毬藻草子



まりもと私

まりもと私との最初の出会い、そう、あれは確か小学生の頃、
家族旅行で富士山に行った時のことだった。

みやげ物売り場で買ってもらった、いわゆる「フジマリモ」という種類だろうか。
5cm足らずの球体のガラス容器に入った、1cm位のまりもだったように思う。
一応、世話らしきこともした。風呂場の洗面台で水替えをしたのを覚えている。
ただ、それが最終的にどうなってしまったのかは、いくら考えても思い出せない。
しばらくの間は、テレビの上あたりに鎮座していたハズだが・・・。まさか、電磁波にやられたとか?
枯れてしまったのか、誤って洗面所で流してしまったのか。今となっては知りようもない。
現在、私がまりもの世話をしているのは、当時失ったまりもに対する償いなのかも。
なんてな。

さて、私が本格的(?)にまりもに魅せられたのは、高校三年生の頃。
修学旅行で行った北海道で3個のまりもを手に入れたあたりからだろうか。
大きさは等しく2cm程。「まり」「りも」「まも」と命名したのは確か姉だ。
ただ、どれが「まり」で「りも」で「まも」なのか、いまいち見分けは付かなかった。
とにかく、「以前のように無くすことなく、今度はちゃんと世話しよう」とは思っていた。

丁度その頃「マリモはなぜ丸い」という書籍を入手。
まりものもう一段深いところを垣間見るに至った。
その本によると、マリモというものは直径3cmに成長するまで70〜80年、
直径7cmで150〜155年、直径20cmになるにはなんと450〜500年もの時間を費やすという。

一種のカルチャーショックが私を襲った。
なんということ。このちっぽけな緑のカタマリが、私よりも長生きするというのか!?
私はそのとき、まりもに「永遠」とか「悠久」とかいったものを見たような気がした。
そして同時に思った。「私の手で、このまりも達をどれだけ成長させることができるだろう。」
私はこのとき、この生涯(の片手間)をかけ、まりもを育ててゆくことを心に決めたのだった。
そしてこの書籍「マリモはなぜ丸い」は、私のまりもライフにおけるバイブルとなった。

さて、はじめはビーカーのようなガラス容器に入れ、机の上に置いていたまりもだったが、
まりもがより成長するためには、転がすなどして刺激を与えた方が良いかも?との考えから、
私は近所のホームセンターで水槽とエアーポンプを購入し、エアーストーンから出る気泡により
水流を発生させ、まりもを運動させようと試みた。
はじめは、カッコ良く気泡のカーテンを作ってやろうと、ホース状のものを入れてみたのだが、
あまりエアーの出口が多すぎると、出てくる気泡も分散し、肝心の水流が弱くなってしまうようだ。
(これは、エアーポンプの排気量(?)によるのだが)
そこで、小さめのエアーストーンに替え、再度試してみたところ、結果は上々。
水槽の中、気泡により発生した水流の中を、まりも達は元気良く漂いはじめた。よしよし。

後に気付いたことだが、この方法は、まりもの運動効果の他、気泡によるまりも表面の洗浄効果も
得られるようで、まりも表面にゴミなどが付きにくいようだ。
これは手入れの手間もある程度はぶけ、また見た目にも楽しい。まさに一石二鳥というものだ

さらに、接触刺激を与える為と、まりもの緑を引き立たせる為、水槽の底には白い砂利を敷いた。
砂利は、盆栽などに使う「寒水砂」。綺麗な白色でしかも比較的安価なのが魅力である。
エアーポンプは排気量を無段階に調節できるものを購入したので、
必要に応じてまりもを元気に泳がせたり、また休ませたりということができる。
これらが、ウチのまりも水槽における基本システムとなった。

