夏の七つの短文集 高野 獨源 一 七月九日  今朝、というか、現在にも引き続く出来事がありましたので、ちょっとご報告いたしま す。  会社に来て、靴を履き替えていた時のことだった。  あっ。  大変なことが発覚した。これは、もう取り返しがつかない。恥ずかしいったらありゃし ない。  靴下のかかとに大きな大きな穴が開いていたのだ。しかも両方の足。ほぼ同じ大きさだ。  直径5cmはある。  今朝、保育園にはだしであがって、若い先生方に、 「おはようございます。よろしくお願いしまーす」 等と、さわやかに応対したつもりだったが、きっと、この穴を見て、引いていたに違い無 い。  そういえば、なんだかいつもより、よそよそしかった気がする。  私が去ったあと、大笑いしていた恐れもある。  そもそも、家族五人の靴下がごちゃごちゃに入っている籠から、朝のばたばたしている 時間に自分の靴下を探し出すのは、至難の業だ。  自分のを見つけたあとで、右左同じやつを神経衰弱して合わせるのだ。  とにかく合えばこっちのもの。そう思ったのが間違いだった。揃った事に喜びすぎて、 穴が開いているのが含まれていることを忘れていた。  穴が開いたらすぐ捨てれば良いと思うかもしれないが、雑巾として再利用しようとした のだ。雑巾としてでも、洗わないで使うのはちょっとはばかられる。  足をマジックで塗ろうかと思った。しかし、それがばれたら、かえって、おかしくはな いか。  今日は、家でベビーシッターさんが来ていて、その人にも、穴を見られてしまうことに なる。完全初対面だ。   二 七月二十九日    昨日夜、ちょっとした出来事があったので、聞いてください。  大したことじゃないんですが。  昨夜帰り、今日から出かける台湾関係の本を読むためにドトールに10分ほど入った時 のこと。  隣に若い学生二人が楽しそうに話しながら座った。  よく聞くと日本語じゃなかった。韓国語だった。  実は、私はスパイになるために(の訳ないですが)、現在、学生時代にやってた独英仏の ほかに、伊西露中韓五ヶ国語をマスターする野望に燃えつつ、だらだらと勉強はしている のです。  中でも、今年はアジア人であるのに、ヨーロッパ言語ばかりやってる自分に愛想を尽か し、中韓に力を入れて来ました。  中でも、まだ行った事も無いお隣の韓国。  そういった背景があったからでしょう。普段なら考えられないことですが、ついつい声 を掛けてしまったのです。  最初は英語からExcuse me ハングクサラミムニカ? チョヌンイルボンサラミムニダ。 (韓国人ですか。私は日本人です。)  ものすごくびっくりしてた二人、しかし、私の下手くそハングルを聞いて、とても、ほ っとしたような、友好的な雰囲気がその場に生まれました。  自分が学生だった時は、逆の立場に立ったこともあるような遠い記憶が蘇って来ました。  私も初めて実戦に使用したハングル。しかし、相手の日本語は、まだちょっとで、何と 英語が分からないみたい。  そんなに私の発音が悪いのか。  会話はきれぎれで、日本語、ハングル、英語取り混ぜて約10分弱、お互い照れたまま何 とか、終了して、別れました。  昔オーストリアをさまよっていたとき、おじいちゃんやおばあちゃんによく話し掛けら れたっけ。  自分も年の功か、逆の立場になってるようです。    三 八月三日    『音楽教室の巻』  四歳児カルルは六月から音楽教室に通い出した。  町にある普通の音楽教室だ。  知り合いにそう言うと、「えー、お宅は音楽一家なんだから、音楽教室なんか必要ない んじゃないの」 などと言われることもしばしばである。  実際は違う。まず、今のところ、何も教えていないし、われわれ夫婦もプロじゃないか ら、どう教えるべきか分からない。  しかも、親が教えるというのは、変に甘かったり、逆に期待を掛けすぎて厳しすぎたり、 上手くいかないという説もある。  実際通ってみると、他の子の方がよっぽど進んでいるように見える。  いや、むしろ、うちの子が一番・・・のようにすら見える。  先生に申し訳がなくなるくらい、言われるとおりにやらない。(出来ない?)  しかし、上手く弾いている子のお母さんにすら、 「お宅にはもったいないんじゃないかしら、音楽教室なんて」 と言われてしまうのだ。全く立場が無い。  そんなカルルは最初、「音楽教室行きたくなーい」と言っていた。  教室に入ると、なぜかクネクネしてしまう。  