アジアコーヒ探索
-ネーポン求めて-
2002/4/7
都島で会いましょう
わたしは泣いていました。ネーポンを飲みながら。
ううっ、
これが夢にまで見たネーポンか、
ううっ、
甘いのなんのって。
ファンタオレンジのソーダなしのようだ、、、、、ううっ、(涙)(涙)(涙)
何からどう話せばいいのか。とある3月の小春日和でした。ある心あるHP訪問者から一通のメールを頂きました。
「アジアコーヒありましたよ」
なに!〜、ほんまでっかいな?ほんまにほんまに!!?
しかも都島あんなに探したのに!!
あまりの衝撃の情報にわたしはとても興奮し、ついにその夜は熟睡することもできませんでした。実は、わたくし自身もう忘れかけていたのですから。そんな事よりも、情報提供者にお礼をいいつつ(といってもメールですが、ほんとに有り難うございます、)とにかく都島に行ってみることにしたのです。
もうわたしは都島についてはかなり地理には詳しくなっておりました。少なくとも二回以上の探索は行っているからです。あの周辺は隈無く歩き回りました。しかしそのときは見つけることはできなかったのです。(なんでやろ)だからといっては何ですが、情報提供者が教えてくれた場所はすぐに検討がつきました。「え?」てなもんです。何回も歩いたコースだったからです。正直とても不思議な気持ちでした。わたしは前回までの探索ではその異界に入り込めなかっただけなのかもしれません。
とにかくその場所に行ってみることにしました。場所は都島とだけ記しましょう。その理由は後で述べます。とにかくその情報どおりにその通りを歩きました。しかしそのときは見つけることができず、まさか「ガセか」という不安がよぎりつつ、いやいや、そんあはずはない、もう一度精神統一して歩くのだ!!と心に言い聞かせつつ、往復路を歩いたのです。
一瞬、目眩がしました。あったのです、アジアコーヒが
看板が、「アジア」とだけ書かれたこの店は知ってました。しかしあのときは暖簾がなかったはず!
いやそんな事どうでも良い、とにかく不安と期待と恐怖を心に、扉を開けたのです。
「いらっしゃい」
店をまかされているらしいその女性は普通にごく普通に応対してくれたのでした。
わたしは極力怪しまれないように、そう、普通の喫茶店に入った客のように周りを見渡し、(客はいない)、メニューの書かれた壁を見、(ネーポンを見つけて、驚愕したが、できるだけ、気づかれないように)、一言、
「ネーポン」
とごく当たり前のように、まるで「ホット」と発するように注文をしたのでした。しかしその女性はごく当たり前のように注文を受けたのでした。(当然だろうな)
左から2番目
そのごく当たり前の空気に我慢できなくなり、わたしはこれまでのわたしの経緯を話しつつ、そう、アジアコーヒについて、ネーポンについて聞いたのです。
わたしが得た情報を簡単にまとめると、
1.アジアコーヒは昔は、40軒以上はあったとか、
2.その頃、類似の店に、「ホワイト」「日本一」というのがあった、
3.現在アジアコーヒチェーンはなくなってる、
4.この店は、昔からアジアコーヒと名乗り、現在も経営してるため、そのままアジアコーヒとしてる、
5.10年前くらいに「玉造アジアコーヒ」がTV放送された時は、ネーポンについての問い合わせがたくさんあり、懲り懲りなのだそうだ。(だから地理情報は書きません、なんでも結構な人がこの店を訪ねてるらしい。わたしのホームページより詳しいネタを用意しているホームページがあるかもしれません)
6.しかしそのときこの店には、ネーポンがなかった。
7.その後ネーポンを置いた。(卸し業者に尋ねたら、扱ってたそうで)
8.10年前くらいから値上げしてない。(値上げをする他アジアコーヒ(一体どこのアジアコーヒだろう)に文句を言われたとか)
9.ネーポンは150円、瓶を持って帰るとさらに150円が必要
10.土日は早く閉めてしまう、
11.玉造アジアコーヒがなくなったことは知ってる、おばあさんの所在は知らないとのこと、
いかがでしょうか、わたしは初対面であまり根ほり葉ほり聴くのはいかがなものかと思い、これ以上の事は聞き出しませんでした。わたしは話を聞いてるとき、後ろで少し物音がしたのですが、何もなかったので不思議な気持ちがしてたのですが、その女性によるとそこにいた人が経営者ですとのことでした。わたしには見えなかったぞ。(冗談でなく)
もう大満足なわたしでしたが、最後にやはりアジアコーヒと名乗るのだからと、コーヒを頼んだのです。見たこともないような装置を使って、コーヒを精製し、それを鍋に入れてコンロで暖めてくれました。コーヒ制作の過程を見てしまった!!感動。
味は、とにかくアジアコーヒでした。(なんのこっちゃ)
ありがとうアジアコーヒ
と思っていたら、お客が来たのです。いや、それは当たり前なのですがね、その人がまた当たり前のように、「特製ミックスジュース」をたのみ、店員は当然のように店の奥でミキサーを回していたのでした。
ネーポン!小さくて見えないと思うけど、ちゃんと黄色4と書かれてる
Eの上に横棒か、それは思いつかなかった。
この店ではちゃんとコップに入れてくれるのだ。水と同時に出してくれた。
アジアコーヒ!!!
というわけで、わたしはついに念願のネーポンを飲むことができたのです。
ほんとのところは涙を流しませんでしたが、意外と夢が叶う瞬間って呆気ないものだなと思うのですが、このときもそうでした。このお店は市井の中の極々普通にある、周辺住民にとっては、ごく当たり前のお店で、そういう感覚になるというのは、やはり当然の感覚なのだと思います。しかしこのお店が新世紀を越えて存在すること、それはとにかく驚きです。大阪はそういう街なんだということはきっと絶対間違いのないことなのだと思います。「大阪不思議な街よ、みんな遊びに来てよ」という、メッセージを残しつつ、このレポートを終わりにしたいと思います。このレポートを最後まで見てくださった読者の皆様、本当に心よりお礼を申し上げます。有り難うございました。
(40軒以上あったというのが気がかりですが)
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誤字脱字にて御免