筆 記 用 具 高野 獨源  書きやすいペンに就いての原稿を頼まれたとき、エエッとたじろいでしまった事をまず 白状してしまおう。  なんせ、会社では文章を書く時には、殆どコンピューターを使っている上に、家に帰っ てからも、平成五年の夏から導入したノート型コンピューターで用を済ませてしまい、ペ ンとは大分御無沙汰しているからである。元々字が下手なので、これ幸いとせっせとコン ピューターに向かっている。筆記用具が目に止まると、字が下手で苦労した時代が思い出 されるので、つい目を背けてしまう。今では、できるだけ見ないよう、ペン立ての方角に 目をやらないように無意識的にしてしまうほどなのである。  そんな訳だから、できるだけ、筆記用具とは、余りどろどろした関係にならないよう、 さらりと、距離を保って付き合おうと思っていた矢先の原稿依頼、思わずエエッとなって しまった心境も納得頂けると思う。  しかし、そんな僕だが、筆記用具に関しては、ながーい歴史と物語があるのである。そ れに、人に言えない?秘密もある。どろくさい付き合いがある。確かに今は、コンピュー ターに関心が移るにつれ、筆記用具への関心は薄れているが、本来書く事が本業だったよ うな我が学生時代に於いては、筆記具には大分変な凝り方をしていた。その頃を再確認す る意味もあるので、その一部をここで披歴してしまおうか。       我が鉛筆時代  小学校の頃は大体鉛筆だった。高学年の頃、百円のシャープペンシルを使っていた事も あるが、まあ鉛筆時代と言ってもいいだろう。とにかく一本をぎりぎりの短さになるまで 書く事に執念を燃やしていた。その一本が完全に使えなくなるまでは、決して他の鉛筆に は手を出さない。一応削ってはあるが、先が尖ったまま、筆箱の中で順番を待っている。 二段式の筆箱で、十本ほどの鉛筆が控えているが、結局使っているのは、一本だけである。 その一本がなくなったりするともう大変である。パニックに陥り、もう何をやる気もしな くなってしまう、いわゆる無気力状態に陥る。     我がシャーペン時代  中学入学祝いで学校から、シャープペンとボールペンの一緒になった物を貰った。これ を使ったり、水色や黄緑の百円シャーペンを使ったりしている時代があった。入学祝いで 貰った物は、ある時どこかに無くしてしまった。高校入学で、また同様のペンを貰ったが、 こちらもすぐに壊れてしまった。そこで、この百円シャーペンは可成長い間使っていた。 そのうち三本ぐらいは、小学校の時に買った物である。その後数本を買い足して、今度は、 平均的に使っていたが、なかなか壊れなかった。一番年季が入った物を旧国鉄の電車形式 になぞらえて、151系と呼んでいたのをはっきり記憶している。ああ、かんペンの中の シャーペンどもよ。       我が割り箸時代  何故割り箸なのか、首を捻る方もいらっしゃろう。じじつ、割り箸で、日記や小説を書 いていた時代が、確かにある。こんな筆記具を使っていたのは、吾輩ぐらいであろうが、 意外とよろしいので皆さんもやってみてはいががだろう。  まず、フィルムの円筒ケースに習字の墨汁を注ぎ、適度に水で割る。割り箸の、先を細 く削り、カッターで切れ目を入れた物を用意し、墨汁を付けながら、書く。  これが、書きやすい上に、毛筆っぽい風格が出る。それに、インクを付け付け書くテン ポが何ともよろしい。インクを付ける度に新しい文章が浮かんでくる。西洋の古い万年筆 のようだ。バッハなどもこんな感じで曲を書いたり、文章を書いたのだろうと思うと、何 だか親近感が湧いてくる。その時代の人間になった気分だ。  そうした訳で、今でも、この筆記具で書いた小説や日記のノートが僕の本棚には残って いる。   我が万年筆時代  万年筆も好きだった。中学の時、書道で万年筆を使った。母から借りた物で結構高級な 物だった。しかし、ちょっと太すぎて細かい字をたくさん書くには適していなかった。そ れでも時々何とか使っていたが、大学一年の夏も終わる頃、試験の時からの影響で使って いた予備校の鉛筆をやめ、木場の文房具屋で七百円の小さな万年筆を買った。これが思い の外書きやすい事。この七百円万年筆は、我が多作期を支えてくれた。『シャッフェン』 を創刊し、書きまくったのは、このペンを買った直後である。毎日毎日書きまくっていた。 この万年筆との出会いがなかったら、これらの作品は生まれなかったであろう。  一九八八年の九月に買ったこの万年筆の末期は、一九九〇年九月二十二日だった。ヨー ロッパで十分活躍してくれた感謝をする間もなく、帰国途上のフランクフルト空港で、何 かを書こうとした時に見つからないので気になったが、トランクのどこかに入っているだ ろうぐらいに考えていた。ところが、家に着いて見たら、やはり無かった。きっと、夢を 記録した後、ユースホステルのベッドの布団の間に紛れて気付かなかったのだろう。これ が、長い旅で唯一の紛失物なのだ。悔やまれたが仕方がない。百戦の友を失った気がした。 帰国後、ショックでしばらくぼうっとしていた。これからどうしようかと思った。しかし、 今思うと、旅の途中で無くなるのではなく、十分役にたった上に最後の最後で姿を消すと ころが、奴らしい、粋なところだったかも知れない。  丁度その頃になると、書きやすい、油性っぽいボールペンが売り出されており、僕はそ ちらに目を付けた。新しい時代の始まりである。     我がポールペン時代  普通のボールペンだと、冬になると書きにくくなったりしてしまう。しかし、この新製 品は違う。万年筆のインクを買う代わりに、僕はこのペンを買い始めた。一本一本を使う 期間は短いので、先代の万年筆のような、友情にも似た愛着は湧いて来ないが、重宝して 使っていた。種々の文章を書き、作曲をし、卒業論文を書き、答案を書き、授業のノート を取った。ある時の妹からの誕生日のプレゼントは、このボールペン十本だった。 「ボールペンが無くなってきたって言ってたでしょ。一応一年分ってことで」  本当なら、十本ぐらい、一年たたずに消えてしまうところだっただろう。しかし、この 頃コンピューターを導入し、時代は変わろうとしていた。日記をコンピューターに移し、 予定帳、住所録、財産帳、読書の記録、文章、手紙、旅行記、音楽、映像鑑賞の記録など、 次々と移していった。今や、夢の記録を含む、簡単な雑記だけが、ボールペンを必要とし ている。妹のプレゼントは、まだたくさん残ったままである。     我がコンピューター時代  一九九三年七月二十五日、ついにコンピューターを購入した。それから二年、もはや、 文字を忘れたカナリヤである。昨今テレビで筆記具のコマーシャルを見ると、結構良さそ うなのが宣伝されている。持ちやすくて疲れないというのもある。確かにそうなのだろう。 しかし、それが異次元の話のような気がしてしまう。それほど筆記具の世界から離れてし まった自分は一体何なのだろう。あれほど一本の鉛筆に執着し、シャーペンに鉄道の名を 付け、自分で筆記具を発明し、万年筆と寝食を友にした自分であったのに……それも、世 の中と、自分自身の移り変わりのせいだろう。十年前の環境、十年前の自分であったなら、 きっと、筆記具の画期的な新製品に大いに関心を持ったに違いない。この文章を書いてい たら、当時の自分と、自分を取り巻いていた世界を思い出し、懐かしくなると同時に、時 の移り変わりを考えずにはいられなくなってきた。                             終              (平成七年八月六日)