わざと椅子から落ちてみたり、挨拶しろといっても、そっぽを向いている。  体が痒いと言い出す。  緊張しているのだ!  自分の子供のときを考えると、分からなくも無い。  今だってそうだ。バイオリンを人前で弾いていて、急に弓の震えを押さえきれなくなる 事だってあるのだ。  しかし、カルルは、三回目くらいから、「音楽教室、好き」と言うようになった。 「これは行ける」と、かなり期待して教室に望んだが、教室に入ると、またクネクネしだ した。  家で取る態度とは、大きく違っている。家では見せない態度だ。  家では大きな声で歌うくせに、教室では泣きそうになりながら、口パクだ。  五回目くらいに小発表会があったが、登場するときに、なんとワニ走りで登場してしま い、他の子に「あの子、あんなふうにして出てったよ」と笑われてしまった。  しかし、最近ちょっと分かってきた。先生が好きなのだ。  先生に挨拶しろというと、クネクネして、わざとそっぽを向いてしまう。  他の人には明るく「バイバーイ」と普通に言っているのにだ。  先日『美しき日々』にヨンス役で出ているチェ・ジウを指差して、 「ちょっと、音楽教室の先生に似てない?」 と振ってみたら、照れていた。  やはりそうなのだ! 四 八月五日  四歳児カルルには重いテーマで、早いかと思ったのですが、成り行き上こんな会話が行 われたので、書きとどめておきます。  この季節だからでしょう、『その時歴史が動いた』(NHK)で、沖縄戦の映像を流してい ました。 カルル 「なーに、これ」 ジーク(私、どくげんのこと) 「ああ、これね。これは、グアムに行く前に話したけど、 日本とアメリカが戦争してたときの映像だよ。これはドラマじゃないよ。本物だよ」 (グアムに行く前、「昔日本とアメリカは戦争してたけど、今は仲良しで良かったねー。 みんなと仲良くしなきゃねー」というお話をした事がありました。) カルル 「これ、昔の話?」 ジーク 「そうだよ。じいじやばあばが子供のときのお話」 カルル 「どっちが強かったの?」 (ハリケンジャーのノリか) ジーク 「どっちが強かったのかねえ。とにかく日本は負けちゃったんだよ」 カルル 「日本人がみんな死んだの?」 ジーク 「みんなじゃないけど、いっぱい死んだんだよ」 カルル 「アメリカ人は死ま(ママ)なかったの?」 ジーク 「アメリカ人も死んだんだよ」 カルル 「アメリカ人は、1人死んだの?」 ジーク 「もっとたくさんだよ」 カルル 「5人死んだの?」 ジーク 「もっともっと。何万人とか何十万人じゃないかなー」(ジークの知識も生半可 極まりない。) カルル 「そうか。日本は、長く戦争して、鉄砲の弾が無くなくって、それで負けちゃっ たんだ。」(保育園で聞いたのか!!つまりは確かにそんなとこだ。) カルル、数字の単位が良く分からないので、しばし、数字の話がつづく。  番組では、砲撃場面のほかに、よれよれの子供や、死体がでてくる。 ジーク、ふと両親から聞いた話を思い出す。両親は東京大空襲当時、もっとも空襲の激し かった深川にいた。 ジーク 「じいじやばあばも、火の海の中を逃げ回ったんだよ。そうだ、カルルと同じ四 歳の時だよ」 カルル、ちょっと驚いた表情。 カルル 「それで死まなかったの?」 ジーク 「死ななかったから、パパもいて、カルルもいるんだよ。でも、じいじやばあば のお友達は、いっぱい死んだんだよ。ばあばに聞けば、そのときのこと話してくれるよ」 カルル、なんだか考え深げ。  その後、お風呂に入っていると、カルルは「今度、ばあばのうちに行こう。それで戦争 のときのお話聞こう」と言っていました。  ううむ。空襲の話は、子供に伝えていくのが、体験者の子孫の義務かとは、かねてから 思ってはいたのですが、ちょっと早すぎかな。 五 八月十一日  最近、昔の知り合いに出っくわしたりしたことがありますか?  ここ数年、よくそういう事があります。  その中の一つ、時間の不思議を意識させられるようなことがありましたので、小説風に 書いてみます。  小学生の思い出は色々あるが、その一こまにある登場人物が居る。  小学校二年の時から五年間同級だった女の子。  不思議なことに、その五年間で、何故か席が隣だったり、近くだったりした。  給食のときには、牛乳を飲みながら良く笑わしたっけ。雑巾は必需品だった。  学級委員も一緒にやった。遠足のときも隣。  陸上部でも二年間何故か一緒。100メートル走はライバル。  