当時としては、ライトや温度調節、濾過装置など、もう少し凝りたかったのだが、
シンプル・イズ・ベスト。私に限って言えば、永年にわたって面倒を見ようと思えば、
これくらい簡素なシステムの方が、手間もかかりすぎず、また飽きも来ないというものだ。
(つまり、私は手間のかかるモノが苦手で、かつ飽きっぽいのだ。)
またその頃は、金銭的にも高価なアイテムは揃えにくかったこともある。
なお、これらのシステムは、10年程過ぎた現在でも現役で使用されている。
変わったのはエアーストーンくらいだろう。(砂利は何度か入れ替えている)
アクリル製の水槽も、結構長持ちするものだ。
本当は、ガラス製の大きくてイカした水槽が欲しいところだったが、今はこれで充分。

さて1年後、私は大学生となり、親元を離れ京都に住み付いていた。もちろんまりもも一緒に。
入試の際、アンケート用紙のようなものの「趣味」の欄に「まりも」とか堂々と書き込み、
面接の先生に突っ込まれまくったりもしたが、それも今となっては良い思い出だ。

そして夏休み、高校時代の友人らと北海道旅行の話が持ち上がった。
これはまりもをさらに増やす絶好の機会!私はその話に乗った。
確かに、今の水槽にまりも3個というのはいささか寂しい気もする。
「よし、さらに多くのまりもをGETするのだ!」私の胸は期待に高鳴った。

さて、修学旅行では何の気なしに買ったまりもだったが、
改めて良いまりもを買おうと思うと結構目移りしてしまい、迷うものだ。そんなの私だけだろうか?
値段は同じでもこちらは3個入り、こちらは2個入り。しかし2個入りの方が大粒(?)だ・・・とか。
学生ゆえ、予算にも限りがある。同じ金額を出すなら、より大きなまりもをより多く入手したい。
結局、予算に見合う中で「これは」と思う大玉&小玉のセットと、中玉3個のセットを購入。

購入・・・したはずなのだ。確か。
なぜ正確な数を覚えていないのか?
それは、その後思いもかけぬ出来事が私とまりもを襲ったからだった。



まりもクライシス

それは、あまりにも突然の出来事だった。

旅行も終え、目的のまりもも首尾良く入手した私は、意気揚揚と家に戻ってきた。
部屋に戻り、バッグを開け、まりもの入ったビンを取り出す。そこに私が見たものは・・・。
「・・・・なんだ、この緑色の液体は。」

すぐには状況が理解できなかった。
なぜまりもではなく、緑色の液体が・・・緑色?ま、まさか・・・。
どうやら、バッグを持ち運ぶうち、中のビンはかなりシェイクされていたらしい。
あろうことか、ビンの中で、まりもはコナゴナのバラバラに砕け散ってしまっていたのだ!
この緑色の液体は、そのバラバラコナゴナになったまりもが水に混ざった哀れな姿だった。
丸いとばかり思っていたまりもが出してみたらバラバラ。その時のショックは計り知れない。
せっかく北海道まで行って買って来たというのに、なんということ。
私はしばらくの間、ビンを手になすすべも無く立ち尽くすしかなかった。

肩を落としつつ再びビンの中を覗く。すると、おお、中には砕けていないまりもの姿も見られるではないか。
祈るような気持ちでビンから出してみると、メインである大玉(50mm級)が崩れずに残っていた。
これには少しほっとする。さすがは大玉、良く生き残っていてくれた!
そのほか1、2個のまりもが残っていたようだが、他は原形もとどめないほど見事な崩れようである。
なんというか、緑色の細かな糸クズが大量に水に混ざっている。そんなカンジだった。

「さて、どうする。」
バラバラになったとはいえ、せっかく入手したまりもである。捨てるのは勿体無い。
とはいえ、このままにしておいても、枯らしてしまうか、水替えの時に流してしまうかだろう。
書物によれば、このバラバラまりもは養殖まりもを球状に整形する前の状態であるという。
それならば、私の手でまりもを球状に整形し直すことができるのではないか?

