我が高校時代 高野 獨源 私の高校時代と、中学時代を区別するのは、大学時代と高校時代、小学時代と中学時代 を区別する事よりも難しい。私の高校は、中学とつながっており、高校に入学する事は、 中学四年生に成るようなものであった。あるいは、中学時代というものは、高校マイナス 三年、高校マイナス二年、高校マイナス一年であったともいえる。そんな訳で甚だ曖昧な 境界線なのだが、後から考えると、ようやくプラス一年生になった頃から、約三年の間と いうものは、私に取って、特殊な一時期であった。又、現在にも引き継がれているかも知 れぬ私自身の特殊性をしっかりと方向付ける事にも成ったのではないかと思う。  簡単に言ってしまえば、我が高校時代は、二百八十四年年上のヨハン・セバスチャン・ バッハと、二百四十五年先輩のイマヌエル・カントと、百二歳違いの夏目漱石が全てであ った。そして、この音楽家、哲学者、文学者の世界に深く入り込んで行くと共に、現代の 世相を現したドラマの世界に、現代日本のバッハ、カント、漱石の面影を見出ださんと、 のめり込んで行ったのであった。  私は、一九八五年の事を思い出す。この年は、劇的に始まった。  既にバッハ気違いであった私は、新年を、遠いドイツ、ライプツィヒからのマタイ受難 曲の演奏で明かした。一九八五年は、バッハ生誕三百年記念の年であった。バッハへの傾 倒は、ますますその度を深め、三月には、チェンバロの先生を探してきて、習い始めた。 また、『うちの子にかぎって』(TBSドラマ)の一九八四年版の再放送を見て、その世 界に引かれ、ビデオの機械を買った。夢の記録も始めた。記録という点では、ビデオも夢 の記録も同じ意味を持っていた。  こうして、四月を迎えた。即ち、それまでのマイナス高校時代を終えて、プラス高校時 代に入ったのである。  十二日には、『うちの子にかぎって』の一九八五年版が始まった。十三話全てが終わっ たのは七月二十六日だったが、この期間に自分は変わっていた。先ほど述べた現在の特殊 性は、この間に方向付けられた。  既に、全てを意識の世界に乗せようとする挑戦を始めていた。     (平成五年十一月十五日〜)