曲目紹介 開始 1994.2.7 高野 獨源   モーツァルト作曲 ピアノ協奏曲第二十六番『戴冠式』 「モーツァルトは、ピアノ協奏曲を二つのものの統一だと見なしていた。 すなわち、個人(ソロ)と共同体(オーケストラ)の分離というものに魅了 されていた一方で、その分離から、新しい秩序が生成されるのである。(ヴ ィルフリート・ロラース 拙訳)」この個と集合体との融合を、彼は、音楽 の中でしか、果たすことができなかったのではあるまいか。そして、我々も ……彼の音楽の中に、その理想の姿を見出すのかも知れない。 (この文章は、一九九三(平成五)年七月十日に行われた、かもめ合奏団 の第 十一回定期演奏会のプログラムのために書いたものである。) ベートーベン作曲 ピアノ協奏曲第五番『皇帝』変ホ長調  お待たせ致しました。いよいよ、かもめ合奏団の得意とする(?)、協奏 曲のお時間がやって参りました。当合奏団では、ここ数年を見ても、ブルッ フ、モーツァルト、メンデルスゾーンなどの多数の協奏曲を、素晴らしい独 奏者をお迎えして演奏してきたのですが、この度も、素晴らしいピアニスト をお迎えし、ベートーベンを演奏することになりました。  うなずくのは「肯定」、学校にあるのは「校庭」、そして、ピアノ協奏曲 と言えば、不朽の名作、『皇帝』です。この曲は、一八〇九年、ルートヴィ ヒ・ファン・ベートホーフェン(ドイツ語の発音により近い)によって、ウ ィーンで作曲されました。一八〇九年と言えば、ベートーベンは三十九才、 西洋では、ナポレオンがウィーンを占領して、ベートーベンも、大変な時だ ったのではないでしょうか。ええっとその頃日本はと言うと、文化六年、徳 川第十一代将軍、家斉の時代ですな。いわゆる、文化文政時代というやつで、 十返舎一九、喜多川歌麿なんかが活躍してた頃ですかな。日本は泰平の世で したが、その頃西洋は戦争ばかりで、強い『皇帝』を望む気持ちも、分から ないではないですね。  第一楽章の途中で、遠くから『皇帝』の軍勢の足音が聞こえ始め、段々大 きくなり、ついに目前に出現する、こんな光景が目に浮かんで来ます。私事 ですが、この感動的な部分が好きで、高校生の頃、ブルーノ・ヴァルター指 揮のレコードで、この部分を繰り返し聴いた覚えがあります。  第二楽章は、ゆっくりで美しく、速い第三楽章に切れ目無く続きます。い ずれの楽章も、ピアノの輝かしい事この上無しと言った感じです。オーケス トラの方もつい興奮して、指揮者を無視して暴走する……なんて事はないよ うに。気を付けます、はい。  まあ、この名曲、私の解説なんか、一聴にしかず。ごゆるりと、ご鑑賞下 さい。  ところで、かもめ合奏団は、本当に協奏曲が得意なのかって?。うーん。 それはやっぱり、素晴らしいソリストのお蔭ですよね。                  (バイオリン、高野真一) 1995.6.24 フラームス交響曲第3番ヘ長調 作品90     Johannes Brahms Symphonie Nr.3 F-Dur Op.90    この曲は、一八八三年、ブラームスが五十歳の時に作曲したものである。 ブラームスの四つの交響曲の中では「渋い」「地味だ」などといわれ、演奏 される機会も他の三曲よりは少な目であるが内容的に充実した、素晴らしい 作品である。私は常々ブラームスの音楽には、北ドイツ的な重厚さとウイー ン的な流麗さとを感じている。それぞれ生まれ育った場所、長く住んだ場所 ということで、場所の印象が音楽にも影響しているのだと思うが、単純にそ の観点から見てみよう。この曲は北ドイツ的な第一楽章で始まる。つまり、 ちょっと暗くて重い第一印象を与える。長調の部分でもどこか影があるよう だ。続く第二楽章はからっと明るい。やっとウィーン的な晴れ間が見えた。 そして歌謡的な第三楽章。この旋律は一度聴いたら忘れることができない。 これも北国的な寒さがひそんだ曲だと思う。最後に、力強い重厚な第四楽章。 これまた、おどろおどろしく、暗い情熱を感じてしまう。