最近の出来事


過去の『最近の出来事』です、と言うより『過去の出来事』と言うべきか。



 『借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展』を観に行った。確かに自分が小人になった気がした。 『借りぐらしのアリエッティ』自体も劇場で観ているので、面白かった。子供達も喜んでいた。 そして……『漱石の犬』でここを取り上げた際小西真奈美さんも立った所に立ち、座ったところに座れたことが感慨深い。(2010.8.30)

 下北(沢ではなく半島)を爆走。そして、恐山霊場、三内丸山遺跡、弘前城、白神山地のブナ林、奥入瀬、八幡平、小岩井農場と移動。 しばし娑婆を離れて非日常を詰め込む。急速(休息)充電。(2010.8.23)

 色々と予定が上手く行かない。外発的な用事が重なったりして、泣く泣く元々の行事をキャンセルしたりしなくてはならない事が続く。 出たり見たりできなくなった、運動会、演奏会、結婚式よ、ああ。 忙しいのも自業自得だと言われればそれまでだが、小学生時代より、半ば無意識的に常に忙しくやってきたのが私なのだ。(2010.8.13)

 酒井順子さん、東野圭吾さんなどを読む。そして、思い出したように、自分の『観念論』を一枚くらいザーッと書く。そして、マーラー『復活』に挑む。 そして、俳句を詠み、マクロ、ミクロ経済について考え、ホームページを時々更新。それらをやりながら、映像作品を色々視聴。 ここ二、三日の文系オヤジ、獨源として行動。(2010.8.12)

 『恋するアゲハ』(BeeTV)は作品として傑作だと思う。そして、小西さんの色々な表情の博物館のようだ。他の色々な作品で見た多様な表情の要素を このドラマではかなり一挙に見ることが出来る。そういう意味では、『ココリコミラクルタイプ』(フジテレビ)と同じように楽しめる。だからといって、 他の作品で個別に役作りされた多彩な表情を見逃す訳には行かないが…… 8月9日の『相棒』劇場版2製作報告会見では水谷豊さんが小西さんを絶賛していた。『シュアリー・サムデイ』も良かった。 連続ドラマW『マークスの山』(WOWOW)にも出演されるようで、楽しみである。(2010.8.11)

 日本経済を救う私の経済政策案を色々な人に吹聴しているが、いまだ政府に採用されていない。採用もされていないが、突飛過ぎるせいか、複雑過ぎるせいか、 反論もまだ誰からも受けていない。反論される事によってより良い策を打ち立てたいと謙虚に思っているのだが……(2010.8.4)

 北信の雄、村上義清のふるさと、坂城を調査。葛尾城も踏破。野生の鹿に出会った。その後上山田、佐久、清里と駆け抜けた。清泉寮のソフトクリーム、美味しかった。 (2010.7.31)

 いやあ、小西さん、ホント忙しそうですな。最近目にしただけでも、フジテレビ『とんねるずのみなさまのおかげでした』、フジテレビ『笑っていいとも』のテレフォンショッキング、 ニッポン放送『オールナイトニッポン』、雑誌『フラウ』、本日の日本テレビ『アナザースカイ』(これは4年前の毎日放送『情熱大陸』での小西さんを髣髴とさせる。)、 レギュラーの日本テレビ『漱石の犬』に、テレビ朝日の『S』のナレーション。この間は東京FM『サタディ・ウェイティングバー・アバンティ』にも 再び出ていたし、『シュアリー・サムディ』の舞台挨拶に様々なインタビューをこなす。見逃したがテレビ朝日『シルシルミシル・サンデー』にも出ていたようだし、 今年はこれから映画2本『行きずりの街』と『トマトのしずく』が更に公開予定で、ドラマも撮影している様子だ。 よし、私も見習って頑張るぞ。まずはマーラー『復活』に、小説『観念論』だ。話は変わるが、ニューヨークと中央ク(区)が発音が似ている事に子供に気付かされた。 友達が「ニューヨークから引っ越してきた」というから、アメリカ帰りかと思ったら、隣の中央区から引っ越してきただけだったじゃないか。 (2010.7.23)

