2006年4月17日(月)「しんぶん赤旗」

カネミ被害者集結
33年ぶり全団体 全面救済を要求


 国内最大級の食中毒(食品公害)、カネミ油症事件ですべての被害者団体が一堂に会して救済を求める集会が十六日、北九州市で開かれ、被害者百四十三人をふくむ二百五十人が参加しました。
 長崎県五島市の下田順子さん(44)は「カネミは人生を変えた。全国どこでも無料で医療が受けられるようにしてほしい」と求め、未認定患者の一人は「四人の子どももみな肝臓や腎臓が悪い。この子たちを殺して私も死のうとなんど思ったことか」と涙ながらに語りました。
 「油症手帳」(仮称)を交付し医療費全額を公的負担にすることや、健康管理手帳を支給して医療・生活支援措置を講じること、仮払金の返還免除、未認定被害者の救済――など七項目の要望事項を決議しました。
 原田正純熊本学園大学教授や吉野高幸弁護士らがよびかけ人となって開かれたもので、全被害者団体が集まるのは、一九七三年の全国集会以来、三十三年ぶりです。
 被害者たちは、いまも膿傷(のうしょう)や深刻な頭痛、脱力感などの全身症状、腫瘍(しゅよう)や肝障害などに苦しんでいると訴えました。
 損害賠償請求訴訟で国の責任を認める判決が出たため、いったん受け取った仮払金の返還を国に求められ、健康被害に加えて、二重三重に苦しんでいます。
 集会には、与野党五政党の国会議員が出席し、最後まで参加した、日本共産党の仁比聡平参院議員は「カネミ油症被害の全容解明、被害者の全面救済のために全力をあげる」とのべました。


2006年4月17日(月)「しんぶん赤旗」

規制緩和で家庭崩壊
仙台 賃上げ求め車両デモ


(写真)「規制緩和反対」を掲げたタクシーデモ=16日、仙台市

 憲法改悪、大増税反対! 交通運輸の安全安心の確保を――。

 建交労、自交総連、全運輸など交通運輸関係労組の共闘組織・宮城交運共闘は十六日、賃上げ、労働環境の改善などを求めて仙台市でタクシーやダンプカーによるデモをしました。
 デモにはタクシー二十五台、ダンプカー十五台、トラック十七台など七十二台が参加。「賃上げ・まともな運賃を」「国土交通省は規制緩和失敗の責任を取れ」などと書かれたステッカー、幕、のぼりを付けて市民にアピールしました。
 デモに先だって開かれた決起集会には百五十人が参加。労働者らが「運賃のダンピングや競争激化で賃金が下げられている。輸送の安全のために市民に訴えよう」(トラック運転者)、「賃金が最低賃金の水準にまで落ち込み、家庭崩壊や長時間労働による健康破壊まで招いている。人間として当たり前の生活を取り戻すために頑張ろう」(タクシー乗務員)などと決意を表明しました。
 仙台市では二〇〇二年の道路運送法改悪でタクシーの台数規制が廃止されたことでタクシー台数が一・三倍になり、乗務員の収入減、労働環境悪化が深刻化。昨年、乗務員らが国に減収分の賠償を求めて提訴し、裁判で争われています。


2006年4月17日(月)「しんぶん赤旗

ゆうPress
風呂ロック♪
いい気持ち♪♪


 銭湯で音楽を楽しもう――。東京・武蔵野市の吉祥寺周辺に住む青年たちが、音楽を通して交流を深めようと銭湯を会場にライブを開いています。その名も「風呂ロック」。どんな思いが込められているのでしょうか。(伊藤悠希)