早速、バラバラまりもをかき集め、手の中で丸めてみる。おお、上手く行きそうだ。
しかし、手馴れていないこともあるのだろうが、なかなか大きな玉にはなってくれない。
大きくすると、どうしても形がいびつになるか、割れてしまう。
しばらくの奮闘の末、複数の小型まりもが復活、というより、新たに誕生したのだった。

この時から、以前の3個と合わせ、総数12個のまりもが水槽を漂うこととなり、
水槽内は、急に賑やかになったのだった。
見よ、「まり」「りも」「まも」も、沢山の弟分に囲まれて嬉しそうにしているではないか。
もっともしばらくすれば、どれが兄で弟であるのかの判別も付かなくなってしまうのだが。
ま、それならそれで結構だ。ドンマイ。



まりもクライシス2

さて、それからしばらくは何事も無く過ぎ、さらに数年後。
就職のため、大阪に移り住むことになった私は、徹夜で引越しの準備をしていた。
荷物をまとめたり、部屋の掃除をしたりとするうちに、結局朝までかかってしまったのだ。
さて、荷物は後から業者に届けてもらうことにして、単身大阪入りした私だったが、
そこであることに気が付いた。
「・・・まりもが無い。」

そう、確かまりもは水槽から出し、ビンに入れ、手荷物にしておいたはずだ。
それが、どこにもない。バッグにも入っていない。
いや待て、良く考えろ。電車の中に置き忘れたのか?それとも駅で無くしたのか?
懸命に思い出そうとするのだが、徹夜明けということもあり、なかなか思い出せない。
くそう、4年以上も大事に育てたまりもを、こんなことで失ってしまうのか?
私は己の不注意さを呪った。

明日からは早速仕事に出なければならないので、探しに出ている余裕など無い。
もはやどうすることもできないと、諦めかけていたころ、京都からの引越しの荷物が届いた。
一縷の望みをかけ、水槽をチェックするが、まりもの入ったビンは見当たらない。
やはり、どこかに置き忘れてしまったのか・・・。

荷物を全て運び込み、料金を払おうとした時、運送屋のお兄さんが思い出したように言った。
「そうそう、これはお宅のですか?」
その手には、まごう事なき私のまりもが!

お兄さんによると、運び出す荷物の片隅に置いてあったのを見つけ、ビンが割れないように
助手席に乗せて運んできてくれたのだという。
まりもを荷物と一緒に置いていた?そうだっけ・・・?
どうやら徹夜明けでぼおっとしていた私は、自分でも知らぬうちにそこに置いてしまったらしい。
ありがとう!本当にありがとう!運送屋のお兄さん、あなたはまりもの恩人だ!

こうしてまりもは無事手元に戻り、再び水槽で漂うこととなったのだ。
今回のことで、私はつくづく思った。徹夜なんてするものではないと。特に引越しの時は。

そしてまた数年が過ぎた。



まりもクライシス3

数年間、まりもにはこれといった変化もなく、平穏な日々が続いた。
変化がなければ少々飽きも来ようというもの。私はしばらく、まりもの世話をサボっていた。
「水槽が濁ってきたなあ」「アオミドロみたいなのが涌いてるなあ」等と、呑気に放っておいたのだ。
それがいけなかった。
実はその時、取り返しのつかない変化がまりも達の身に起こっていたのだった。

「どれ、そろそろ水でも入れ換えてやるか。」
半年以上(1年近く?)放っておいただろうか。私は何かの拍子に水換えをしてやろうと思い立った。
そしてあらためてまりもの水槽を見る。なかなかすごいことになっている。
アオミドロのような緑色のぬめっとしたノロ(?)は水槽全体を覆い、まりも表面にも付着していた。
私はまりもを取り出し、水槽を洗うために他の容器に移そうとした。その時である。

「・・・ん?」
まりもを手にした瞬間、いつもとはなにか違う感触がした。
見ると、まりもがその自重によって、空気の抜けたゴムまりのごとく、つぶれかかっている。
大きなまりもほど、その現象は顕著だった。一体、まりもに何が起きたというのか?
そしてさらに、緑色であるはずのまりも表面は、所々黒く変色してしまっているではないか。