 ちょっと前に知り合いが若くして亡くなり、自然と喪に服すような感じで、創作活動も控えておとなしくしていた。その後に、つかこうへい氏も亡くなったし、 色々と生死の問題について考える契機ともなった。死について考えることは、これ即ち、生について考えることである。とは、アルフォンス・デーケン博士から何度も聞いた言葉だ。 ところで、小西さんは、映画『シュアリー・サムディ』のイベントで連日かなり忙しそうである。こちらも追っかけるのが忙しくなるが、仕事と違って、 どんなに忙しくても何故か苦にはならない。 私は、読書、ドラマ、映画鑑賞などについては相変わらずだ。相変わらず偏っている。そして、マーラーの『復活』の勉強などを少しずつやっているところだ。 このページを読んでいる方には、私はよっぽど暇人だと思われてしまいそうだが、そんな事はない。実は膨大な時間を会社で費やしているのである。(2010.7.16)

 昨日は演奏会で前々日の練習からバイオリンを弾きまくった。みんなの頑張りで本番も無事に終了だ。私のバイオリンのソロ部分もあったので緊張した。 このショスタコーヴィチのソロ部分に関しては、三ヶ月前から、いかに上手くごまかすかを苦心して研究した結果、ごまかしが利かないことに気付いて慌て出したのが本番の三日前。 気付くのが遅過ぎた。これからは、ごまかそうなどと考えず、最初っからきちんと練習しよう、と反省した。このように反省するのも、これで二十回目くらいになる。(2010.7.5)

 本屋で何気なく銀色夏生さんの文庫本を手に取ったら、なんと、帯に見慣れた小西さんの写真が載っているではないか。銀色夏生フェアで、小西さんが推薦しているのだ。 何たる奇遇。思わず買った。写真は公式ページの表紙と同じ物だ。(2010.6.23)

 今日は、久しぶりに広尾に住む友人宅に、下町からのこのこ出掛けて行って、一緒にサッカーの日本、オランダ戦を大画面で観戦させてもらった。 内容は良かったので、見応えがあったが、惜しい試合だった。それにしても、広尾はおしゃれな街だ。そもそも茅場町から日比谷線に乗った時点から、ファッションが違う。 広尾駅で降りたら、周りの人々がみんな芸能人に見えた。サッカーで大いに盛り上がって、また下町に戻って来た。完全なる同化。同音のハーモニーのように自分が透明になる。 (2010.6.19)

 ここのところ、色々と充実している。村上春樹の『1Q84』を読んだのを始め、ラフマニノフのピアノ協奏曲や、ショスタコービッチ交響曲第五番、バッハ『ロ短調ミサ』等を合奏する、 ピアノでジャズ風の即興演奏をする、『きらきら研修医』(TBS2007年)と『あしたの、喜多善男』(関西テレビ2008年)を観るなど、読、観、聴、弾と、楽しんでいる。 『きらきら研修医』の小西さんが究極的にカワイイ。あまりのカワイさに、一日の疲れも癒される。これも小西さんなら、『小児救命』や『深く潜れ』も小西さんなのだ。 何でも演じられる小西さんだと知ってはいるが、世界が多彩すぎて不思議な気がする。(2010.6.15)

 「パンドラ」繋がりで、『あしたの、喜多善男』(2008)を観ている。いや、実は、小西真奈美さん繋がりで観ている。「パンドラ」で繋がっていたのは偶然だ。 このドラマも、私の『観念論』と関わりがある。『死』の直前に『生』をどう観るかというのは、私の20年来のテーマだった。昨年、一つの答えを導き出した。 ニーチェと、仏教と、一見関係の無い二つについて同時に考察していた時に、見えてきたのだ。 (2010.6.8)

