●井上メルマガ('13/4/10)   憲法96条を考える

 井上さとしです。

 昨夜、安倍総理と維新の橋下氏が会談したニュースの中で、両氏が一致している憲法96条改定が話題になっていました。改憲派の他党が「どんな憲法にするのか論議が先」と述べていることを紹介しながら、「手続き」か「中身」かという角度で報道していました。

 しかし、96条改悪は単なる手続きの問題ではありません。権力を国民が縛るのが憲法であり、だからこそ簡単に変えられないようにしてあるのです。96条を変えることは、憲法の本質を変えてしまう問題なのです。

この問題で丁度、昨日の「毎日」夕刊の「特集ワイド」で、慶応大の小林節教授が発言されています。改憲派である小林氏ですが、この点での主張は明快です――

 「絶対ダメだよ。邪道。憲法のなんたるかをまるで分かっちゃいない」「権力者も人間、神様じゃない。堕落し、時のムードに乗っかって勝手なことをやり始める恐れは常にある。その歯止めになるのが憲法。つまり国民が権力者を縛るための道具なんだよ。それが立憲主義、近代国家の原則。だからこそモノの弾みのような多数決で変えられないよう、96条であえてがっちり固めているんだ。それなのに……」。

 「縛られた当事者が『やりたいことができないから』と改正ルールの緩和を言い出すなんて本末転倒、憲法の本質を無視した暴挙だよ。近代国家の否定だ。9条でも何でも自民党が思い通りに改憲したいなら、国民が納得する改正案を示して選挙に勝ちゃいいんだ。それが正道というものでしょう」

 ――なぜそうまでして改憲したいのか。小林さんは、自民党が昨年4月に公表した「問題だらけ」の憲法改正草案そのものの中に真意がちらついているとみる。「例えば24条は『家族は互いに助け合わねばならない』とある。ほんと余計なお世話だね。憲法が国民の私生活や道徳に介入すべきじゃないんです」。
(以上、「毎日」より)

 こうした論議は安倍首相の耳にも入っているのでしょう。5日の予算委で「反論」を試みています。「憲法は、権力者側に対して、かつては王権でありますが、王権に対して制約を国民が課す存在でありました。しかし、今、自由や民主主義が定着をしていて、国民主権が明らかな中で果たしてそれだけかどうか。どういう国にしていくかということも憲法に込めていくべきと、私は考えている」。

   逆ですね。国民主権だからこそ、特定の国のあり方や家族観を憲法で決め、国民をしばってはならないのです。やっぱり、この人に憲法に手を付けさせてはなりません。維新など加えた改憲勢力三分の二を許してはなりません。


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