タイトル
第45話    ゴメンな・・・

 2002年10月 3日更新

 倒れて以来、サスケの呼吸の早さは治まりませんでした。堪えず、「ハッハッハッ」という呼吸を続けて
 います。「100メートルダッシュ」と書きましたが、まさに、我々が激しい運動をした後の呼吸と同じよう
 な呼吸です。後に分ったことなのですが、サスケの肺は、何らかの原因で大きく膨らむことが出来なか
 ったのです。病院では、「高齢ということもありますが・・・」と、言葉を濁らされましたが、真の原因は分
 らず終いです。サスケより、もっと高齢で元気に生きてるわんこ達は沢山います。「何で、サスケが・・」
 という怨み言と、「何で、もっと早く分ってやれなかったのか?」という自責の念、この時のサスケを見
 ているのは、本当に辛かった。この間にも、かかりつけの病院に連れて行くのですが、抱き上げて車
 に乗せるのも可哀相なほど、サスケは弱って来ていました。病院に行っても、治療という治療は無く、
 ただ、解熱剤の投与だけ。「こんなに苦しんでるのに、他に手立ては無いのか?」、こんな質問もして
 みたのですが、答えは返って来ませんでした。今、考えると、この不信感がサスケの命を縮めたような
 気がしてなりません。8月11日の夜、サスケは良く食べました。「お前、そんなに食べて大丈夫?」と
 思うほどに。でも、「これだけ食欲があるんだから元気な証拠だ。」と、嬉しかったんです。子ニャンコ
 が2階にいるし、サスケを抱き上げるのも苦しい思いをさせると思っていたので、サスケは一階で私と
 カミサンが交代しながら、一緒に寝ていました。その日は、私が2階で、サスケはカミサンと寝る夜で
 した。私は、いつも寝る時にサスケを撫でながら、「また、明日な」と言って寝るのが常でした。ですか
 ら、その晩も、「また、明日な」とサスケを撫でて2階に上がり床につきました。8月12日、早朝。5時
 過ぎだったと思います。誰かが階段を上がってくる気配に気付いて目が覚めました。カミサンでした。
 「なんか、サスケが2階に上がりたがってるみたい」と、言うのです。カミサンが言うには、一緒に寝て
 いたサスケが、むっくりと立ち上がり2階へ登る階段のところまで来て、ずっと上を見てるというのです。
 一階に降りてみると、相変わらず早い呼吸をするサスケがいました。「どうした、サスケ?」なんとか、
 サスケを横にさせようとするのですが、サスケは立ち上がります。どこに行くということはなく、ただた
 だ、荒く早い呼吸をするだけ。そして、私達を見つめるのです。もし、サスケが話す事が出来たら、
 何を伝えたかったのでしょう?大好きなジャーキーを見せると、寄っては来たものの、1本の半分も
 食べません。良くない予感がしました。時計を見れば、まだ朝の6時半過ぎ、かかりつけの病院は
 先生は通いで、診察は9時からです。私は、いてもたってもいられなくなりました。先に書いたような
 病院への不信感も相まって、近所で評判の良い病院に電話して診察を依頼してしまったのです。
 早朝ながらも応急処置をしてくれるというので、サスケを連れて行くことにしました。コタローの時も
 これで後悔したのに、私は、また同じ過ちを繰り返してしまいました・・・。ただ、そこにいるだけでも
 苦し気なサスケを、全く初めての病院の診察台に上げてしまったのです。診察台の上で、苦しそう
 な呼吸をするサスケを見て、先生は難しい顔で聴診器を当て、次の治療の為に準備にかかろうと
 した時、サスケは立ち上がって診察台を降りようともがき出しました。「ダメだよ、サスケ!」と、なだ
 めようとしたのですが・・・。「サスケ!サスケ!」、カミサンの悲鳴が診察室に響きました。信じられ
 ませんでした・・・。サスケは、そのまま逝ってしまったのです!ここまで、頑張って来た心臓が、こ
 の場の緊張に堪えられなかったのでしょうか、動きを止めてしまったのです・・。心臓マヒでした・・・。

      ウソだろ!サスケ!戻って来い!息しろ!起きろ!


                死ぬなぁぁ〜!


