プレイヤーの分身としての主人公
主人公の行動とその動機付け
ロマサガ1において、主人公の行動に動機が無いケースが非常に多い。これは、このゲームシステム自体が主人公に動機を与えないということと、プレイヤーの意思により主人公を自由に動かせるということに起因している。
ということは、画面内の主人公は単なる記号であり、その真の姿はプレイヤー自身と考えてしまって構わないだろう。
これが何を意味するかというと、プレイヤーのスキルが、主人公の行いに直接反映されるということである。
何度もロマサガ1を通してクリアしたプレイヤーには、百戦錬磨のスキルが蓄積されている。主人公には、プレイヤーのスキルがそのまま与えられていると考えればいい。
それにより、2周目にはいきなりシルバーの財宝を漁りに行ったり、より短い時間でクリアしたり、あるいは必要とする仲間さえも減らしてたったひとりで阻止することも可能になるのである(笑)
ロマサガ1は、プレイヤーという高次元の存在が、マルディアスの主人公に乗り移って世界の運命を動かすゲームだと考えれば、わざわざストーリーとの整合性など考える必要も無いわけである。世界はプレイヤーの思い通りに動くのだから。
別の言い方をすれば、ロマサガ1は、プレイヤーが主人公になりきって楽しむゲームではなく、主人公をプレイヤー色に染めて楽しむゲームである。
さらに、ゲーム中で出てくる全てのセリフも、記号として捉えれば、主人公の設定どおりの人格や、プレイヤーの意思に反する表現でも、納得がいく。
「おー びじんじゃん ぜひなかまにせねば」は「はい」であり、「カッパか はっ!」もあくまでも2択のうちひとつなのである。画面に出るセリフと同じことを主人公がしゃべるのではなく、そういった内容のことを主人公自身の言葉で語っているのである。それは、敬語であったり命令口調であったり……。
そしておそらく8人の主人公のうちの誰かひとりについては、画面どおりの台詞が想定されているのだろう。
門番の「かえれ!」というセリフも、ジャミルに対してはまさにそのままだろうが、アルベルトに対しては「城主は多忙につき謁見はまかりなりませぬ。どうかお引き取りを」なのだろう。
これらの記号としてのセリフに、プレイヤーの主観と妄想を入れ込む余地があるからこそ、ロマサガ1の世界は深淵なのだ。
HP50の真実
以上のように考えてみると、ゲーム中の会話において、「あなた」という呼びかけが、主人公ではなく直接プレイヤーに向けられているとしか思えない場合が多々あることに気づく。
その最たる例がエロールをはじめとする神々、それからフラーマなどのセリフである。
デスのセリフで「おまえなら絶対後悔するような代償だが…」というものがある。あれは、主人公に対してではなく、プレイヤーのあなたに対して投げかけられているものと考えるのが適切であろう。
代償のHP50というのは、ロマサガ1の世界における、一般人の命の重さである。
つまりヒトひとりを生きかえらせるためにはヒトひとりの命を引き換えにする必要があり、「プレイヤーのおまえなら絶対死ぬほどの代償だが、本当におまえの分身から取ってもいいのか?」ってコトなのだ。
もちろん、プレイヤーの分身たる主人公は、もはや普通の人間を超越した強さになっているので平気であると思われ……(笑)