こんなに北ドイツ 的な要素で充満しているのは、この第三番だけだろう。これが、渋い、地味 だ、と言われる所以であるが、それだけに、雲の切れ目からこぼれる明るさ、 輝きは、まぶしく、強烈に心に残るのである。 (この文章は、一九九六(平成八)年四月二十日に行われた、かもめ合奏 団の 第十四回定期演奏会のプログラムのために書いたものである。) <ベートーベン>交響曲第六番 へ長調 作品68『田園』  この曲は、ベートーベンが自分で標題を付けたものである。各楽章にも、 以下のような題が付いている。   1.田舎に着いたときの愉快な気分 2.小川のほとりの情景 3.田舎の人々の楽しい集い 4.雷と嵐 5.牧歌。嵐の後の喜びと感謝。  第二楽章などでは、本当に鳥の声そっくりな音が聞こえてくる。  ここは、ウィーン郊外、ヌースドルフのベートーベンの小道と呼ばれる森 の中。鳥がさえずり、小川がさらさらと流れる。何と平和な時間なのだ。そ ろそろ暑くなる季節だ。あっ、向こうから誰か来るぞ。ベートーベンだ。ベ ートーベンが歩いてくる……夢だ。夢に違いない。  夏の夢と言えば、 <メンデルスゾーン>の劇付随音楽『真夏の夜の夢』より「序曲」 である。(ちょっと強引だったか)  原作はシェークスピアで、主人公は、一組の男女。色々な事件が起こりつ つも、最後にはめでたく結婚するという物語で、あの有名な「結婚行進曲」 も、この『真夏の夜の夢』の中の一曲となっている。この「序曲」は、最初、 森の妖精たちのざわめきから始まる。やがて第二主題は、恋人同士の愛の場 面を表現する。そうかと思うと村人たちの踊りが始まったりする。序曲には、 様々な場面が凝縮されていて、そこから、物語全体の世界がかいま見えてく るのである。 さて、『真夏の夜の夢』は、劇音楽だが、 <ラフマニノフ>ピアノ協奏曲第二番 ハ短調 作品18 は、まるで、映画音楽のようである。れっきとしたピアノ協奏曲なのだが、 旋律が感動的で美しく、管弦楽が色彩感覚豊かで、音楽を聴いているのに映 像が想い浮かんでくる。また、ピアノのパートは、華麗、あるいは激しく、 深く、美しく、難しい。  この曲は、1901年に全三楽章完成し、ラフマニノフ自身のピアノ演奏 で初演された。ラフマニノフ(1873-1943)はロシアに生まれ、この協奏曲で、 作曲家として確固たる地位を獲得した。やがてロシアでの革命後、ソヴィエ ト政権に見切りを付け、アメリカに渡り、ニューヨークで、ピアニスト兼作 曲家として活躍を続けた人である。チャイコフスキーの後継者とも言われて いる。現在、この協奏曲第二番と、交響曲の第二番が、日本ではよく演奏さ れているようである。 (これは、1997年七月十二日のかもめ合奏団のプログラムに載った。) ブラームス 交響曲第二番ニ長調 作品73 ここは、ウィーン南郊、ツェントラルフリートホーフ(中央墓地)。男は、 極東日本からやってきた留学生。仮にS君としておこう。暇になると時々彼 はここに足を運ぶ。今日も市電71番に乗って終点のこの静かな墓地へやっ てきた。  今日も良く晴れた日だ。おじいさんおばあさんがゆっくりと散歩をしてい る。S君は、いつも通り、音楽家たちの眠る一角へと向かった。ベートーベ ン、シュトラウス、シューベルト。彼は順番に歩を進める。そして……彼が ある墓の前に立ったとき、それは起こった。その墓の主の霊が彼に乗り移り、 突然S君はいつもと違って流暢なドイツ語で喋りだしたのだ。  「私はヨハネス・ブラームス。肝臓癌で倒れ、ここに眠ってから、ちょう ど百年経ったな。わしの死後、世界は色々な事があったようだな。ここオー ストリアにしても、第一次大戦、ハプスブルク帝国の崩壊、ドイツ第三帝国 による併合、第二次大戦、独立。と言った具合にだ。しかし、わしの音楽は どうやら忘れられていないようなのは結構じゃ。ましてや、極東の島国日本 ですら、わしの没後百年だという事で、普段にもまして演奏の機会が多いと 聴く。わしが生きておる時には、こんな状況は、想像できなかった。