「・・・これはマズい。」
さすがにそう感じた私は、まりも表面を丁寧に洗い、変色した部分を取り去ろうと試みた。
しかし黒色は取れそうもない。少々大胆にこすってみたが、下手をすればまりもが割れてしまう。
しばらく考えた末、私はまりも表面を、変色した部分ごと剪定(せんてい)することにした。

剪定とは、樹木全体の体裁を整えたり成長を促したりするために枝を刈り込んだりすることである。
以前から、私はまりもの剪定を良く行なっていた。
まりもをより成長させるためには、まりも先端の微妙な剪定が必要と考えていたのだ。
この考えは今でも変わらないが、確証は無いのであまり広くはお薦めできない。
しかし、剪定したあとのまりもは一段と美しい。均等に刈り込まれた様は、
まるで緑色の絨毯のようだ。これは是非一度、他の皆さんにも試して頂きたいものである。
(どっちやねん)

そんなわけで私は注意深く、かつ大胆に、ハサミで変色部分をカットしていった。
刈り込みすぎてボタンのような円筒形(?)になってしまったものもひとつあったが、まあご愛嬌だ。
折角成長したまりもも一回り小さくなってしまったようだが、変色部分もかなり刈り込んだし、
とりあえずはこれで一安心と思えた。だがそういえばまだ問題が残っていた。
相変わらず、自重でつぶれるまりも達。これは、もしかして・・・。

そういえば書籍「マリモはなぜ丸い」で読んだことがある。
まりもは、ある程度成長すると、日光の当たらない中心部分が腐植し、空洞になってしまうと。
そして空洞になったまりもは、次第に自重によって球体を保てなくなり崩壊してしまうのだという。
その後、崩れた塊は再び成長し、長い時間をかけ、球体へと成長していくというのだが。
そういう事なのか?だが、まだせいぜい3〜5cmのまりもに、そんなことが起こり得るのか?
だが、しばらく水換えをしていなかったこともあるし、可能性は否定できない。
そこで、私はそれを確かめるため、一大決心をしてまりもを開けてみることにしたのだった。

まりもを開ける。私にとってはそんなこと前代未聞である。というか、普通しないよな。
とりあえず大玉まりもの一番傷れやすそうな箇所を選び、爪楊枝で注意深く切れ目を入れてゆく。
ある程度の裂け目ができた。楊枝で広げてみる。そこに私が見たものは!

「・・・・腐ってやがる・・・・」
早すぎたのか?いや、遅すぎたのだ。まりも内部は、見事に空洞化していた。
見ると、緑とも茶色ともつかぬ、腐植したまりも組織(?)がそこに溜まっている。
ふるえる手で割り箸を握り、腐植組織を取り除いてみる。
結果、わずか1cm厚の外殻部分のみを残し、残りはすべて腐植してしまったことが判明した。
腐植部分を取り去った今、まりものつぶれかたは一層ひどい。
少しでも余分な力を入れようものなら、たちどころにバラバラになってしまいそうだ。
なんということ。このままこのまりも達は、自重によって崩れ去るしかないというのか?

私は絶句するしかなかった。この十年間、数々の(て程でもないが)難関を切りぬけてきたまりも達。
だが今、私の不注意により、その歴史に無情にも終止符が打たれようとしているのだ。
実際には、まりもの球形が失われるだけで、まりも自体は生きていけるのだが、
私と丸いまりもの十年間はなんだったの!?てな気にもさせられるわけである。
球形を崩すには忍びない。なんとかしてまりも崩壊を阻止したい。まりもを蘇えらせたい!
私は考えた。何か方法があるはずだ。

考えに考えぬいた末、あるひとつの考えが浮かんできた。
少々悩んだ末、私はそれを実行に移すことにした。
そのときの私は、もはやどうにも止まらなくなっていた。
ちょっと、目とかイっちゃってたかもしれない。



