日本国憲法   

まるごと考えよう日本国憲法

第四部 人権について    F

「公共の福祉」と国民の義務
 自由や権利は、もともと社会的なものです。憲法学者の渡辺洋三氏は「個人の利益、個人の主張が他の人たちによっても正しいということが承認されたときにはじめて、それは権利といえます」とのべています(『新版日本国憲法の精神』)。

国民の幸福
 憲法は、第11条で、墓本的人権は「侵すことのできない永久の権利」とする一方で、第21条で「国民は、これを濫用してはならない」「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と明記。さらに第13条では、国民の権利は「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」としています。
 ここで注憲する必要があるのは「公共の福祉」という言葉です。なぜなら、政府や裁判所によって国民の人権を制約する"決め手"に使われたことがあるからです。
 これにたいして「公共の福祉」とは「国民が全体として、人間として、人間らしく幸福に生きてゆかれるような社会のこと」(渡辺氏)という特徴づけが注目されます。
 憲法をみると、個々の自由や権利のなかでわざわざ「公共の福祉」の範囲内という断り書きをつけているのは、二つしかありません。それは、第22条の「居住、移転及び職業選択の自由」と、第29条の「財産権」です。経済活動の自由にかんする規定の場合だけ、特に「公共の福祉」を強調しているわけです。
 これは、憲法が、同じ「自由」でも「精神活動の自由」と「経済活動の自由」とを区別し、前者をより強く保障すべきだという立場に立っていることを示しています。
 一方、経済活動についていえば、企業の身勝手を許すなら、労働者から人間らしい生活を奪い、貧富の格差をひろげ、環境破壊などの弊害をもたらすことになります。
 そこで憲法は、国民一人ひとりの「生存権」を保障するために「ルールある経済社会」づくりを要請しているのです。

権利の保障
 「国民の義務」も、基本的人権との関係でみることが必要です。
 明治憲法は「兵役の義務」と「納税の義務」を強調。これに「教育の義務」をくわえた三つが「臣民の三大義務」とよばれました。天皇の家来として果たすべき「義務」という位置づけでした。
 いまの憲法も、三つの「国民の義務」を定めていますが、戦前とは位置づけが遼います。
 ーー第26条「保護する子女に普通教育を受けさせる義務」は、子どもの「教育を受ける権利」を保障するためのもの。
 −−第27条「勤労の義務」は、働く能力と意志のある人は働くべきだという憲味で、何らかの事情で働けない人は社会がささえるという考え方と表裏一体のもの。
 −−第30条「納税の義務」は、憲法にもとづく政治を成り立たせるために、費用を国民が負担しあおうというもの。
 人権をささえるための「義務」という位置づけになっているのです。

憲法守る義務?
 憲法を「国民から政府への注文書」から、国民が命令されるべきルールにしようと主張しているのが自民党や民主党。憲法尊重義務を閣僚や公務員だけで意く、国民に負わせようとしています。
 もし、こんな憲法になり、「日の丸」「君が代」を国旗・国歌とすると書きこまれたら、「日の丸」「君が代」押しつけ批判が「憲法違反」となりかねません。
 ちなみに、フランスの憲法には「国旗は、青、自、赤の三色旗」「国歌は、ラ・マルセイエーズ」と書かれていますが、国民への押しつけ・強制はありません。

つづく



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