東京・吉祥寺 銭湯に歌声ひびく
 いつもは疲れを癒やすお風呂場がライブ会場に変身です。弁天湯の入り口には風呂ロックと書かれた看板。のれんをくぐるとおそろいのTシャツを着たスタッフが「こんばんは」と迎えてくれます。
 一番前に並んでいた山川るみさん(65)は「きょう出演する知久寿焼さん(バンド「たま」のメンバー)と銭湯は雰囲気が合っている。ぜひ見たいと思って来た」と言います。一緒に並んでいた山川さんの友人は「昔は銭湯の定休日には寄席をしていた。周辺地域とのコミュニケーションの場だったのよね」。
 三回目(三月三十日)の開場は女湯です。湯船がステージ、バックには富士山のペンキ絵。二つのライトが知久さんを照らし、歌声はドーム型の屋根に反響します。お客さんは洗い場に座って知久さんの歌に聞き入っています。「ライブハウスよりいいかも。音が耳に心地よい」と林菊枝さん(38)=板橋区=。都内に勤める女性(24)は「お風呂で歌うと気持ちいいから、銭湯でのライブと聞いて、行きたいと思った。いつもと場所だけが違うけど、お風呂で歌ってるときの気持ちよさがある」。
 「いい湯だな」を知久さんがアレンジして歌います。「ここは吉祥寺、弁天湯」。お客さんも一緒に歌います。
 脱衣所にはワン・ドリンク・サービスの引換所と手作りのサーターアンダギー(沖縄の揚げ菓子)の販売所があります。スタッフが着ているTシャツや手作りバッジも販売しています。
 ライブ終了後、お客さんには弁天湯の入浴半額券が配られます。「銭湯に来るのは久々。ライブを見に来るとは思っていなかった。お風呂に入りに行きたくなりました」と会社員の男性(27)。一番前で演奏を聞いていた木下英人さん(29)と刈屋幸代さん(27)は「文化的なものが身近に来ることはありがたい。場所が銭湯っていうのも懐かしくて」。風呂上がりとは一味違う気持ちよさで銭湯を後にする客の姿がありました。

“地の人”“よそ者” 交流の場になれば
 「風呂ロック」を企画した佐藤広輝さん(28)は普段は吉祥寺で飲食店を開いています。「音楽そのものを楽しんでほしい。地元を盛り上げたいんです」と理由を話します。

♪利用客が減って
 “銭湯でライブを開く”ことになったのは店の客、岡竜平さん(20)の「おばあちゃんの家が『弁天湯』という銭湯。最近利用客が減ってきたけどなんとか盛り上げられないかな」という話がきっかけです。佐藤さんは音楽が好きということもあって銭湯でライブをすることを思いつきます。企画書をつくって岡さんへ渡します。「おどろきました。具体的になるとは思っていなかった」と岡さん。
 岡さんは吉祥寺生まれの吉祥寺育ちです。家庭に風呂が普及し始めてから銭湯の利用者は減少し、吉祥寺に四つあった弁天湯も一つになりました。昨年、銭湯の近くのそば屋が閉店。弁天湯によく遊びに行っていた岡さんにとってなじみの店でした。弁天湯は今年六十周年。そのそば屋も同じくらいの老舗でした。「そば屋の閉店は、前々からの“銭湯のために何かできないか”との思いを行動に起こす火種になりました」
 「吉祥寺の人とよそから移り住んで来た人の交流の場になればいい」と佐藤さんは話します。佐藤さんは宮城県出身。吉祥寺に住んで六年になります。昨年、吉祥寺に住んで初めて祭りのみこしを担ぎました。そのときから“吉祥寺も地元″という意識が芽生えました。「今までは実家のある宮城だけが地元という意識だったけれど、みこしを担がせてもらう=地元の人に受け入れてもらったという感じがして。吉祥寺の人も三十、四十年前に東京に出て来た人。案外『よそ者』を受け入れてくれる。『風呂ロック』をきっかけに交流が進めばいい」
 商店街の人もポスターを張らせてくれ、店頭にチラシを置かせてくれます。「風呂ロック」にも顔を見せてくれたり、客を連れて来てくれたりします。「自分の中の吉祥寺への地元を大切にする意識はまだ足りない。吉祥寺をもっと盛り上げたいからこういう企画をしたいと思ったんです」

♪ボランティアで
 スタッフは佐藤さんと岡さんの友達です。「風呂ロック」の手伝いを頼んだら引き受けてくれました。働いている人や学生なので時間の合間をみつけてのボランティアです。得意分野を生かして、美大生はTシャツ、看板、ポスターなどを作り、音楽の専門学生は音響やステージ設営を担当します。十六、七人いるスタッフは地方出身者がほとんど。企画をきっかけに地元の人との交流が深まりました。
 佐藤さんは「お年寄りにも音楽を楽しんでほしい。今後はシルバーシートを設置しようかとも考えています。“銭湯でのライブ”をモットーに、お年寄り、子ども、外国の方も一緒に楽しめるものにしたい。銭湯を利用している人がライブも見に来たよ、という感じになればなと思います」。

