1.旅へ.....

れにしても...と康は思った。500年経っても問題は解決していないだろう、という彼の言葉はそう思わせる現実が存在していることに改めて気づかされた。

テレビではコソボ紛争について空爆が今日も行なわれたことを伝えていた。

パオロとは、いわゆるお国自慢をしたことはなかった。しかし、知り合いのマルティナについてたまたま話しをしたときに初めて彼の故郷に対する考えを知ることになったのだ。

「彼女はザグレブ出身らしいね。」

「そうさ。」

「ザグレブっていったら、ここからかなり遠い。」

「そんなことないさ。思っているほど遠くはないよ。」

「君とは気が合うようだね。よく話し込んでいたけど。」

「彼女と自分の故郷は近いからだよ。僕もクロアチアに何度も行ったことがあるし。」

「3年前はあのあたりは大変だったんだろ?」と何気なく私は尋ねた。

基本的に親しい人であっても政治の話しをすることはなかったのだが、このときは何も考えず、相手がどんな反応もするかも考慮しないまま尋ねていた。

「あの戦争で全てが変わってしまった。」彼のトーンは急に低くなり、小声で続けた。

「ただ、クロアチアとスロベニアは結果的に独立することができた。」

「でもこれからはどうなるんだろね?」私はユーゴスラヴィアについて何も知らないことを恥じながらも彼に質問した。

「まだまだ問題は続くさ。何度も国境へ侵入し、戦争が起こる。戦争が起こるたびに故郷は敵の支配下になる。これが何百年も続いてきたんだ。残念だが、これからも問題は起こるさ。問題は容易に解決しない。」
彼は一気に状況を説明してくれた。

「でも、君の故郷はイタリアじゃないか。」

「そうさ。でも、国境を敵が何度も侵入した。その事実は忘れることはできない。」

彼はそれだけ言うと黙ってしまった。さすがに私もこれ以上無知を曝け出すことは慎むべきだと判断したため、会話を止めて彼と共にミーティングに出掛けた。私は、ユーゴスラヴィアについて、もう少し学ぶ必要があると判断した。なぜなら、自分の周りにいる親しい人の中にはユーゴ出身もいたからである。意図的に彼らと政治の話しをすることは避けていたが、3年前の内戦については無知に等しい知識しかなかったため、知りうることは学ぶべきだと彼との会話から強く示唆された。

ニーニョもまた、ザグレブ出身のクロアチア人だ。今、彼の実家はミラノにある。そのため、ニーニョは言語をいくつも操ることができる。

「クロアチア語、英語、フランス語とイタリア語さ。」

「俺だって、英語、フランス語、日本語、関西弁を話せるぞ。」私は精一杯の虚勢を張った。

「関西弁って何?」

「日本語の方言だよ。標準語とは少し違うんだ。」

「重要なのは、話せる言語の数より何を伝えるかさ。」彼は子供を諭すように説明した。

そんな彼とは、クロアチアについては全く話しをしたことはなかった。彼とはイタリアの話しをする方が多かった。彼自身も自分はイタリア人であると強く意識しているようだ。そのせいか、女性に出会うと、急に優しく、しかし、絶対に自分のものにしようと狩人のような性格になる。イタリア人そのものを表している。しかし、幸か不幸か、私の周りのイタリア人は、みな「オレはシャイなんだ。」と挨拶文句のように説明していた。私の持っていたイタリア人のイメージよりはおとなしい奴らのようだ、となぜか安心したのだが、彼らを観察していると、どんなシチュエーションでもかなり喋っているではないか。「それでも君等はシャイなんか?」と思わず突っ込みそうになった。世界ではシャイの程度も違うことを新たに学んだ。

そんなニーニョは、セルビア人であるイヴァナと非常に仲がよい。単に女好きなんだろう、と勝手に考えていたが、それにしてもお互い、長時間喋っている姿を見掛る。内戦と個人とは事情が違うことは明らかだった。当たり前のことなのだが、政治レベルと個人とは違う。共通の話題があり、お互いに気が合うのは普通のことなのである。しかし、第三者から見ると、どうも政治に関する情報をマスメディアから得てしまっているので、色メガネをかけた状態で人を見てしまう。本腰を入れて、ユーゴスラヴィアの正確な情報を知る必要があることを感じた。

97年の正月は、スキー三昧だった。3月に大阪から毅君と剛君が来ることになったので、どこかへ旅行に行こうかな、と列車時刻表をパラパラめくりながら旅行先を探していた。

「おおっ、ユーゴ行きの夜行があるんや。」私は、メジャーな観光地を巡るよりは珍しい場所に行ける時に訪れておく方が価値があるのでは、と貧乏性から勝手に判断した。その頃は、W杯や日本人のクロアチアリーグ入団といった話しの前だったので、日本人にとってはどこにあるかも知らないほど珍しい国では、と正直に考えていた。それほど長い間滞在することはできないが、その国を知るには、実際に訪れて、街を歩いて観察するだけでも参考になるため、ザグレブ行きを彼らに提案する予定だった。


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