そして この度、江東フィルでは、わしの第二番交響曲をやってくれるそうじゃな。 頑張って頂きたい。  この曲はな、1877年9月に完成したのじゃ。その前に作った第一番は、 大分時間が掛かったが、第二番は、すらすら筆が進んだわい。他の三交響曲 に比較して、ずっと明るい雰囲気なのがお分かりかな。第一番の張りつめた 感じ、第三番の絶望に近い哀愁、第四番の悟りと諦念のかいま見える雰囲気。 そういったものよりは、もっと自然な、穏やかな、喜びある曲となったよう だ。まあ、第ニ楽章にいつもの諦念がちょっと顔を顕したかもしれんのう。 しかし、第三楽章の穏やかだったりおどけたりする感じ。第四楽章の楽しさ。 いずれにしろ、わしらしい音楽なのじゃ。ま、成功を祈る。」  ブラームスの霊は去った。  ふと我に返ったとき、S君のドイツ語は、またへたくそになっていました とさ。 フランク 交響曲 ニ短調 江戸は深川。二人の町人の会話である。 −管兵衛「よう、弦さん。いってえどこへ行くんだい」 −弦蔵「やあ、管さん。ちょいと音楽聴きに行こうと思ってね。江東フィル の演奏会があるもんすから」 −管兵衛「いやー粋なもんだね。なになに、セザール・オーギュスト・フラ ンク?誰だいこりゃ」 −弦蔵「知らないんすか?、管さん」 −管兵衛「うるさい。生意気な奴だな」 −弦蔵「セザール・フランクは、1822年に生まれて1890年に死んだ フランスの作曲家でさあ。フォーレもふらんす人ですから、それに合わせて 前の曲もふらんす人の曲にセザールを得なかった……」 −管兵衛「くだらない事言ってんじゃないよ。で、『交響曲 ニ短調』ての は、どんな曲なんだい」 −弦蔵「フランクはこの曲を1885年から1886年にかけて作曲したん です。交響曲としては、これ一曲しか作ってないので第何番などという番号 は付いていないんです」 −管兵衛「ほほう」 −弦蔵「全部で三楽章から成り立っているんです。テンポの変化が激しく、 息をつく間もなく調が変わって行きます。彼は転調の天才で、普通良くある、 五度四度の近親調への転調ではなく、三度の転調というやつを頻繁に使って いるんですよ。猫の目のようにくるくると気分を変えて行く、やっぱりフラ ンス的なものを感じますねえ。今日の演奏はそれが出せるかどうか。注目し たいですね」 −管兵衛「ううむ。お前さん詳しいな。そこまでとは知らなかった。実はな 弦さん。ちょいと言いにくいんだがな……」 −弦蔵「何です。やだな弦さん。我々の間柄じゃないですか。何でもフラン クに言って下さいよ」 −管兵衛「あっしは今日、江東フィルでフランクを演奏するんだよ」  ちゃんちゃん。お後がよろしいようで。 (以上二つは江東フィルの曲目紹介) ベルディ『アイーダ』序曲 『アイーダ』は、エジプトを舞台にしたオペラで、1871年にカイロで初 演されました。ベルディ58才の時でした。 チャイコフスキー交響曲第4番 へ短調 作品36 この曲は、1878年にモスクワで初演されました。チャイコフスキーの交 響曲中で、5番、6番(悲愴)とともに現在演奏される機会の多い曲です。 第一楽章。おっと、フラットが4つも出てきた。これは、チャイコフスキー の『運命』なのです。抵抗しても勝つことのできない運命。うわっシャープ が5つになった。絶望の中に夢想してみたりもします。しかし、やはり厳然 たる運命には逆らえないのでありました。「さらってなーい」と替え歌できる 部分を繰り返して、激しく第一楽章は終わります。 第二楽章。フラットが5つだ!でも、静かで悲しい旋律です。オーボエの音 色がたまらない。冬の(悩みの)音楽のようですが、そこにも明るい希望は存在 するのでした。ちょっとですが。 第三楽章。なんと、弦楽器は、弓を使わずピッチカートのみです。架空の世 界に遊んでいるのか。何だか浮ついた感じでもあります。夢を見ているのか、 はたまた、悩みすぎておかしくなったのか、とにかく自由闊達です。 第四楽章。へ長調で始まります。派手!明るい。しかしそれは、泣き笑い、 空元気とも言えそうな所があります。