流行口調考 高野 獨源 いつのまにか人の口調が自分に乗り移っていることがある。言ってしまってから良く考 えると、それは誰か他人の口癖であって、自分から湧き出たものではなくて、取って付け たように発せられたものである。必ずしも自分が好んでいる言葉ではない場合もある。そ れにも関わらず、勢いに乗るとつい言ってしまう。そして、他人の口調を真似て喋ると、 不思議とすらすらと言葉が出てくるのである。 一度それをやってうまく行くと、次から は、半ば無意識的に、その口調が、口から飛び出してしまう。何回も続くと、こりゃいか ん、これは人真似だ、と気が付いてやめる努力をする場合もあるが、すっかり自分自身の 言葉として定着してしまう事もあるだろう。  尤も、こうした個人個人の言語の変化が集積すると、一つの言語の変化になるわけだか ら、別段不思議と言うほどではないのだが、わざわざ文章にして書くまでに至ったのは、 いかに、人の口調を使って喋るのが簡単かと言う事なのである。最初に言ったように、他 人の口調で話すと、すらすらと臆面無く話せたり、場合によっては、相手に受けが良かっ たりする事もある。  これは、言語と言うものはそもそも真似から修得が始まるのだから、当然なのかも知れ ないが、では、何故真似だと楽なのか。  恐らく、こういう事ではなかろうか。すなわち、他人の口調を用いるときは、その言い 様が想像できるからである。既に先人が居て、その人の言い様と、その効果を知っている わけだから、自分に置き換えても、似たような感じになるだろうと、言ってしまう前から 全体像が掴めるのである。これは、かなりいい加減な全体像なので、実際の効果の方はさ んざんの場合もある。人によって、その口調が似合ったり似合わなかったりするからであ る。しかし、本人は、そこまで検証しないで、平気でそのまま突っ走ってしまう人も多い だろう。かくいう私だって危ないものである。  それに比べて、自分で言葉を選び、自分の独自の語り口を創造して行くのは、労力のい る事である。これから自分の言う事が、果たしてどんな感じになり、どんな印象を相手に 与える事になるのか、手本が無いだけに想像しにくいのである。 これでは、確かに余り速くは喋れないだろう。  だが、やはり私は独自路線を歩みたい。せっかくの自分と言うものを無駄にしたくない のだ。有名人の口調を真似して居る人を見かけると、その人の個性や、本音が現れてきて いないように思われる事が多いのである。そういう失敗はしたくないし、独自路線で行っ た方が、自分自身の精神に対して、自然で優しいような気がしている。            (平成五年十一月十日)