2.ザグレブの街


 の列車は昼の2時に到着する予定だった。クロワッサンとコーヒの朝食が出たあと、ベッドをたたんで座席にしていると、ヴェネティア・メストレに停車した。ここで一人のオバサンが乗ってきた。「ここは空いているか?」、と聞いたことのない言葉とゼスチャーで尋ねてきたので、どうぞ、とゼスチャーで返すと、重そうな荷物を運びながらコンパートメントに入ってきた。やはりインドの列車とは違う、と思いながら、駅をボオーッと眺めていると、荷物を運び込んだオバチャンが何やら話し掛けてきたが、全く何を言ってるかわからない。こちらも知っている言葉で聞き返したが、どうも英語もフランス語も通じない。まぁ消極的だけど無理して相手に合わさんでもええかと思い、よく意味の分からない笑顔を相手に向けて送信すると、相手もこりゃアカンと思ったのか、笑顔を返して、カバンから雑誌を取り出して読み出した。

「まあ、無理して話しせんでもええと思うんやけど、ピンチになったとき大丈夫かいな?」毅君に関西弁丸出しのまま聞いてみた。オバチャンは雑誌を読み続けている。

「なんとかなると思うよ。そうや、ガイドブック見たんやけど、クロアチアではドイツ語が通じるみたいやで。」

「親ドイツの国やからな。そしたら、自分ドイツ語いけるんとちゃうん?第二外国語は確かドイツ語を取ってた記憶があるねんけど...」

「ドイツ語習ったちゅうてもドイツ人と話したわけとちゃうし、もうすっかり忘れた。」

「オレ、中国語やったしなあ。」

「マー、何とかなるでしょ。」

「食うところと寝るところさえ確保できれば、な。」

「私はドイツ語がしゃべれない」という言葉しかドイツ語は知らなかったので、せめて辞典だけでも買っておけば、と後悔したが、結構すったもんだを楽しむ性格でもあるので、まあいいや、ということにした。

さすがに半日以上列車に乗っていると、尻が痛くなってくるものである。それでも、国境でのパスポートチェックが何度も行なわれていくうちに、だんだん目的地には近づきつつあった。最終停車駅に近づくにつれ、今まで小高い丘と森林だけの景色から、ポツポツと住居が現れ始めた。外見からの判断ではあるが、列車から見た家屋の多くは、一戸建てであるが、木造が多く、頑丈そうな建築物はあまり存在していなかった。

(info.)ザグレブの人口は約94万人である。クロアチアの首都で、11世紀後半には街が形成されていた。

ザグレブの駅に到着して、まず探し求めたものは食べ物だった。というのも、昼飯をろくに取っていなかったためである。ところが、残念なことにパンを売っている店、食べ物屋が全くなかった。仕方がないので、飲み物で空腹を埋め合わせることにした。両替だけ済ませて、駅を見回すと、駅前にでっかい広場があり、そこには男性が数多くたむろしていた。客引きでもないし、タクシーの運チャンでもなさそうだ。ジプシーやろか、と考えたが、人数がかなりいる。数百人ほどいただろうか。平日の真昼だし、お祭りのような雰囲気でもないので、かなり不安になってきた。私は、東欧は初めてだったので、他の東欧諸国の街の雰囲気は知らないが、市場があるわけでもないのに、大勢の男性ばかりがたむろしている光景が、クロアチアの現状を説明しているように思えた。後で友人に聞いてみると、クロアチアは独立してから最初の一、二年はよかったが、最近は経済の状態も芳しくないとのことだった。内戦の疲労がまだ残っている雰囲気が感じられた。内戦から四年経ったにも関わらず、当時でもサラエボへ列車で行くことはできなかった。内戦は、ユーゴ全体にあまりにも大きな被害をもたらしてしまったようだ。

(info.)今でもサラエボへ列車で行くことはできないようだ。(1998年現在)

このときユーゴについてもう少し勉強しなければ、という気持ちが出てきた。というのも、なぜ、ここまで内戦が長く続いたのか、理由を知らなかったためである。

さて、ユースで部屋だけ確保した後、市内を散歩することにした。といっても、もうすでに夕方になってしまっていたのだが。小高い丘から市内を見渡すと、夕日色に染まった街は静寂に包まれていた。美しい街である。道路もキレイに清掃されており、首都にありがちな猥雑感は感じられなかった。サンマルコ教会前の広場では、子供たちが遊んでいた。夕日がさす教会の前で遊ぶ子供たちが、印象に強く残った。私自身の、小学校が終わった後も空が薄暗くなるまでサッカーとドッヂボールをしていた時の姿を思い出した。遊ぶことに夢中になってしまった子供たちを見て、自分にもそんな時があったことに気づいた。

