タイトル



第12話    別れ
 病院に直行といっても救急車で行く訳ではありません。私が運転して紹介された病院へ行った
のです。そこは川崎大師のすぐそばで、三が日を過ぎても参拝客で溢れていました。その車中
で日頃は無口の父がよくしゃべりました。「ここのお堂は・・・」「あそこの店は・・・」などなど、父の
勤めた会社が大師のそばにあったこともあり、この辺には詳しかったのですが。「おい、オヤジ!
これから入院する人間が観光案内しなくていいって。」と母と3人で笑ったほど、気軽(?)な入院
という感じでした。父が入院する病院というのは、ハッキリ言って「古くて、汚い、暗い」病院でした。
後に「あの時、救命救急にでも連れていっていれば・・・。」と後悔したものです。ま、その時は先
に述べた通り「気軽な入院」と信じていた3人でしたので手続きをして母と二人帰ってきました。
帰ってくるなりサスケは父を捜します、「いない!どこ行ったの?」という感じでベランダまで出て
父が帰ってくるのを待っているのです。「サスケ、お父さんはしばらく帰ってこないよ。」という母の
言葉にもベランダから動こうとしませんでした。それはそれは見ていて気の毒になるほどジッと待
っているんです。次の日も朝の散歩から帰ると、ほとんどベランダにいて外を見続けているサスケ
を見かねた母が「可哀相だから、あなた達帰りなさい。そうすればサスケも忘れちゃうかもしれな
いし。」自分の家に帰ればサスケも父が帰ってくるのは「ここではない」と判断するんじゃないか、
そう考えてサスケを連れて帰る事にしました。それからのサスケがどうだったのか、今は覚えて
いません。ただ物音に敏感であったような(どの犬もそうか)気がします。そして3日後、母からの
電話で呼び出されたのです。父は別の病院のICU(集中治療室)に搬送されていました、案の定、
最初の病院では手の付けられない状態になっていました。そこには酸素呼吸器をつけ、苦しい息
遣いをしている父がいました。幸い、意識はハッキリしているので話しは出来ますが、何を話してい
いのか・・・私と母は言葉もありませんでした。母は父の手を握るだけしか出来ませんし、私は黙っ
て見ているしか出来ないのです。父は「辛い」「苦しい」といった言葉を口にした事が無い人だった
ので、その時でも、そういった言葉は口にせず、ひたすら耐えていると言う感じでした。母が何か言
うと「ウン、ウン」と、うなずいています、気丈な人だとは思っていましたが、その時、初めて父の事
を「スゴイ人だ。」と、心底思いました。そして、何か声をかけようと思った私の口から出た言葉は、
「オヤジ、こんなとこで寝てる場合じゃないぞ!サスケが待ってるんだから。早く帰ろうぜ!」情けな
い話ですが、本当に私が口にした言葉はこれでした。他に、いい言葉が思いつかなかったという記
憶があります。それを聞いて、「うん、サスケかぁ。よろし 言っといてくれ。」 父は苦しい息の
中で微笑みながら言いました。これが、私が父と交わした最後の言葉になりました。私達と、そし
て大好きだったサスケとも永遠の別れとなったのです。

         平成3年 1月10日 早朝、 父は逝きました・・・。
 

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