"スパークNo231" (2003.1)



全国で進む無償残業是正の動き
アイシンで無償残業代 1億7000万円
(68,034時間分)支払われる
 アイシン精機で昨年の12月10日に無償残業代、総額1億7000万円が支払われました。会社と労働組合の合同の調査により、昨年4月から9月の半年間で68,034時間分(一人最高400時間)について、出退勤記録と残業時間との相違があることがわかり精算金が支払われました。画期的なことです。
 これは粘り強く続けた労働者、家族の訴えが労働基準監督署を動かし、監督署が会社に調査に入ったためです。この金額は現在のところ、愛知県では一企業が支払った額としては最高です。


全国では81億円、613の企業、7万人に、
愛知県では5億2000万円、147社、6千人に(厚労省まとめ)

全国の企業のうち労働者にサービス残業させていた613社が、昨年9月までの約1年半の間に、労働基準監督署の指導を受けて総額81億円余を従業員側に支払っていたことが昨年12月13日、厚生労働省のまとめで分かりました。中には、1社で約12億8700万円を支払った企業もありました。同省がサービス残業の是正状況についてまとめたのは初めて。いったんは指導に従ったものの一部しか改善しなかった4社は「悪質」と判断され、労働基準法違反容疑で書類送検されました。
 愛知労働局は、「サービス残業」について監督指導した結果、一昨年4月から昨年9月までの間に県内6124人の労働者に総額5億2千万円の未払い割増賃金が支払われたことを昨年11月末、明らかにしました。愛労連や日本共産党の職場支部などが告発運動を続けてきた成果です。
告発や投書で監督、是正指導  同労働局によると、県内十四労働基準監督署(支署)で、サービス残業に関する告発や投書、申告により、サービス残業をさせていた企業に臨検監督を実施し、是正を指導しました。
関西地方では・・・・  一方、関西地方でも表にあるような運動の成果がみられます。


異常に長いデンソーとトヨタ系の労使協定残業枠
 表に示したのは平成12年度時点での、36協定に基づく年間残業時間限度枠の全国の事業所別分布表です。この時点でのデンソーの協定限度枠は年間1080時間(現在は720時間)ですから、全国でも1%にはいる「超長時間企業」と言えます。同じくこの時点での他社の状況をみてみると、トヨタ自動車720時間、アイシン精機900時間ですから似たりよったりです。トヨタ系労使の時短の取りくみの遅れと、労働の苛酷さを示すデータと言えます。


どうなってるの?
ゆたか会のダンマリ解散と
デンソー参政会発足

 組合からは一般組合員には通知もありませんが、さんざん企業ぐるみ選挙を展開してきた「総合ゆたか会」が昨年8月末日をもって解散したそうです。よって「刈谷ゆたか会」も昨年11月17日に解散したそうです。昨年7月に発行された「刈谷ゆたか会」再集合によると「誠に残念でありますが、諸般の事情により、当号をもて発行を終了することになりました。何卒、ご理解くださいますようお願いいたします」と最終ページの右下に小さく書いてあるだけです。こんな「説明」だけで、「ご理解」できるわけがありません。多額の組合費を地域活動費を称して横流ししておいて、一方で金を一銭も払わない会社の部長が会長になっていた組織だったのです。そして組合費を払っている一般組合員が入会したいと言うと「ダメです」と理由も示さず言う。おまけに会則、会計報告もどうなっているのか、どれだけ問うても闇の中。かって、組合執行部に「ゆたか会って、何をするところか」と質問すると、「皆でカーブミラーのソウジをする組織です」とまじめな顔で、人をバカにした回答が戻ってきたのには唖然としました。そして更に問題なのが、デンソー出身の全ト労連副会長が選挙がらみで、郵便局員にワイロを贈って逮捕され、有罪判決が出ても、組合からは何の正式声明もなし、処分もないということです。無責任、自浄能力無しも、ここまでくるとあいた口がふさがりません。
 そして今、新たにデンソー参政会という組織をつくり組合員から一定金額を自動的に吸い上げて、選挙資金とする計画が進行中ですが、「反省なき行動」の行きつく先は、同じ誤りの繰り返しです。

写真に見る日本史の中の日本共産党      連載第9回

夜の銀座を行く安保反対の大デモ(1960.7.2.夜、日本)

米軍兵による女子中学生れき殺事件に抗議してソウル市庁舎前を埋めた10万人の大キャンドル・デモ(2002.12.14.夜、韓国)


民族独立の悲願と綱領の確立

 写真は43年前の日本のデモと、昨年末の韓国のデモの模様を写したものです。どちらも米軍への屈辱的従属に反対する夜間デモです。六〇年の安保反対当時、日本共産党は政治勢力としては今より格段に小さかったのですが、正確な国民の共同戦線を拡げる戦略的展望を示し、統一戦線の重要な一翼を担いました。このデモの翌年、日本共産党は発達した資本主義国でありながら、アメリカ帝国主義からの完全独立をめざすという世界でも類をみない創造的綱領を決定したのです。