 文字に書くと、こんな陳腐なものになってしまいますが、目の前で起きた、信じられない出来事に
 取り乱し、こんな風に叫んでいたと思います。ハッキリ言って、良く覚えてないんです。こんな風に
 叫んでいたことは事実ですが・・・。気がつくと、先生が必死に口から息を吹き込みながら、心臓マ
 ッサージをしていました。ここで初めて、「この子、肺が大きくなりませんね。普通、息を吹き込む
 と、胸が大きく膨らむんですが・・・。」と、聞きました。その時、サスケが、どれだけ苦しかったのか
 が分かりました。歩くことも、立ってることも辛かったろうに。それを、無理矢理、こんなとこまで連
 れ出してしまった。これ以上、苦しめたくない!汗をかきながら必死にマッサージをしてくれる先生
 に言いました。「もう・・・結構ですから・・・」心電図の波は、平行に流れたまま。サスケは、二度と目
 を覚まさない、「それ、頂戴」って、お手と、おかわりを繰り返すこともない、私が帰っても、「お帰り
 なさい!」って迎えてくれることはない。サスケは・・・永遠に私達の側に生きて戻って来ることは無
 い。サスケを連れて帰る途中で考えました。立ち上がるのも辛かったサスケが、何故あんなに暴れ
 たんだろう?私の頭には一つしか浮かびませんでした。あの時のサスケは、きっと、「イヤだよ、こ
 んなとこ!お家に帰る!お家で眠りたい!」って言ってたと、思うんです。もう、自分の寿命が分っ
 ていたんじゃないかと。最後は、家で私達に看取られて、静かに逝きたかったんだと・・・。それを、
 私が妙な不信感と、ありもしない劇的な回復を望んだばっかりに、サスケを来た事も無い場所で死
 なせてしまったんです。この自責の念が、私を心底、打ちのめしました・・・。どうやって、サスケに詫
 びればイイのか?コタローの時も、「最後に病院なんか、連れて行かなければ良かった」と、散々後
 悔したのに、また同じことをサスケに強いてしまった・・・。私は、本当にどうしようもない馬鹿ですね。
 サスケは、逝ってしまいました。家にサスケを連れて帰ったものの、呆然とする私、号泣するカミサ
 ン、ソファには、いつものように寝ているようなサスケ。どのくらいの時間が経ったのでしょうか、私も
 カミサンも少し冷静になって来ました。「サスケ、お骨にしてあげないとな・・・。」と、私。「いつ?」と、
 カミサン。今は夏です、猛暑です。このままでは遺体の腐敗も早いでしょう。しかし、今日の今日、
 お骨にするなんて絶対にイヤです!私達は、ドライアイスを探しました。でも、日曜日ということで製
 氷店は、どこも休み。それならばと、葬儀屋さんを巡りました。少しでも、分けてもらえる事を期待し
 て。なかなか、「はい、どうぞ」と分けてくれないものなんですね。それでも、何軒か回るうちに事情
 を察し、分けて下さるところが見つかりました。これで、ユックリとサスケに最後のお別れが出来ま
 す。サスケには、感謝しかありません。私とカミサンは、交互にサスケを抱き締めながら、今まであ
 ったことを思い出し、いつまでもサスケに語り掛けました。私は、どうしても「ゴメンな、ゴメンな」に
 なってしましましたが・・・。そして、腑に落ちなかった事を、サスケに聞いてみました。「何で、最後
 の朝、2階を見てたんだ?」と。当然、答えを返してくれるものではないのですが、「最後に2階に上
 がりたかった」のではないかと思ったのです。捨てにゃんこが我が家に来てから、そして、倒れてか
 ら、サスケは2階に上がれませんでした。それまでのサスケは、いつもカミサンのベッドで寝ていま
 した。最後にあそこで寝たかったんじゃないかと。こんなことにも気がついてやれない、本当に私は
 ダメ飼い主です。それを思うと、また涙が溢れました。そして、次の日の朝、サスケを2階のカミサン
 のベッドに寝かせてやりました。光の一杯に入ったとこで寝かせてやりたかったのです。いつまでも、
 サスケと一緒にいたかったのですが、荼毘にふす時間が近づいて来ました。火葬場に行く途中、サ
 スケの歩いた散歩コースを車で回りました。「ここで、よく遊んだなぁ。」「コタローと追いかけっこした
 原っぱは、こんなになっちゃったよ。」「ほら、ユメちゃんの家だよ、バイバイしな。」「この畑、走って怒
 られたな。」・・・ 何だか、サスケが14年間歩いた道が、何故か懐かしい景色に見えました・・・。



大好きだった、カミサンのベッドで。

生きているうちに、寝かせて

やりたかった。何で、気付いて

やれなかったんだろう・・・。


火葬は、コタローと同じ

場所に、お願いしました。

大好きなボールも持たせました。



サスケを、家で眠らせてあげられなかった自責の念は、今でも消えることはありません。
私の寿命が、如何ばかりかは分りませんが、私の寿命が10年短くなっても構わない
から、8月12日に戻して欲しい。そうすれば、絶対に病院なんかで死なせなかった!
なんて、ずっと考えてました。これが、なかなか立ち直れなかった大きな要因でした。
でも、遅かれ早かれ、私もサスケのいる世界に行くのです。そしたら、そこで土下座して
謝ろう!って考えました。サスケもコタローも、「虹の橋」で待っていてくれるかなぁ?

サスケがいなくなった部屋の中は、とても広く感じます。
お気に入りに座布団の上に、ひょっこりお座りしてるような気もします。
あの子の、とてつもない大きな存在感に、今更ながら驚いたりもしています。
だけど、もう、この手で撫でてやることも、抱き締めてやることも出来ません。
ただ、あの子は、いつまでも私達の大事な大事な家族であることに
変わりありません。コタローの何倍もある骨箱に入ったサスケは、
コタローと並んで、今でも家にいます。これからも、ずっと私達と一緒です・・・。


最後に、たくさんのお悔やみや、励ましのメールをいただきました事に
今一度、お礼申し上げます。

本当に、ありがとうございました!




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