 連続ドラマW『パンドラ』(2008)には、息苦しさと、爽やかさ、人間の愚かさと美しさが凝縮された一つの別世界があった。 このドラマでは、日常の世界では散らばり、断片的なものとなり、見えにくくなったものを再構築して見せてくれたような所があると感じられた。 それぞれの要素は、現実の周辺に転がっている。これらから何を組み立て、世界として取り込むか、それは人それぞれだろう。そして、人はいくつもの見えない世界を抱えて生きている。 それらの見えない世界を、人は、見たいと願ったり、見たくなかったりもする。そして、何と、人は見えない世界を見ている。人は現実を見ているのか。現実と別世界との境はどこに 存するのか……と、この辺の問題になってくると、それは、高野獨源の『観念論』の世界になってくる。 (2010.6.7)

 オーケストラ合宿に行って来た。前日までの寝不足がたまっていた所為か、随分と疲れた……と、睡眠不足のせいにして、ふと気になったのだが、 ひょっとすると、年のせいではあるまいか。もう、四十歳、いつまでも二十歳のつもりでいだが、四十といえばもう二十歳の二倍である。成人になってから二十歳とも言える。 何か式は無いのか。しかも、四十年といえば、人類が初めて月に降り立ってから既に四十年経つ。疲れるはずである。しかし、疲れているわけには行かない。 宇宙の哲理を今少し究めて本にして出版するためには、私の見込みでは、あと百年くらい必要だ。 (2010.5.30)

 モーツァルトのフルート四重奏ト長調を合わせた。もちろん、私の担当はフルートではなくバイオリンパートである。渋いが良い曲だ。(2010.5.27)

 小説『いたずらぼうず大苦戦』を書き終わった。なかなか苦戦したが、続いて『観念論』の執筆に入る予定である。 俳句集『人の群れ』も進んでいるので、ご期待くださいますな。(2010.5.16)

 最終日にぎりぎりでレンピッカ展を見に行った。作風は全く異なるが、マリー・ローランサンを思い出す。(2010.5.10)

 越中、加賀、能登旅行に行って来た。印象強かったのは、黒部峡谷のトロッコ列車、金沢城、巌門、七尾城などだ。山、城、街、海、と満喫してきた。 時間をずらしたため渋滞にも全く巻き込まれなかった。 帰って来て早速、小西さんが今年公開の映画『トマトのしずく』に主演すると言うニュースが伝わってきた。今年4本目の映画だ。 また新しい一面が見られることだろう。楽しみである。(2010.5.6)

 最近は、『blue』(2003)、『Boss』第8話(2009)、『コワイ童話/不思議の国のアリス』(1999)、『オレンジデイズ』(2004)などと、小西真奈美さん出演ドラマを色々観たが、 今や、ドラマや映画で小西さんを見ていると、内容に関わらず、何だかほっとして幸せな気分になる程にまでなっている。元気が出て来る。特に私が苦しい時にはそれで助けられる。 インタビューの答えなどを聴くのもまた良し。それにしても、『コワイ童話/不思議の国のアリス』では、特にドキッとする場面があった……。 (2010.4.28)

 色々書きたいことがあるので、小説などに反映していきたいと考えているが、何故か同時に色々観たくもなる。時間がいくらあっても足りない状態だ。 (2010.4.26)

 パッハのカンタータを4曲弾いた。今回も、とても楽しんで弾けた。珍しいことに自分で気が付くような失敗も無かった。自分で気がつかない失敗については、あったかどうか分からない。 (2010.4.25)

 春になると何故か創作意欲が湧いてきて、書きたいことも増える。これらは、小説や随筆としてこのページにどんどん反映して行きたいと考えている。 しかし、春になると、何故か鑑賞欲が沸いてきて、色々なものを観たくなる。特に、テレビやインターネットを観たくなる。その結果、どうしても筆を執るところまで行かなくなる。 (2010.4.21)

 小西さんの演技はダイレクトに心に伝わってくる。『天体観測』(2002)、『恋愛小説』(2004)、『天使の卵』(2006)、『Sweet Rain 死神の精度』(2008)、『小児救命』(2008)、 『のんちゃんのり弁』(2009)など、映画でもドラマでも、『ミラクルタイプ』の短いドラマでも。どんなに幅広い役柄でも、そのダイレクトさに例外がない。変わっていない。それぞれの役柄は完全に別人で 異なったスタイルの演技なのに、こちらの受ける衝撃はいつも決まって非常に大きく観るたびに必ず感動する。 (2010.3.24)

