幾つかの詩 徒 歩  一、漢詩集 昭和六十年神無月七日      絶句  我歩入森縁  陽光照木天  復我駆出外  大地開目前     寸又峡 我永歩旅道  及疲休径上  今景改視麗  自忘疲而走 八日    空虚  吾感時哀鋭  嘆欠中央詠  但多周囲事   及忘理酔映 落城前夜  城既築頑高         敵乱入突敲  我射弾大砲  及散敵将号 昭和六十三年長月十一日 絶句 秋風齎涼香  想前年之涼   吾机座独笑  復願昔日幸 二、和詩集 昭和六十年暮  スイートピーの花の色  金の陽差がまぶしけりゃ  下向き加減の川の面も  燐々として目に映ゆる  スイートピーの花の色  だいいち斯様な花の色 苔のむしたる川岸や  祭の通る大通り       きざな色のこの花は  いったい何の花でげしょ  写真を撮って現実へ  記憶の中味は朧なり    寒江風吹く橋の上  雪降りつける道の上 寒い空気の人の足  猶流れさる川の水   昭和六十一年如月二十一日  窓の桟橋眺めれば  水兵リーベぼくのふね  さあさあしっかりアレクさん  こんなにいいとこほかにはない  かりものばかりを寄せ集め  妙な景色を見てはいる。 二十四日     公園  全てレンガでできた街に冷たい北風が枯れ葉を舞わせる。  レンガの赤い建物の群れ、人跡稀なる都会のはずれに小さな公園がある。  地面を転がる落ち葉とともに、一人の足は、公園の入口にひきつけられて、  舗道を渡った。何の物音もしない。  青い苔のむしたレンガ、白いしみのあるレンガ、見憶えのある景色も変わって見える。 奥まで続くレンガのたたみ、周りを囲む緑の木々に白黒の日光が差し込むと、 積み木は崩れ、目の前に古い汚いレンガがあった。それと写真が一枚。  どこかに目がありそうだ。       高校生と小学生、小学生と高校生  たしかに年の差はあるが、  いったいどっちが楽しかろ。  どっちが重いだろうか。  同じに見える、半分は。  見ようによって不安定 小学生ではありません、高校生。  高校生ではありません、小学生。          きれいな紙のにおいが、本をあけたとたんに辺りに拡散した。  すきとおるような色の紙、手ざわりの不思議な紙。  中に何かを持っている紙の本。  精密である筈の時計は、もう五年以上も身につけている。  決して完璧であるとは言えないし、物足りなさも感じる。  たった一度、新しい別の時計を一ヶ月ばかり嵌めていたことがある。  だがもうそんな事はしない。  いやだいやだ。時間の残量がぞくぞく減るとともに、  思い出が急速力で失われていく。 いやだいやだ。人がどんどん年を取って死んでいく。  いやだいやだ。自分の世界が消えてなくなり、  誰のために何をするのかわからぬ。 弥生二日       奥の窓から入った夕日がこちらへ抜ける。  雑貨屋の両隣りは普通の家で  辺りはぽつんとしている。    昔、白樺湖に行った。  時間をかけてきたような夕日。  古いピヤノの音がきこえそうである。  つりぼりに蛙がいっぴき  さるの小屋がひとつ  細い露路の曲がりかど 十五日  記憶喪失。実に残念である。あのすばらしい印象は何だったのであろう。  この記憶が戻らなければ、一生のうちから、今までの時間を引かなければ  ならぬ。金なら同じものがいくらでもある。だが、記憶は一期一会で、   同じものはどこにもない。  時間喪失。実に残念である。あのすばらしいドラマは何だろう。  一たび一分、一生に一度しか見れぬものを見逃したら、一生のうちから大損害を出さねばならん。 名誉なら別の人でも同じものを得られるが、  時間には同じものはどこにもない。  時間は天が動かすもので、記憶は人間が作り出すものだ。 文月八日  ふっとまどの外を見たら、  まぶしくて目が開けて いられない。  光はそんなに強くはないが、  コンクリートからは、  伝導した熱が発散している。  意外だ。  商店街のスピーカーから、  遠い静かな音楽が流れてきた。  すずめが二羽陽の中にいる。  なぜか心臓が高鳴るのだ。  よく考えてみると、  聴こえるのは、遠い車道の音、  それから、コンクリートの上の  すずめの声。  遠くのずっと向こうには、 山や異国情緒のみなとまち。                       書名   幾つかの詩  作成期間 自昭和六十年十月 至六十一年七月 初版発行 平成八年六月十七日 著者 徒歩 (高野獨源)         発行所 高野出版   印刷  高野印刷社  検印省略              版権は著者に存します。