号獨源庵の件 高野獨源庵真一独笑 小生この度、号を獨源庵独笑と定めし事、まず貴殿に御吹聴仕つり候。獨源庵の由来は、 貴殿の関わる事大なるがためなり。すなはち、これを以って、その所以を著さんとする積 もりにて候。  既に、かの号、獨源庵は、小生の放浪時代にその成立の端を発するものなり。小生が放 浪時代は平成は四年睦月より始まりて、弥生までの間、欧州大陸を駆けずり回り、深川に 帰って来し早々、卯月には南の方、枝川といふ所にぞ移りたる。皐月には、貴殿の尽力に て、大久保の地に所を得て、やうやく落ちつきたり。ここにて小生獨源庵を結ぶを得、霜 月に至るや、深川に獨源庵出張所(またの名を深川獨源庵と申し候)を開きたり。我が獨 源庵の号は、まさにこの、両獨源庵より取りたるものなり。  平成五年長月にて、大久保獨源庵を去り、深川獨源庵に居を据ゑしが、深川獨源庵は、 小生の生地と言ふべき地にて、やうやくにして、放浪から帰った感のあり候。かつ小生年 明けて数へ廿六と成り候故、人間五十年ならば、その半ばを終えんとしておるなり。ここ は心機一転とて、号を披露仕つるもその意気なり。廿五にて名を替へつるに、公害問題に 当たりし田中兼三郎(正造)の例もあり。  独笑は芭蕉庵桃青の桃青に当たる部分とこそ考へられたく候へ。この独笑も由来の存す るものにて候。既に読みくだされし『しやつへん』の創刊号(昭和六十三年長月十二日初 版発行)にて漢詩人徒歩が吟じし絶句より取りたり。    絶句  徒歩   秋風齎涼香 秋風ハ涼香ヲ齎シ   想前年之涼 前年之涼ヲ想フ   吾机座独笑 吾ハ机ニ座シ独リ笑ミ   復願昔日幸  復タ願フ昔日ノ幸                     (昭和六十三年九月十一日)  かくして、正式には、高野獨源庵真一独笑なる長き名が出来たる事、知り置き下された く存じ候。偉そうな名なれど、名に税は掛からなければ、心配御無用に候。長しと言へど も、貴殿既にご承知の如く、多重人格傾向のある小生にとりては、まだまだ物足りなく御 座候。  漢詩を書くときには、やはり徒歩の方が上手そうなり。画はパカソ、音楽は国籍不明の ジーニッヒが控え候へば、獨源庵独笑は、やはり筆にて名を挙げんとせし者なり。  実は、高野独笑なる人物は、先の『しやつへん』第十巻(平成元年如月二十日初版発行) に「一九八五年」と言ふ文章を投稿しており候。編者の親戚と言ふ事なれど、調べれば、 系図に見あたらず、謎の人物なり候へば、小生が名を取りても事なからんとぞ存じ上げ候。 独笑は、ばせをのように、どくせうと書いて、俳句でも捻るのに良しなどと思ひ侍り候。 表向きには、高野獨源とぞ著すのが良ろしかるべき。  下らぬ事書き連ね候へど、御容赦被下度存じ申し上げ候。        平成五年十二月六日〜八日