『告知』


 やっと私にとって長い長い1ヵ月も過ぎ、大事には至らず帰ってくることができ、先生と約束していた検査入院も3月末と決まったのですが、それまでは私の仕事は宿直勤務が6日に1度あるため、少ししんどいなと思う時にも休むことができませんでした。しかしある程度は同僚に病気の事を話していたので、いろいろ助けてもらうことができ、大変助かりました。仕事の仲間というものは本当にありがたいものです。
 そして検査入院で1週間入院した頃には、階段の上り降りが少し辛くなっていました。検査のほうは、筋電図や脊髄の造影検査などで大変痛い思いをしました。
 しかし検査の結果自体も先生からはっきりした説明もなく、医療費が無料になるので、特定疾患と身体障害者手帳の申請をするようにと言われ、申請することになったのです。そして特定疾患受給証が来た時に、家内にしてみれば病名は私には隠していたために、どうしようかと思い悩んだものの、いつまでも特定疾患受給証を見せない訳にもいかず、その時に私は正式な病名を知ることになったのです。そしてその特定疾患の病名欄には、筋萎縮性側索硬化症と書かれてあり、「ああ、やはりそうだってのか」と思いましたが、それまでに自分自身ではある程度医学書などを見て分かっていたので、自分自身では不思議とそれ程のショックは感じられませんでしたが、ALSがどういう病気かというのも知っていたので、これから先は、もちろん自分も辛いが若い頃に比べると今は収入も安定してきているし、少し余裕も出てきた頃なのに、それがいずれ近い将来仕事もできなくなり、収入もなくなってしまう。それにも増していずれ体も全く動かなくなり、家族の助けなくては生きて行けなくなるというのが、本当に家族に対して申し訳ないなという思いで一杯になりました。ましてや子供にとっては、その時はまだ11歳という年齢でまだまだ遊びたい盛りだし、これから中学、高校、大学と自分の人生にとっては、大事な頃に差しかかって行く時に、勉強はしなくてはいけないし、私のめんどうも見なくてはいけないという大きな負担ををかけてしまうのではと思いました。そういう諸々の事を考えると後10年間、いや、たとえ5年間でもいい、今は何とか仕事もできている状態なので、せめて進行が今の時点で止まってくれたら、あとは、5年後には子供も何とか一人ででも頑張れる力が付いているのではと淡い望みをもったものの、その願いもかなえられることはなかったのです。


 それから告知については大変難しい問題だと思います。もちろん患者さん本人の性格と考え方により、告知するかしないかが一番になるとは思いますが、告知する側の医師の前向きな考え方と家族の大きな協力があれば、私は告知する方が本人にとっても家族にとっても、有意義な闘病生活を送るのには良いのではないかと思います。
 そして、私は告知をされるうえで患者本人にとっては、ALS協会、会報の存在は非常に大きく意義のあるものであるし、これからもそうであって欲しいと思います。というのは、私自身ALS協会に出会ったのは平成3年の夏に、新聞にたまたまALS協会の紹介の記事が載っているのを見つけ、ああこういう患者会があるのかと思い、早々に家内に相談し自分にとっては、これから闘病生活を送る上できっとプラスになることがあるに違いない、ということを話したうえで、自分自身で協会に入会の申し込みをしたのです。しばらくして会報が送られてきたのですが、その会報を読んで私は大変驚かされました。その内容が一般の医学書や医師の言われるような患者にとっては冷たく希望のない言葉ではなく、この病気は大変な病気ではあるが、こういうふうにやれば今残された機能を最大限使ってこんなこともやれるし、精一杯頑張って生きていけるんだという、患者さん本人の生の声を聞くことができたし、病気自体のことや現在研究されていることも詳しく知ることができたことにより、どんなにはげまされたことか分かりません。そしてそういうことの知識があるのとないのとでは、告知や闘病生活を送るうえでどんなに大きな違いが生まれてくるか計り知れないと思うのです。
 それからALS自体、世の中に知られなさ過ぎると思います。そのために悲惨な状態に陥っておられる患者家族の方が大勢おられるような気もします。そのためにも、ご苦労様ですがALS協会の方々にもっともっと頑張っていただき、一般の人々にALSの現状を知ってもらう事により、ALSを理解してもらい、さらには治療研究が大いに進められることにもつながり、告知もごく普通に行われ、それからの闘病生活も、希望の持てるものになっていくのではないかと思います。
 告知を受けたら、まず自分が今おかれている現実を家族共々しっかりと受け止めてください。そしてその現実から逃げずに、自分の病気のことを良く知って下さい。それをすることでそこから初めて次の段階に進むことができ、闘病生活を送るうえでの前向きな姿勢が生まれてくるのではないかと思うのです。

【家内】
告知に関しては、私自身とてもショックを受けただけに本当に悩みました。最初は何があっても知られてはいけないという思いがあり、辛い毎日だけど主人や子供の前では決して涙を見せる事なく頑張っていました。当時、私は内職をしていたのですが、一人になると主人の病気の事ばかり考えてしまい仕事に手がつかず、たびたび休ませてもらうようになり、そのうち、迷惑がかかってはと思いやめてしまいました。その間、いろいろな事を考えました。私は主人と違い、病気に関する知識がなく、何も知らなかったので、先生からの話と医学書の文字が頭の中を埋め尽くし、これから先の不安と悲しみの中でどうすれば良いのか戸惑うばかりでした。というのは、先生からの話は病気の説明と介護する家族の大変さなどが主で、患者会があるとか人工呼吸器を装着しても在宅療養で頑張っている人があるというような前向きな話がなかったからです。
 告知により希望をなくした私は、主人や子供のことを考えると悲しくなるばかりで、こんな事なら一層のこと三人で車に乗っている時に何かの事故にでも巻き込まれてしまえばいいのにとさえ思ってしまいました。今思えばとんでもないことを考えたものだと反省していますが、その頃の私は2〜3年で主人が死んでしまうかも知れないという不安ばかりで、前向きに考える余裕さえなかったのです。でもいろいろと考えているうちに主人に本当のことを言って、これからどのようにすれば良いかを相談してみようかとも思ったのですが、それは私自身の苦しみを二人で分けて半分にすること、つまりその半分を主人に押しつけることになり、それで自分の気持ちを楽にするのはずるいことだし、逃げてはいけないと思ったのです。だから絶対に言わずにおこうと心に決めました。
 ところが数ヵ月後、特定疾患医療受給者証の申請ということから主人に病名を知らせざるを得ず、悩んだのですが仕方ありませんでした。もちろん受給者証を見せただけで私は何も知らないふりをしていました。でも主人は自分なりに調べて病気のことは知っていたようで、その時も特に驚くようなこともなくいつもと変わりなかったのです。私が先生から病名を告げられていることを話したのは最近で、在宅療養に移るにあたっていろいろな方とお話をするようになってからのことです。でもこんな主人を見ていて、とても強い精神力の持ち主だと感心させられました。そして私も何があっても頑張らなければと再認識したのです。

【歩】
告知に関して僕は、その頃父がALSだということも全く知らなかったし、病名を聞いてからも「原因不明の病気にかかってしまったのか」というぐらいにしか思っていませんでした。でも、もしその頃にALSのことを知っていたか、告知の内容を母から聞いていたら、これからどうしていけばいいのだろうかととか、後2〜3年しか生きていけないのかなどと毎日考え込んでいたのだろうと思います。


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