過酷な運命と、わずかな希望とが、せ めぎあっているようです。かなしげな旋律に続いて、ちょっとべそをかきそ うになる。そして、ついに現実の運命を思い出してしまった!(冒頭のファン ファーレの再現)。だがまてしばし。さんざん悩んだ後で、ついに悟りの境地 に達してきました。「そうだ。落ち込んでばかりじゃいけないんだ。運命には 勝てないが、明るくがんばろう。」やがて、そんな青春ドラマのような叫びが 聞えてきます。演奏者もお客さんも、それを確信しつつ、演奏は、ファの音 で堂々と終わります。パチパチパチパチ エンゲルベルト・フンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』前奏曲 『ヘンゼルとグレーテル』は、言わずと知れたグリム童話の中の有名な一話 です。ヘンゼルとグレーテルが森の中を歩いていると、恐ろしい魔女の家に紛 れ込んでしまい、危うく煮て食べられてしまう所を、知恵を働かして助かり、 ついでに悪者の魔女も退治してしまうという、あの話です。フンパーディンク は、ワーグナーがドイツの神話をオペラにした手法を取り入れ、この童話をオ ペラにしたのです。グリム童話と言えば、『本当は恐ろしい…』シリーズもあ り、また、実際原典はかなり恐ろしい部分もありますが、ここでは、どうも、 楽しい部分を強調しているようです。というのも、元々は、妹の子供たちに家 庭劇として作ったのが、このオペラのそもそもの始まりなのでした。その後に その妹ヴェッテの台本を基に本格的なオペラとして作曲し直して、1983年 12月23日、リヒャルト・シュトラウスの指揮によりヴァイマール宮廷歌劇 場で初演されました。 フンパーディンクはこれにより、その名を確固たるものにし、『ヘンゼルと グレーテル』は、クリスマスの時期になると、よく上演されるそうです。ちな みにこの『ヘンゼルとグレーテル』をより日本語的に訳すと、『ハンスちゃん とマルガレーテちゃん』となります。 セルゲイ・ラフマニノフ 交響曲第2番ホ短調 作品27 初演は、1908年1月26日、ペテルブルクのマリンスキー劇場でシロテ ィーの指揮によります。現在この第2交響曲は、3つの交響曲の内、最も頻繁 に演奏されています。ドラマにも使われました。 あわれラフマニノフは、第1交響曲で酷評を受け、神経衰弱に陥っていまし た。ところがニコライ・ダール博士の治療のお陰で、三年後には回復し、19 01年には、これまた有名なピアノ協奏曲第2番(当団でも既に演奏済み)の 成功で、すっかり元気になりました。さあ、いよいよ作曲です。 交響曲2番のそれぞれの楽章は、強い個性を持ったものとなりました。この 度は誠に僭越ながら私個人の印象を述べさせて頂きましょう。 第1楽章−薄暗く、心の中で何かが錯綜して蠢いている感じ。熱い情熱もある が、やはり冬の厳しさの前に閉ざされていくかのようである。 第2楽章−閉ざされていたものがついに爆発したようでもある。途中の激しい フーガ。何者かに追われるような、追いかけるような感じ。しかし、その後に 戻ってくる主題は、激しさの中になにか吹っ切れたような感さえ受ける。 第3主題−冒頭のドラマでも使われた有名な旋律。そして、その後に続くクラ リネットの旋律。私は、これは過去の思い出に対する憧憬ではないかと勝手に 思う。諦めなければいけないのは分かっているが、まだ諦めきれない気持ちが 顔を覗かせる。しかし、最後には完全な静けさの内に全ては浄化される。 第4楽章−ある私の知人は、この楽章を「ほかの楽章とは全く違う曲だ」と言っ た。私もそんな気がする。実はここだけの話、私はこれを聴くと、西部劇を連 想してしまうのだ。(じつは、第2楽章でも、時代劇を連想してしまう所があ る。)前楽章で浄化され、全ては終わってしまったので、はしゃいでしまった か、あるいは、前楽章までが鬱々としていたので、かえって狂騒に陥ってしま ったのか…。多分前者だろう。そのせいか、この明るさにも、不思議と違和感 は感じない。