まりも新生

〜たったひとつの冴えたやりかた?〜

数日後、私は近所の百貨店に足を運んだ。
以前、そこの観葉植物&水棲生物のコーナーに、まりもが置いてあったのを思い出したのだ。
「すみません、まりもはありますか?」
「すみません、今年は不作らしくて、入荷していないんです。」
むう、養殖まりもにも不作の年があるというのか。
まあ、無いというのなら仕方がない。次行ってみよう。
次は、最近近所にできたペットショップ。アクアリウム用の水草も売っているので、少し期待できる。
良く考えると、水草とまりもでは随分違うような気もするが、わらをも掴む思いとはこのことか。
「すみません、まりもはありますか?」
「少々お待ち下さい。」
おお、あるのか?店員は、二つの小さなビンを持って戻ってきた。
「どちらにしましょうか?」
小さなまりもが二つずつ入っている。なんだかどちらも全体的に濁っているカンジだ。
とりあえず、まともそうな方を選ぶ。これだけで足りるとは思えないが、まあ練習にはなるだろう。
足りる?練習?
一体私は何をしようというのか?

さて、家に戻った私は、早速ビンからまりもを取り出した。手にとってしばし眺める。
そして・・・
「・・・ゆるせ!」
そう念じるや否や、私は手にしたまりもをむんずと掴み、やおら引き千切った!
む゛しっっ!!
擬音を付けるとするならこんなカンジか。
ぎゃあああ〜〜〜〜ッッ!!
叫び声を上げるとするならこんなカンジか。

べつに気が触れた訳ではない。
空洞になってしまったまりもを元の姿に戻すには、やはり中に何か詰めなおさなければなるまい。
ではどうするか?答えは単純にして明解。空洞化した部分には、まりもを詰めてやれば良いのだ。

とはいえ、ここ大阪でそう簡単にまりもが入手できるとは思えない。
私はまず、まりもに代わる素材を詰めてみる事を考えた。
水ゴケに始まり、おがくず、スポンジ、荷造り用の緩衝材など、候補としては色々考えられる。
だがいずれの素材も、恒久的にまりも内に入れておけるかとなると、少々疑問が残るのだ。
それに下手なものを入れて、沈まないまりもや沈んだままのまりもになってしまっても困る。
そんなわけで結局、まりもの中にはやはりまりもが最適との結論に達したのだった。

勿論新たに購入しなくとも、持ち合わせのまりもを中に入れて間に合わせることもできるのだが、
10年もの歳月を共に過ごしたまりも達の数がたとえ一個でも減るのは忍びない。
そんなわけなので、新たにまりもの中に入れるべき生贄まりもを入手すべく、
あちこち探し回っていたという次第なのだ。
ちなみにまりもをむしって分解したのは、まりも内での納まりを良くするためである。

さて、解体したまりもをとりあえず、目の前に広げてみる。
「・・・全然足りないな。」
小さなまりも2個分の質量はまさに微々たる物で、とうてい空洞を埋めることなどできそうにない。
なにしろ大小12個あるまりものほとんどに空洞化の兆候が認められているのだ。
良く考えれば、必要な補充用まりもは相当な数のはずだ。1個や2個で足りる訳がない。
心当たりの店はすべて廻ってしまった。しかし、ここであきらめる訳にはいかない。
すでに、ぱっくりと口を開け、新たな血肉(?)を求めるまりもが私の助けを待っているのだ。
あとまりもを手に入れられそうな処といえば・・・。

「インターネット、か。」
実は以前、インターネットでまりもを扱っていそうな店を検索してみたことがあった。
そして「ノースプランニング」という会社が通販でまりもを扱っている事をつきとめていた。
その時は、懐の具合やら何やらで、なかなか踏ん切りが付かずにいたのだが、
もはやそうも言ってはいられないようだ。
そう判断した私は、早速ノースプランニングのwebサイトにアクセス。
まりも販売のコーナーへと向かった。
そこには三種類のまりもセットが展示されていた。どのセットがよりお得であるかを吟味することしばし。
結論として、\2,000-のまりもセットを2個注文することにした。
送料が\1,000-なので、計\5,000-の出費ということになる。
決して安くはない額だが、この出費によって、私のまりも達が元の姿を取り戻せるというなら安いものではないか。