“弁天湯”も喜んでくれた
 岡さんの祖母で弁天湯の三江菊枝さん(80)は、初めは若い人が銭湯で新しいことをすることに前向きではありませんでした。弁天湯の運営者三江正徳さん(57)が場所提供に協力してくれ“銭湯でのライブ”が実現します。3回のライブを通した今、菊枝さんは喜んでくれています。

お悩みHunter
転職考え面接行くがどこもピンとこない

Q医療事務の資格を生かして転職しようと思っています。クリニックや病院の面接を受けていますが、ピーンとくるものがありません。即戦力ばかりを求めているようで。正規採用を希望しているのですが。妥協して働いた方がいいのでしょうか。(25歳、女性。東京都)

探し続けるか、変革するか
A「ピーンとくる希望の職場」をお探しとのこと。この「ピーン」の具体的な中身がよくわからないのですが、何となく「ピーン」とくるから不思議です。きっとあなたが大切にされている人間観なのでしょう。働き手を、自社に都合のよい「即戦力」としてしか見ないような人間観は、嫌なのかもしれませんね。責任を持った正規の社員として採用し、人として大切にしてくれる職場を求めておられるのでしょう。
 でも今どき、このように働く人を人間として尊重し、息長く育てようとする企業など、なかなか存在しないのではないでしょうか。
 そこで、二つの考え方を試してみてはいかがでしょうか。一つは、今の仕事を続けながら根気よく「ここぞ」と思える職場を探し続けることです。または、思い切ってとりあえず医療事務系の仕事に転職することです。
 そこで働きながら、あなたが求める理想の職場にするために奮闘してみてはいかがでしょうか。つまり、「ピーン」とくる職場につくり変える作戦です。あなたの視点が素敵であれば、共感してくれる仲間も多くなるはずです。
 あわてず、心が通じ合う仲間と共に楽しみながら職場を“変革”するのです。変える展望も持たず、ただ「妥協」を重ねて、働くのはやめた方がよさそうです。展望なき「妥協」では、変革しようとするエネルギーがわいてこないからです。

教育評論家 尾木 直樹さん
 法政大学キャリアデザイン学部教授。中高二十二年間の教員経験を生かし、調査研究、全国での講演活動等に取り組む。著書多数。


2006年4月17日(月)「しんぶん赤旗」

「安全いつも念頭に」 事故から1年 青年シンポ
福知山線脱線


穀田議員が報告

(写真)青年シンポで報告する穀田恵二衆議院議員=16日、大阪市

 JR福知山線脱線事故から一年を前にした十六日午後、大阪市内で「問われるJRの安全! 鉄道の安全を考える青年シンポジウム」が開かれました。青年たちでつくる同シンポジウム実行委員会の主催です。
 報告したJR西日本大阪電車区運転士の青木達夫さんは、事故の背景を明らかにしながら「『余裕時分』や保安装置に一定の改善は図られたが、運転士、車掌、現場社員の労働条件は置き去りにされている」と指摘。JR西の課題として、最新の保安装置の導入、人減らしに歯止めをかけることを提起しました。
 日本共産党の穀田恵二国対委員長・衆院議員は(1)事故は防げなかったのか(2)事故の背景に何があったか(3)JRは変わったか―について多くの事実を示して解明。「日本共産党の立場」として、「政治の責任」の重大さを指摘し、「鉄道に限らず、空でも海でも深刻な事態が起きている。そこに共通する問題として、事故の兆候、重大因子を大事にし、掘り下げる必要がある」と提起しました。また「安全確保には労働組合を大切にし、差別をせず、自由にものがいえる明るい職場がかかせない」と力説しました。
 質疑で「利用者としてどうしたらいいのか」との問いに、穀田氏は「たとえばJRが安全性向上計画を出しているが、事実はどうなっているのかを知り、それを知らせていくことが大切ではないか」と話しました。
 参加した天王寺車掌区の車掌(22)は「穀田さんが労働組合が大切や、いわれたのが、涙がでるほどうれしかった。会社は現場の声になかなか耳を貸さないが、利用者の安全をいつも頭において仕事をしたい」と話します。
 京橋電車区の運転士(24)は「みんなJRを見捨てていない、JRの安全を願っていることがよくわかった。安全な鉄道をつくるためにがんばらなあかんと思った」と感想をのべました。


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