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聖マルコ教会前の小さな石畳の広場

石の門を通り、丘を降りて市場のある広場と大聖堂に向かうことにした。でっかい建物だった。ただ、改築中なのか、建物には柵が組まれていた。カバンのチェックをされたが、聖堂の中に入ることはできた。聖堂内はひんやりとしており、余計な装飾はなく、質素な雰囲気が感じられた。聖堂の壁を見上げると、見慣れない文字が彫られていた。恐らくキリル文字のようだ。ただ、ロシア語の文字もなく、どちらかというとギリシャ文字に近い。それは図形に近いということなのだが、画として見るしかなかった。このような文字を見ることも初めてだったので、何がしか説明できない感動がこみあげてきた。こんな文字を使っている人がいることを知り、世界の広さを感じたといったらキザであろうか。見たこともない文字に好奇心を示したのは確かである。20分ほど、その壁を「画」を鑑賞するかのように眺めていたようだ。

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夕日に映えるステファン寺院
(撮影ポイントだよ。クリックするとやや大きい画像が出ます。)

店が並んでいる大通りを歩くと、マクドナルドの看板が見えた。外からチラッと覗くと、店内はガラガラだった。

「このあたりで飯でも食べよか。」

「ああ、そやな。なんか食べたいものある?」

「別にこだわりはないんやけど。」

「中華の店なら、当たり外れは少ないと思うけど。」

「でも、あんまりないのとちゃう?」

「なさそうやね。ユースの近くのあの店も高そうやし。」

ユースの近くにホテルと一緒の中華の店があったのだが、どうもリッチマンの行くような雰囲気を醸し出していた。

「じゃあ、この店はどないやろ?」

「なんか、イタ飯ぽいな。」

「英語で書いているから、大丈夫やろ。」

「ほな行こか。」

階段を登っていくと、扉は閉っていた。開いていない。

「しゃあないなあ、じゃあここでどう?」

「ここに入ろか。」

次に入ったところはアパートのような場所だった。入り口に入ると通路と一番奥にエレベータと郵便箱が電気もない薄暗い中に存在していた。こういった雰囲気は私の好みであり、ここだと予想した場所が意外な所だったりすると急にワクワクしてくる。インドへ行った時、ネパール寺院に入ると、中は真っ暗で、何も見えないところから
「扉を閉めてくれ〜」
という声だけが聞こえてきたときも急にワクワクドキドキした記憶がある。真夜中にオートリクシャーに乗り、街灯も何もなく、リクシャーのライトから微かに砂だけで出来た壁と砂埃を認識できるなか、狭い道を最大速度で疾走していると、どこかへ連れて行かれそう〜、とぼんやりしながらもドキドキした。

未知の場所で、しかも真っ暗な状況で視界から何がしかの情報を得ることができないとき、焦りながらもワクワクするものなのかもしれない。エレベータで上にあがるのかいな、と思い、郵便箱を見たが、そこには名札もなく、どうも店がある雰囲気ではない。と、横の壁を見るとドアがあったので、少し躊躇しながらも、ノックした後ドアを開くと、そこが食堂だった。看板も何もなかったので、地元の人間でも初めてやと迷うやろ、と思いながらも店内を見回した。店の中央に大きな階段があり、吹き抜けの構造になっていた。外見からは分からんかったけど、意外と豪華な装飾やな、と店を値踏みしていると、メニューがあったので、何を注文するか見ることにした。が、そこには、コーヒしかなかった。

「これサテンみたいやで。」

「店の外には、飯のメニューがあったけどなあ。」

「なんか食い物の匂いがしないし、みんな茶飲んでるみたいやで。」

「雰囲気も場違いみたいやし、出る?」

「マクドでも行こか。」

結局、大通りを歩いていたが、本屋やキオスク、パン屋、菓子屋、バーがほとんどで、あとはリッチそうなレストランしかなかったので、インフォメーションセンターで地図だけもらって、ユースの近くにあるスーパーで、パンとビスケット、飲み物を買うことにした。話しは逸れるが、スーパーというのは、国よって陳列しているものが少々異なっており、時々見たことも食べたこともない珍しいものが並んでいることがある。観察してみると面白い。そのスーパーには、チーズとソーセージ、パンがたくさん並んでいた。とりあえず、食べれるものだけ買っておくことに決めた。ただ、レジに行っても誰もいないのでボォーと誰か来るのを待っていると、オッチャンが入り口から入ってきた。「すまん、すまん」らしきことを言いながらレジに入ってボタンを叩きはじめた。こちらも、レジの表示板に示された金額を見ても、どのお札と硬貨を出せばよいかも分からないので、適当にオッチャンの前にお金を置くと、オッチャンは親切に「このお札は出さなくてええ、これだけでええんや」てなことを言いながら、お釣りと一緒に返してくれた。そのオッチャンは珍しそうな顔でこちらを眺めていた。