 バッハ生誕325年記念日。25年前、中学三年生の私が、バッハ生誕三百年記念のライプツィッヒからの『マタイ受難曲』放送をラジオで聴いていたのを想い出す。 それから早くも四半世紀が経過したのだ。 (2010.3.21)

 今度は京島ラビリンスを散歩。『のんちゃんのり弁』の世界だ。東京スカイツリーの麓にも行った。現在311メートル。まだ2倍以上も伸びるのか! (2010.3.14)

 今日は東京大空襲65周年となる。うちの辺りでは3月10日は特別な日なのである。空襲で両親が生き残ったからこそ、私も子供達もこの世に存在している訳であるし。
 さて、ここのところ、新旧取り混ぜて映画やドラマをかなり観ているのだが、その中で、特に2008年のテレビ朝日のドラマ『小児救命』に今更ながら感動している。 小児救命の現状を描いたもので、主人公の熱血医師を小西さんが演じているが、その医者魂とご本人の女優魂とがオーバーラップしているように感じ、引き込まれる。 演出の優秀さも勿論感じるが、とにかく主人公の気持ちが痛いほど伝わって来るのだ。毎回泣いてしまうが、第四及び五話では、余りにも多くの試練についに主人公の 小西さんが泣く所が三ヶ所もあり、そこは何度観てもこちらまでその都度泣くことになる。気丈に振舞った後、一人になって泣き崩れる、みんなから見えない曇りガラスに 隠れて泣いて、直後に曇りガラスになっていない部分から笑顔を皆に見せるなど、演出もニクイが、それを演じこなしてしまう小西さんには、もう言葉も無い。 こちらは完全に世界に呑み込まれてしまう。(2010.3.10)

 昼、京島ラビリンスならぬ本駒込ラビリンスを散歩。  相変わらず時間の交差ついて考察している。交差した時点から過去へと時間を逆行することについて考えているが……まあそれはともかく、 昨日はバッハカンタータ第178番等を合奏したのだが、その中で「理性よ黙れ」と言う部分があり、いかにもルター派っぽいのだが、指揮者が 「考え過ぎるときりがなくなって分からなくなるからね」と簡潔にコメントしていらっしゃって、的を得すぎているように感じて笑った。 (2010.3.8)

 昨日に関連するが、認識の時間的ずれについて考察した。認識には特に遅れがあり、これがデリダの差延、ディファランス、ということに近いものなのかは不明であるが、 時間的な進みというものもあり、それを私は予想という言葉で表せるのではないかと考えている。認識の遅れは記憶による再生の遅れ、情報の遅れ、等を原因とする。 進みの方は想像力による推論的認識だ。推論的ではあるが、そもそも認識には限界があり時間的に遅れた認識であっても推論的でありうる……と、 こんなことを考えながら歩いていたらズッコケそうになった。 人生もズッコケていやしないかと、四十年を数秒で振り返って見る。那須正幹氏著『ズッコケ中年三人組Age44』(ポプラ社2009年)も、購入してあるので早く読みたい。 (2010.3.5)

 今日の考察 : 時間の交差について。AとB(AとBはそれぞれ意識を伴った物一般とする)とのそれぞれの時間がある空間で交差する。AがBをある空間において認識したところ (Bによる認識とは何ら関係は無い)がここで言う時間の交差点である。しかし、この交差点においては、Bの時間をAは遅れて認識することになり、また、 Bの時間をある延長として認識するため、これは点と名付けることが出来るのか?交差線分とでも名付けたいところである。
 さて、遅ればせながら最近DVDで『のんちゃんのり弁』を観た。小西真奈美さん、いつもながら素晴らしかった。本当に輝いてますね。今年も映画色々出てらっしゃるし 目が離せません。いつも応援してます。(2010.3.4)

