なことができ始めた4月くらいから、バンバン試合を組み始めました。もちろんまだ勝てるとは思いませんでしたが、とにかく遅れを取り戻すには経験しかないと思い、弱いくせにたくさんのチームのみなさまにお世話になりました。

 とはいえ試合を繰り返すうちに少しずつ、バスケットになってきました。練習試合をして、できていなかったことを平日の練習でひたすら復習し、また試合をやってできなかったら、その練習を反復するという方針でした。これはよかったと思います。
 「無理のない、無駄のない練習」を目指していました。

 そして夏休み。ここでよそに追いつかないと後がありません。子どもたちにも常に「県大会に出るんだぞ」と口酸っぱく言い続けました。少しずつ手応えも感じ始めていたせいもあるのですが。
 30日間の練習は大きな自信になったと思います。「夏休みはバスケ以外のことを考えるな」まで言ってましたから(笑)
 試合も遠征につぐ遠征。群馬県以外、関東地方の全ての県にお邪魔しました。(群馬県のチームには来てもらっちゃいましたが)他県との交流は本当にいい刺激になりました。
 この頃からでしょうか。「これはいけるんじゃないか」というものに変わってきたのは。それだけに私自身のプレッシャーは大きかったです。

 最初こそ「このしろーと集団を上尾に連れて行ったらコーチのお手柄かな」くらいの気持ちだったのが、「こんなすばらしい素材を連れて行けなかったら、明らかにコーチの指導ミスだ」に変わってきたのです。
 そんなあせりからか、少しオーバーワークになってしまったようです。子どもたちに故障者が増えてきました。これは大きな反省点です。

 子どもたちの方はというと、どこか悪い意味での余裕のようなものが出てきました。夏休みも後半だというのに、「県大会がもう少し」というあせりが全然ないのです。必死さがあまり感じられませんでした。
 これが結局、予選で2位になってしまった原因でしょう。追い込まれないと実力を発揮できない。弱点でもあります。
 でも2位になってしまってからの子どもたちは違いました。負けてからあせっても遅いとも言えるのすが。私の知らないところで、子どもたちで相談して校庭に集まって、練習したこともあるそうです。普段はあっけらかんとした子どもたちなんですが、内に秘めた思いはあったのでしょう。

 
 何はともあれ、県大会の切符を手にしました。
 この8ヶ月間のことを思い起こすと奇跡以外の何物でもないなと感じざるをえません。私の意地と子どもたちの意地がうまくかみあったのではないかと思います。でもそれだけではありません。

 「県大会出場」は保護者のみなさまの心強い理解と協力がなければ絶対に成し得なかったでしょう。本当に最高の後押しをしていただきました。
 また練習試合を快く引き受けてくださったチーム関係者のみなさま、インターネットで知り合えたいろんなチームの指導者のみなさまにはたくさんお世話になりました。
 こういう方々の存在は、ものすごく大きかったです。感謝の念にたえません。心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 うちのチームは、まだまだ未熟です。でもその分、これから伸びる可能性をたくさん秘めています。これから1ヶ月間、また必死に練習して、県大会に出ることができなかったチームのみなさんの分までがんばりたいと思います。

 みなさま、本当にありがとうございました。(10月10日)