アジアコーヒ新世界
すっかり忘れていました。
京橋アジアコーヒ発見から一年、わたしはアジアコーヒを忘れていました。
もう一度話しを最初に戻してみましょう。元はと言えば、アジアコーヒ最重要文献である中島らも氏の「西方冗土」(集英社文庫、333円)に始まったわけです。ページ169「ナゾのババア喫茶」にその衝撃の喫茶店が登場するのですが、ページ170の9文字目に(らもさん知る限り)”新世界に一軒”と表記されています。わたしはこのホームページを作成するにあたり、もう一度このエッセイを読み返し、この”新世界に一軒”がどうも気になっていました。
「そうかまだまだあるんだ〜。」
と言った感じの気に仕方でしたが。
ところでわたしは、ただ今、目次ページの「写真について」の中にあるようにフォトコンテストへの作品作りに励んでいます。(毎度落選)現在もそしてこれから約一年かけて大阪の街で写真を撮ることを決めています。大阪で撮るということは、「新世界」を避けて通ることはできません。(と勝手に思っている)ということで、わたしは「新世界」に行きました。
今まで新世界へは何度か来たことがありました。別段行くことには抵抗はありません。今回は写真を撮ることが目的ですので、今までよりかなり広範囲で新世界付近を歩き倒したのです。
そう場所は、天王寺動物園よりも少し南、そして飛田新地よりも少し北でありました。
「ヘビーやな。」
と思った読者は多いことでしょう。
新世界には、そこだけ”深夜”になっている商店街(アーケード街)があります。
この商店街はかなりの距離で南北にのびています。
そして東西にも派生したかのような商店街があります。
その日は、飛田新地付近を歩いてそれから北に向かい、この東にのびる商店街に入りました。
方向は、そのまま行けば、天王寺に行き着く方、(つまり東)に向かっていました。
きっと普段なら気づかなかったことでしょう。
しかし前述エッセイを読んだ後だったためでしょう、無意識下でその看板を視野にとらえ、脳内でバースト発火したに違いありません。
アジアコーヒがあったのです。
この店も閉まっていました。
近くにいた段ボール集めをしているおっちゃんによると
ずいぶん前からやっていないようです。
またまたアジアコーヒ開店には間に合わなかったようです。
忘れていたのに偉そうなことは言えませんね。