「あのう、すんませんけど、パンを入れる袋とかあります?」と英語でゼスチャーで袋の形を作ってたどたどしくお願いすると、「ああそうや」てな顔で頷いて、ビニール袋をくれた。

「ここは何時まで営業してます?」と聞くと、オッチャンもたどたどしい英語で八時までと説明してくれた。次はオッチャンが質問する番だった。

「兄ちゃんら、どっから来たんや」と彼が尋ねると、奥さんと思しきオバチャンがちょうど店に入ってきたので、そのオッチャンは急にオバチャンと早口で何か喋りだした。こちらは、そのまま帰るのも失礼やと思ったので、会話が終わるまでボォーと店内を眺めていると、そのオバチャンが店の奥に入ってしまったので、

「ああ、すまんすまん」とオッチャンが言ったので

「日本から来たんです。」と答えたところ、

「ふうん、遠い国から来たんやな。」と言いながら頷いて

「また来てな。」と入り口のドアを開けてくれたので、有難う、とだけ言ってユースに戻ることにした。オッチャンにとっては日本という国が珍しかったようだ。

この旅行では、あまりいろんな人と話しをしなかったので、日本に対するイメージとかはあまり知らずじまいだったが、愛想の悪い両替のオバチャンと無口なユースのオッサンを除くと人なつっこい人が多かったかなあ、という印象を今でも持っている。言葉が通じないので、ホンマはどうなのか分からずじまいだが。

ニーニョに少しでも習えばよかった、と思ったが、彼が言うには「内戦後、クロアチア語は変わった」らしく、通じないこともあるらしい。

「やっぱり、レストランで飯くわない?」剛君がつぶやいた。

「夕食、パンはいや?」私が尋ねると、

「うん、やっぱりわびしい。」

「オレ、夜パンだけちゅうことも多いけどなあ。」

「高くてもいいから、食べようや。」

「ここまで来たんやし、じゃあ、街を歩いてみよか。」

すでに暗くなった街中をトボトボと歩きはじめた。街灯が全くないので、街全体がやはり暗い。道を歩いている人はほとんど見かけないし、自動車もあまり走っていない。治安は大丈夫だろうか、と不安になったので、ユースから遠くまで歩かないことに決めた。東欧の多くは、大都市でも夜は真っ暗になると聞いたので、結局、そのほうが省エネでええんかもしれへん、と思った。

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夕方やけど...

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街灯があらへん...

うまい飯を食った後、ユースに戻ると遠足らしき、地元の中学生くらいの団体がユースを占領していた。もう、やかましい、やかましい。何をしゃべっとんや。

ここで、巡ったポイントを見直すと.....

ザグレブ中央駅前にはトミスラフ広場がある。駅を出ると、ちょうど正面に騎馬像が立っている。この広場から北に向かって街の目抜き通りまで公園が続いている。

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南北に続く公園

街の中心広場は、共和国広場と呼ばれており、一番人通りが多い場所である。ちょうど広場の真ん中に騎馬像が立っている。この広場の北に小さな丘がある。丘が旧市街(グラデッツ)となっている。石畳の道が、くねくねと広がっている。博物館、聖マルコ教会、市場、石の門と小さなトンネルがある。

聖マルコ教会は、13世紀に作られたものとなっている。

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聖マルコ教会前で写真を...
(撮影ポイントだよ。クリックするとやや大きい画像が出ます。)

教会の瓦屋根は、モザイク模様となっており、大きな二つの紋章のデザインで彩られている。クロアチア、ザグレブの紋章を左右に描いている。

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同じく夕日に映える屋根の紋章

市場のある広場の近くに聖ステファン寺院がある。夕方に訪れたため、広場にあった露店のほとんどが店終いしており、生ごみの異臭がたちこめていた。ステファン寺院は、新ゴシック形式となっており、高い塔がそびえ立っている。こちらは16世紀に建てられたが、19世紀後半の地震の後、改築されたものとなっている。

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(この地図はあくまでも参考であって不正確であります。)

続く
Copyright1999 Ichirou Kataoka
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