入金して数日後、果たしてそれは家にやってきた。
丁寧な梱包を解き、ネオ(新)まりもと対面する。
「う・・・美しい。」
丸みを帯びたガラス容器内で静かにゆれる、鮮やかな緑の球体がそこにあった。
そう、私のまりも達も、入手した当初はこのように綺麗な色だったはずだ。
しかし月日が経つうち、いつのまにか色がくすんでしまっていたようだ。
私はしばし、その懐かしい緑に目を奪われていた。
見れば見るほど、解体するのが惜しまれる美しさである。
この美しいまりも達を、私はこの手にかけようとしているのだ。なんと残酷な!
しかし、いつまで見とれていたところで埒はあかない。私は心を鬼にしてネオまりもを手に取った。
・・・そして!

「ゆるせ!マイまりも達のためなのだ!!」
祈る気持ちで、ネオまりも達を解体してゆく。
入手したネオまりもは全部で8個。2cm玉と1cm玉がそれぞれ4個ずつである。
できたてホヤホヤであろうと思われるそれらは、芯までしっかりまりもが詰まっており、
変色した部分など微塵も見当たらない。
とりあえず数個分のまりもを解体し、あらためて目の前に広げてみる。
バラバラになった大量のネオまりもを見ていると、以前にも似たような光景を目にしたことがあるような・・・。
「セラヴィーというヤツかな。」
それを言うならデジャヴューだが、確かにこの大量のバラバラまりもには見覚えがある。
そう、まりもクライシス1の、あのシェイクされまくったまりも達の姿だ。
あの時はまさに災難だったが、今度は私自身が、自らの意思でまりもをバラバラな目に遭わせる事になろうとは。
因果応報とは良く言ったものだ。歴史は繰り返すというか、認めたくない若さゆえの過ちというか。(?)
しかし、まりもを救うためにはこれをどうしてもやり遂げなければならない。ここでやめるわけにはいかないのだ!
私はいよいよ、空洞化した私のまりも達の内部に、解体したネオまりもを慎重に詰めはじめた。
そして数刻後・・・。

「・・・これで良し。」
今まさに私の目の前には、大手術を終え、新たな生命を得たまりも達がビンの中で心地良さそうに休んでいる。
まりも内部はすっかりネオまりもによって満たされ、水から出して持ち上げてみても、もう自重でつぶれる事はない。
今はまだ安静にしておかなければならないが、内部のまりもが安定してくれば、またいつものように元気に水槽を泳ぐまりもの姿が見られるに違いない。
なんとも言えぬ安堵と充実感が、私の体と心を満たしてゆく。
ああ、生まれ変わった彼らを、なんと呼ぶべきであろうか。「真・まりも」、はたまた「ターンAまりも」とか。
そして、これ程のまりも大手術を何と呼ぶべきか。「マ手術」、はたまた「マ改造」・・・。
・・・いや、呼び方などはどうでも良いのだ。まりもが助かった。それだけで私は満足だ。
そんなことを思いつつ、私は生まれ変わったまりも達を、満足げにいつまでも眺め続けるのだった。

かくして、最大の危機であった”まりも空洞化現象”は、ひとまずの解決を見たのだった。
「ひとまず」と書いたのは、どうやらこの「詰めまりも」には改良の余地がありそうだという事に、
最近になって気づいたからなのだが、その話はまたいずれ。

ともあれ、まずはめでたし、といったところで宜しかろう。
まりも達よ、愛すべき丸くて緑のカタマリよ、永遠であれ!

- END. -


文責:きりだよう【舞・まりもネット】
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