私はここでチャイコフスキーの終楽章に良くある活力大爆発の雰 囲気との共通性を感じる。そう言えばラフマニノフは、チャイコフスキーの後 継者を自認していたとか…。ただ、やはりラフマニノフらしいことはらしいの で、どこまで行ってもラフマニノフなのだなと最後に思う。 完全に個人的な印象を述べさせて頂きました。皆さんは、どう感じますでしょ うか。このような曲を演奏する時は、気持ちの切り替えがとても重要なのだと 思います。そういう点でこの曲は難曲だと私は思います。どうぞ当団の演奏に ご期待下さい。 (これはかもめ合奏団の曲目紹介) 交響曲第7番イ長調 作品92 作曲期間 1811年末-1813年 1813.12.18公開初演 ウィーン大学講堂 Ludwig van Beethoven ルートヴィヒ・ファン・ベートーベン (1770-1827) はドイツのボンで生まれた。名字から分かるように、オランダの家系である。 父は酒飲みだが厳しい音楽家で、この父から幼少の時にピアノなど音楽の指導 を受けた。17才頃から憧れのウィーンに住んだ。 性格は偏屈でつきあいにくく、複数の病気持ちで、引越し魔。よだれをたらし いてる。見てくれは、全然かっこよくない。 好きになる女性はことごとく、不釣合いに身分の高い人か、既婚者ばっかり。 そのせいか一生独身。 こんな風に、ベートーベンの私生活は、あまりよく語られないようだ。 そんな私生活に反して、音楽家としては、楽聖とまで呼ばれている。絶対音楽 を確立し、当時から評判のピアニストにして作曲家。9つの交響曲、5曲のピア ノ協奏曲、32曲のピアノソナタ、17曲の弦楽四重奏曲、バイオリン協奏曲、オ ベラ『フィデリオ』、序曲など多数の作品。そして、小品にも有名な曲が多い。 古典派からロマン派への扉を開き、音楽を貴族のものから市民へと開放したと も言われる。 時代はフランス革命とナポレオンの時代。そういえばナポレオンとは一歳違い である。音楽を市民のものとしたと言う点は、やはり時代の申し子だったのか もしれない。 1798年ごろから耳が聞こえなくなって来る。一度はウィーン郊外のハイリゲン シュタットで遺書まで書いたベートーベンだったが、やがてその運命を力強く 乗り越え、交響曲などを次々生み出してゆく。 ベートーベンが40歳の頃、ナポレオンがヨーロッパ中に猛威を振るっていた、 ナポレオン率いるフランス軍は、ベルリンを落とし、ベートーベンの住むウィ ーンを落とし、しかし、1812年には冬将軍に阻まれてモスクワから大敗走した。 また、このナポレオン敗走と同じ1812年、ドイツ文学、いや、世界の文豪、詩 聖と呼ばれるゲーテにも会っている。楽聖と詩聖の出会い。そんな激動の環境 ・変化の中で作曲されたのが交響曲第7番イ長調である。 特徴としては、この曲のことを、ワーグナーが『舞踏の神化(聖化)』と呼ん だくらい、リズムの音楽であるといえる。リズムの饗宴と呼ぶ人もいる。かつ、 とても明るく、力強い曲となっている。 1楽章 Poco sostenuto-Vivace 序奏は、4拍子で淡々と進んでいく。やがて、 8分の6拍子の、タータタ、タータタが始まる。そうなると、旋律も伴奏も、も うこのリズムだらけで曲が進んでいく。演奏は、このリズムのため、かなり難 しいものとなる。(言い訳ではない!?) 2楽章 Allegretto とても厳かで、綺麗な楽章である。この交響曲の中で、 唯一悲しげである。途中に現われる回想シーンのような長調の部分ですら、諦 念に満ちている。フーガ的なポリフォニックの技法も用いられている。 3楽章 Presto 再び明るく軽快なスケルツォ。スケルツォが一段落すると田 園的な旋律が現われ、この二つの要素が交代しながら曲が進んでいく。 4楽章 Allogro con brio 力強い楽章。アクセントが特徴的で、ロックの元 祖のようにさえ聞こえてくる。最初の力強い2つの和音に続く、2拍子の後打ち のアクセント付きリズムが始まると、そのリズムで最後まで駆け抜けてしまう。 (江東フィル2006年7/9用 深川獨源庵名で)