 先週、ビバルディ『夏』を弾く機会に恵まれた。昨年『春』を弾いたのに続いてだ。余り緊張することなく、大いに弾きながら楽しめた。 最近緊張しないための策が大当たりで助かっている。緊張しないためには、まず、不当に高い目標を狙わないことだ。そもそも自分自身を知れば、 目標はもっと低くすべきであることに気付くはずだ。こうすれば失敗しても元々だ。そして、第二には、自分を捨てて別人を演じ切ることだ。 失敗しても、他人ごとのように感じることが出来ればしめたものである。(2010.2.25)

 謹賀新年。大晦日に富士急ハイランドでスケートをした。小学校の頃、四年間も習っていたのだが、その後のブランクが長すぎた。ブランク約三十年。 普段使っていない筋肉に負担が掛かるのが分かる。しかし、ブランクの割には、滑り方については、それほど忘れてはいなかったようだ。 駄洒落同様、スベるのは比較的得意なのかも知れない。(2010.1.5)

 保育園で演奏した。ピアノとバイオリンの二人で、私はピアノ伴奏だが、何とか無事に二回の演奏を終えることが出来た。最初のモーツァルトでは園児たちの拍手が、 後半のアニメソングでは、保育園児の自発的な大合唱が加わり、園児たちとのセッションを満喫することができた。(このプログラムの練習の模様は、 『私の実際の演奏動画』コーナーの 2009.11.7 付けの動画をご覧下さい。)(2009.11.17)

 中学生の頃、小遣いをためて、バロック音楽の巨匠のレコード数枚を、やっと買えたものである。あとはラジオで聴くしかなかった。 しかし、今では、彼らの演奏を簡単に動画付きで聴くことが出来るのだ。三十年前に想像していた、巨匠の演奏の姿を、今目にしている。感動の一瞬ではある。 (2009.11.12)

 四十歳を越えたら、体のあちこちが問題を起こすと聞いていたが、四十を越えて数日たった今、確かに体中問題が起こり始めた。右肩は痛いし、腸の調子は悪いし、 頭も悪いし、若白髪が増えた。ちょっと階段を登ると息切れして脚が筋肉痛にもなる。バイオリンとピアノの腕は良くならないし、 こんな状態では、名ピッチャーとして大リーグで活躍できないのではないかと思うと、頭が痛くなる。(2009.11.9)

 最近、YouTubeの動画を視聴するのが楽しい。自分と同じように楽器を弾いている素人さんもいれば、自分にはできない踊りを披露する人もいる。 励まされるし、実際自分でもへたくそな演奏動画をアップしてみた。客観的に自分を見ることができるので、色々直すことができる。 そもそも、自分というものは一番分からないものだが、ソクラテスの「汝自身を知れ」をある程度実践できるのだ。(2009.10.16)

 それにしても、夏休みに行った佐渡は良かった。海は綺麗だし、人は親切。朱鷺も居るし、金山もある。 新潟港からはフェリーで二時間半も掛かるのも意外だったし、着いてみて、島全体の大きさが意外だった。 結局北半分しか見て回ることができなかった。また訪れたくなった。秋になって改めて思い出す。(2009.9.7)


 最近バイオリンを色々いじっている。違う弓で弾くのを試してみたり、弦を変えてみたり、肩当を外してみたりなど。 音楽をやっていると、楽器と腕前の二つの調子には敏感にならざるを得ないが、ここのところ楽器の調子が悪くて困っていたのだ。 楽器自体の波長と出す音の波長のずれが生むヴォルフ音になやまされたり、原因不明の金属音が出たり。 日によって調子が良かったり悪かったりするのは困りものだ。それに比べて腕前の方は、いつも安定的に調子が悪いから安心だ。 今後、弦を二種類試し、弓の毛を張り替え、楽器を保守・調整に出すなど、色々と忙しくなりそうだ。えっ、練習……!?(2009.8.4)