まあ、それだけといえばそれだけであった。  中学は二人とも全然ばらばら。卒業前に思ったことは、「四月からはみんな制服を来て、 それぞれの中学校に行くんだなー」という事。  四月以降、登校時の電車の中で、よく会う人には会った。しかし、例の人には全く会わ なかった。  時間が経って、そのうち意識から消えた。  二十年たった。夏祭りの季節。私が子供を自転車に乗せて走っていると…。 「xx君?」 と、呼び止める声。「ひさしぶり。○○です」  例の人だった。子供を二人連れていた。 「おおお」  話してみると、全然変わっていないことに気づいた。しかしお互いに子供が居たり、そ れぞれの立場が変化している事実は厳然としてある。  夫と一緒にずっと海外に居て、夏だけ子供と実家に帰ってきたのだそうだ。  こちらは結婚して独立するときに、何時の間にかその人の実家の近くに引っ越していた のだ。  そんな話をしただろうか。  時間が経ったような、経っていないような瞬間だった。 六 八月十七日  カルルとユルゲンはライバルか?  カルルとユルゲンは顔がそっくりです。二歳半も離れているのに、間違える人がいます。 (中には、わざと間違える人も…)  何を隠そう、親である私も、帰宅して奥をのぞくと、向こうに立ってニカニカしている のが、どちらだか分からないこともあります。  だから、うちは三つ子だと良く言われてます。  カルルはユルゲンには非常に厳しいです。 「こら、ジュン(日本語名)。取っちゃダメっ!」 と、語気荒く言っているのに対し、妹に対しては、 「マリちゃん。取っちゃダメでしょ。ね。ね」 と、妙にやさしいのが不気味です。マリーもおとなしくうなずいたりしています。  さて、何日か前のこと、母であるカトリンが、積み木を上手に積んでいるユルゲンを誉 めていた。 「まあ、上手ねー。ちっちゃん(日本語名その2)。」  そうしたら、近くにいたカルルが、 「う、うう、うえーん」 と泣き出したのです。 「ど、どうしたんだ。ばぶばぶ(カルルの日本語名その5)」  聞いてみると、自分の方が上手いのに、なかなか誉めてくれず、ユルゲンが誉められた から泣いてしまったのだと言います。  いきなり二人のお兄ちゃんになって、赤ちゃんがえり傾向のカルル……。それなのに、 抱っこされるのは、いつも下の二人ばっかりだ。  家の中じゃ、お兄ちゃんだが、外に出れば、まだまだ小さな四歳の子なんだ、と気づか される一瞬でありました。 七 八月二十四日  九月十一日の二歳の誕生日を目前に控え、二人は、急速に言葉をしゃべるようになって きて、会話と呼べるものが行えるような感じになってきた。  一ヶ月前までは、ママ、パパ、と、他には、うにゃうにゃと言っていただけだ。  ただ、その頃から、色々なものを指さしては、 「これ、なにの?」 と聞きまくり、やな事があると、「やだよー」と意思表示していた。  今や、「これは?」「これ、なにい?」 など質問のバリエーションが増え、答えてやると、反復してうなずいている。  逆に、「クマさん、どーれだ」と聞くと、「これー」と答えている。  また、やな時は、「あだ」「やだよー」の他に「やめてよー」が増えた。  そして、ト イレも「ちっち」「でんち」と教え、ミルクを飲みたいときは、「みくちゃん、のむ。」 (親がミルクのことをミルクちゃんと呼ぶから。)  犬を見ると、「わんわん、かっこー(抱っこ)」  「あたま、誰から洗おうかな」と聞くと、お互いに相手を指差して、「ちっちゃんから ー」「たりちゃんからー」とゆずり合っている。  本を読んでほしいときは、「これ、よむ」  英語の絵本を読み始めると、閉じてしまう、等のありさまだ。  テレビで一歳くらいの子供が映し出されると、 「あかちゃん、あかちゃん」と言って、騒いでいる。  彼らは、もう、自分は赤ちゃんじゃないと思っているのだ。  ここ四年か五年、「あかちゃん」とべったりだった獨源家にとっては、複雑な心境だ。   執筆日時及び場所   二〇〇四年七月から八月まで 東京 解説   この『夏の七つの短文集』は、二人の友人との電子メールのやり取りから   生まれたものです。二〇〇八年十二月三日に『夏の七つの短文 二〇〇四年』から、   『夏の七つの短文集』に題名を改めました。           初版発行 二〇〇五年四月二十七日 高野出版                  第二版発行 二〇〇五年十二月三日 高野出版