タイトル



第40話   散りゆく桜とともに...
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 「コタロ−と、桜を一緒に見たい」前回の更新で書いたことが、コタロ−に伝わっていたので
しょうか?満開を過ぎた桜が散り始めた、平成13年4月7日21:03に、コタロ−は天国に召
されました。寒い寒い冬を越えて、ようやく暖かい季節が巡ってきたのに。もう一度、緑に染ま
った多摩川の河川敷を家族揃って歩くことを夢見てたのに・・・。でも、ここまで良く頑張ったも
んね。辛かったもんね。もう、苦しむことはないよ、ゆっくりお休み、コタロ−・・・。

何の因果か我家に来て10年。生まれた子供が小学校の5年生に、10歳の子供が20歳の
成人式を迎えるまでの期間「10年」という年月・・・、私達はコタロ−と共に過ごして来ました。
朝、起きればベッドの上に寝てる。家に帰れば、トコトコ玄関まで迎えに来る。それが当たり
前の存在だったコタロ−が、いなくなってしまいました。「悲しい」「寂しい」、どんな言葉を用い
ても、今の気持ちを言い表すことは不可能でしょう。生きとし生けるものに滅する時が来る事
は、百も千も理解しています。しかし・・・どうしようもなく辛いです・・・。

1度ならず2度までも、生死の淵から帰って来てくれたコタロ−ですが、3度目はなりませんで
した。6日の夕方、カミサンから電話が入りました「コタロ−がおかしい!」、カミサンが帰って
みると、いつものように寝ているようだったものの、気付いて起きたコタロ−の鼻の回りがドス
黒かったそうです。先生から言われていました。「悪くなると鼻汁が出てきます。」、その悪い
症例そのものでした。鼻汁、俗に言う「青っぱな」のように「膿状」の鼻汁が出始めたのです。
すぐにカミサンは、病院に向かいました。私もすっ飛んで病院に向かいました。病院の前で
ちょうど一緒になり、コタロ−を見てみると確かに鼻汁が流れていました。そして、診察台に
乗せられたコタロ−は自力で立つことも出来なかったのです。「厳しいですね・・・。」という先
生は、いつも通り「強心剤」の注射をしてくれました。そして、食事を口にしなくなったことを伝
えると、流動食を与えてくれたのですが、これは「言わない方が良かった」と、後に後悔しまし
た。家に帰り、何とか立ち上がることは出来るようになったものの、2度目の生還の時のよう
な「好転」はありませんでした。そして、次の日・・・。朝から、鼻汁を流し呼吸も苦しそうでした。
もう、コタロ−に残された時間は尽きかかっていたのだと思います。今から考えれば、あの時
点で、無理に病院に連れて行かなければ良かった。注射をされる「痛い」思いと、「何をされ
るのか?」という恐怖心を、余命の限られたコタロ−に強いることも無かったろうに。結果を見
るにあたって、やりきれない悔恨の念に駆られます。しかし、私達は病院に連れて行ったの
です。その日も打たれた「強心剤」・・・、私達にとって頼るものはこれしかありませんでした。
しかし、この日の「強心剤」はコタロ−に苦痛しか与えなかったのです。止まりかける心臓を
無理矢理に動かすのですから・・・。他の衰弱した臓器は、それに付いていけなかったので
す。昨日の流動食さえも消化しきれない胃が悲鳴を上げました。家に帰り、横になっていた、
コタロ−がいきなり立ち上がりヨロヨロと玄関に歩き出しました。どうしたのか?と、後を追う
と、本当に苦しそうに胃の内容物を吐きました。こんな状態になっても、部屋を汚さないよう
に玄関に向かったコタロ−がいじらしくて涙が出ました。「どこも行かないで、ここで出してイ
イから!」ソファ−の上に横になるコタロ−は、それから何度も戻しました。昨日、「食べなく
て・・」と言わなければ、流動食は与えられかなったはず、そうすれば「吐く」などという苦痛
を、弱りきったコタロ−に与えなかったものを・・・そして、今日病院に連れていかずに見送っ
てやれば良かったものを・・・後悔しかありませんでした。「生きて欲しい!」という、私達の
望みが、逆にコタロ−を苦しめてしまった。今は、そんな気持ちしか湧いてきません。最後
の最後まで、流れ出る鼻汁を拭かれることをイヤがり首を振って逃れようとしていました。
そして・・・ついに「その時」が来てしまいました。何度目になるでしょう?また、苦しそうに吐
いたのです。「鼻拭いても反応しないよ」と、カミサンが涙声で言いました。その後、大きな
深呼吸のような息遣いを2度3度・・・ ようやく「苦痛」から解放されたコタロ−は静かに息を
ひきとりました。もう、コタロ−が目を開けることはありません。甘えて纏わりとくことも、玄
関に迎えに出てくることもありません。その事実を、懸命に理解しようとしてる私達の横で
サスケが、いつまでもコタロ−の顔を舐めていました・・・。