 ここはアメリカでもないのに、強制的にニックネームを求められることがある。特にアメリカから導入したばかりで日本文化の特性を取り込んでいない研修などに顕著だ。 こういうところでは、普段ニックネームを持たない私は不利だ。そこで、この度、これ以上は無いというニックネームを考え出した。 高野二十八(たかのふそはち)というのだ。本家筋の山本(高野)五十六は、父貞吉の五十六歳の時の子だが、私は両親が二十八の時の子である。 二十八というのは、ちょうど五十六の半分だ。人間的にも半分以下なのでちょうど良い。
 かつ、私の名、「真一」という字は十、目、一、八、一から成り立っているのだ。 この中に、二十八が入っているのがお分かりだろうか。残りは目であるが、これは棒線を全部突き出して、四間梯子の旗印として使用すれば、 余すことなく「真一」を分解、再利用していることになる。四間梯子は長岡藩の旗指物である五間梯子に一本足りないが、五間では恐れ多いのでちょうど良かった。 こうして、完璧な、ニックネームができた。
 ただ、問題なのは、この「ふそはち」の音が、うそはち、うそっぱちなどと似ているということである。(2009.7.30)


高野二十八の四間梯子の旗じるし


 七月に入ってから、いわゆるライフイベントと呼べるような事が次々起きて、息もつけない状況だ。仕事や演奏が忙しいのは常であって、自縄自縛、 自業自得と言うことも出来るが、このところの忙しさは、常ではないことが多かった。それらは、計画されていたことも、計画されていなかったこともあった。 全ては無常、連続ということが意識される。(2009.7.22)


 上杉謙信の『宝在心』十六箇条は、今まで哲学的、或いは宗教的なものだと思ってきたが、実は心理学、特に人間性心理学と比較できるのではないかと思った。 この『宝在心』をテーマにまた一つ随筆が書けそうだ。(2009.7.1)


 昨日の続きだが、カントによれば、物自体は認識することができない。人を不当に攻撃する人は、その相手のことを認識できていない。 私などは自分のことすら認識できていないのだ。しかも、アリストテレス的に言うと、人間は可能態だ。まずは「汝自身を知れ」(ソクラテス)。 他人を評価し批判する前に、「実存を重んじ」(キルケゴール)、「現象学的還元をし」たうえで(フッサール)、「現存在を意識」しろ(ハイデッガー)。 (2009.6.22)


 ここ一週間で、他人を不当に批判し、傷つけたり妨害するような無責任な行動を幾つか見かけた。子供同士では「馬鹿といったら、自分がバーカ」と言ったり、 小学校の先生にも「人の事を馬鹿と言ったら、言った人の方が馬鹿なんだよ」と教わったものだが、年齢から見て、彼らは子供ではなく大人だった。 大人なら「ばか」と言っても言い放題なのかな?・・・それともやっぱり馬鹿なのか・・・おっと、久しぶりに、ばかに真面目なことを書いてしまった。 (2009.6.21)


 私は緊張が大嫌いだ。「緊張を楽しんじゃえ」と助言してくれる人もいるが、手が震え、心臓がバクバクし、 頭痛がして頭が真っ白になっている状況をはたして楽しめるだろうか。そもそも頭が真っ白になっているのだから、 楽しんだとしても楽しみを感じていないだろう。緊張を避けるためには緊張するようなこと(人前でのスビーチ、演奏、失敗など)を一切しないか、 どんな時でも緊張しない方法を見つけるしかない。さあどっちで行くか。(2009.6.17) (→すぐこの後、緊張するようなことをするのを避ける事は、今、私の置かれた状況では当面不可能であることが判明した。 よって、今後、緊張しない方法を見つけることとする。)


 五日ほど寝不足をしたので、それを取り戻そうとして、夜九時に寝たが、寝すぎた所為かまだ寝たりない所為か、調子が悪い。 頭がぼーっとする。まるで時差ぼけのような状態だ。海外に行かなくても時差ぼけが体験できることが分かった。 寝すぎなら、また夜更かしすれば良いし、寝たりないならもっと寝れば良いのだが、どっちだか分からないので対策の取りようがない。 仕方ない、とりあえず、また寝不足してみよう。 (2009.6.10)


 ここ二、三日、このホームページの構成をいじっている。 長らく放っておいたのだが、漸く自分らしくなってきた気がする。 大学一年生の時に刊行した個人誌『シャッフェン』の構成や外観が私の一つの基準であり目標だ。 低い目標だが、それでも達成できていない。焦らずに少しずつ追及して行こう。まだ百四十歳まであと百年程ある。 さあ、あとは中味か。(2009.5.28)


 今度は眼が腫れた。最近は、歯は欠けるし、目は腫れるし、変な虫には刺されるし、 これで新型インフルエンザにでもなったら目も当てられない。 そうなったら歯医者と眼医者をはしごしながら、合わせ技で内科に行かなければならなくなる。 そう言えば、二ヶ月前の筋肉痛が治っていないが、本当に筋肉痛なのだろうか。(2009.5.22)


 また歯が欠けた。今年これで三回目だ。また歯医者さんで治療してもらわなければならない。 この勢いで自分の歯がどんどん無くなって行くと、近い内に全て自分の歯では無くなるかも知れない。だが待てよ。 こうして、歯に留まらず、自分の身体を少しずつ人造に変えていくと、子供の頃憧れたサイボーグになれるかも知れないぞ。 (2009.5.12)


 今まで色々なものをダビングしてきた。 八ミリフィルムを八ミリビデオにダビングし、ベータを八ミリビデオにダビングし、デジタルビデオカセットをDVDにダビングし、 今、ようやく八ミリビデオとベータマックスのDVDへのダビングが終了しようとしている。三年計画だった。次は、VHSをDVDにダビングしなくてはならない。 新三年計画だ。それに、カセットテープもたくさんある。二百巻くらいだろうか。 今までレコード、ミニディスクはかなりデータ化してコンピューターに取り込んできた。これらを数年掛かってダビングした後は、今度はDVDからブルーレイへダビングか? (2009.1.24)


 最近川越の町をぶらり散歩しましたが、いい町ですね。今年放映のNHKのテレビドラマのロケ地にも選ばれたようです。 小江戸とはよく言ったもので、本当に江戸の町を歩いているような気になります(車の列を目に入れなければですが)。 建物の壁を使った夜の幻燈も素晴らしい。川越城は、本丸御殿が貴重ですが、富士見櫓跡も印象に残りました。 (2009.1.8)


 川越の時の鐘と富士見櫓跡

 これまた久しぶりに小説を完結させました。『いたずらぼうず大作戦』です。 昔のようには行きませんが、創作意欲が刺激される今日この頃です。時間を上手く作って意欲を形にして行きたいのですが、さて、いかに。 (2008.12.26)


 ベートーベンの第九を所属オーケストラで演奏しました。年末に弾いたのは久しぶりかも知れません。 今回は、いや、今回も(?)、気合を入れて望みました。大曲だし、気は抜けないし、今は、終わって、ほっとしていると言った感じです。 個人的な演奏上の反省点はありましたが、色々学ぶこともあったので、次の演奏会でも頑張るぞ。 聴きに来てくれた方々、一緒に弾いた人たち、その他色々お手伝いいただいたり、関わってくれた皆様、ありがとう! (2008.12.8)


 久しぶりにバッハの『音楽の捧げ物』と『フーガの技法』聴きました。やっぱりいいですねえ。 夜中、これを聞きながら書き物をしていたら、何だか、捗りました。学生の頃はよく聴いていたのを思い出しました。 あの頃はCDではなくレコードでしたが。 (2008.12.1)


 最近、長男が野球チームに入って送り迎えをしなければならなくなりました。 以前のように夜遅くまで遠出が出来なくなり、家に居ることが増えました。 当然城巡りも余り出来なくなりましたが、歴史好きであることは変わらず、結局家系研究などしています。 家系研究を通して、関連する歴史そのものにも興味が湧いてくるから不思議です。 音楽以外の趣味としては(音楽はすっかり生活の一部になってしまっていますが)、今はまさに歴史に夢中です。 (2008.11.24)


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