私達にとって「救い」だったのは、最初に倒れた時も、2度目も、そして「最後」も、土曜日
か日曜日で、二人とも家にいた時だったことです。たった一人で旅立ってしまうことを懸念
していたので、これだけは不幸中の幸いと思っています。そしてね、動物というものは人間
も含め、亡くなると驚くほど冷たくなるんですよ。ところが、コタロ−はそんなに冷たくならな
かったんですよ。翌日になっても体は硬直してるのに、首は最後までブラブラと動いたんで
すね。だから、本当に眠っているようで「起きて来るんじゃないか?」と思えたほどでした。
コタロ−は、間違いなく 「家族」の一員でした。昨日(4月8日)、コタロ−を荼毘にふして
きました。「お骨」になってしまったコタロ−ですが、これからも「我家の一員」であることに
変わりありません。いつまでも、私達の心の中に住んでいることに変わりありません。
このHPを見ていただき、コタロ−を愛して下さった皆さんの心の端っこにでも

        「コタロ−というワンちゃんがいた」

ことを覚えておいていただけたら、本当に嬉しく思います。葬儀社の方に「いつまでも悲し
んでいると、コタロ−ちゃんが成仏出来ませんよ」と言われました。
そうですよね、コタロ−はこれからもずっと、私達の家族なのですから!

      コタロ−、我が家に来てくれて本当にありがとう!

         キミがいたことで、どれだけ救われ、癒されたことか

                  ホントに、ホントに、ありがとうね

サスケ一人になってしまいましたので、「サスコタ物語」「サスコタな日々」として、続ける
かどうか悩んでいます。今は、深く考えられませんけど、もし「更新」されるようなことがあ
ったら、遊びに来てやって下さい。最後になりましたが、コタロ−や私達を激励して下さ
った皆様、本当にありがとうございました!どれだけ、私達やコタロ−の支えになった
ことか。皆さんの応援があればこそ、コタロ−も頑張ってくれたのだと思います。一生懸命
コタロ−は生きました。残念ながら力尽きてしまいましたが、皆さんに感謝してると思いま
す。親バカの戯言と聞き流して下さって結構ですが、皆さんのお気持ちには心から感謝し
ております。本当にありがとうございました。しかし、いつまでも、落ち込んでいません!
すぐに立ち直り、コタロ−の頑張りに応えられるようなHPにしていきますので、これからも
よろしくお願いいたします。

                         平成13年4月9日    TAKAさん




 


コタロ−の生前最後の写真になってしまいました・・・。

この時も、サスケは必死にコタロ−を舐めに来ていました。

残り少ないコタロ−の命を察していたのでしょうか?





翌日、「告別」に行く時です。

サスケは「連れていくな!」と、訴えてるようでした。







「撫でてあげるのは、最後になります」と言われた時は

「このまま連れて帰ろう!」という思いに駆られた・・・






姿形は変わっても、コタロ−は帰って来ました

これからも、我が家の家族に変わりありません!





皆さん、応援ありがとうございました。


ボクのこと、忘れないでね!ありがとう!


と、コタロ−は言ってると思います(親バカ覚悟)




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