●井上メルマガ('07/8/31)   水上・不破 往復書簡集

  井上さとしです。

  メルマガ読者の皆さん、ご無沙汰しています。井上さとしです。

    お盆の間はメルマガもお休み…などと思っているうちに、今日で8月も終わり。夏休みの最終日に宿題の「読書感想文」を書くような思いで書いてみました。

    水上勉さんと不破哲三さんの往復書簡をまとめた『同じ世代を 生きて』を不破さんからいただきました。まったく面識のなかったお2人が心臓病との闘病という共通点をきっかけに出会い、「心友」として交流を深めていかれる様子を往復50通の書簡で紹介したものです。

  心を許しあった人間同士の交流の様子に引き込まれるように一気に読み通しました。しかも、この本に登場する場所は私にとってもなじみの深い場所。水上さんの京都宅である左京区百万遍のマンションは我が家のすぐそば。さらに水上さんの故郷で、「若州一滴文庫」のある若狭・越前も、山小屋のある信州佐久も、私が今回の選挙の時の担当地域としてたたかった場所です。水上さんのご子息である窪島誠一郎さんが館長を務められてる信州上田市の「無言館」も選挙前に訪ねました。

    1996年の京都市長選挙に際して、不破さんが水上さんに対して井上吉郎市長候補への推薦をお願いし、快く引き受けていただいた話は特に引き込まれました。当時、私は「民主市政の会」の政策宣伝の部署で活動し、ビラやポスターを作っていました。水上さんから、井上吉郎候補への推薦文が届いた時には、百万の援軍が到着したように力強く感じ、興奮しました。

  水上さんから届いた推薦文は原稿用紙に直筆でかかれたもので、言葉を消したり書き加えた跡がそのままでした。水上さんが推敲を重ねて推薦の言葉を書いていただいたことが良く分かるのもので、活字にせずに原稿そのままをポスターにして張り出しましたが、これは大変な評判をよびました。この推薦文も大きな力にし、選挙で井上候補はオール与党陣営に4000票にまで迫る大接戦を演じたのです。

  不破さんの要請に水上さんが二つ返事で快諾してくださった経緯を読み、改めて京都の景観と自然の危機に対する水上さんの思いをかみ締めました。

     さて、本題とははずれますが、不破さんが「余談」として紹介されていることに驚きました。不破さんが『学生新聞』に『古典への旅』を連載していた時の話です

  「そのころは、寝酒にウォッカなど結構強いアルコールを飲んでおり(ある人から、それは寝酒ではなく気付け薬だといわれましたが、たしかに眠くなるまでには、相当飲んだようです)」とのこと。不破さんが、ウォッカを飲みながら、ワープロに向き合う姿は、あまり想像できません。さらに驚いたのはその続き。
  「朝起きてから、仕事をしようとワープロに電源を入れたら、まったく記憶のない連載一回分が打ってあった、というような”成功談“もありました」というのです。私などは、酒を飲みながら仕事をしてうっかり寝てしまい、夢のなかでは原稿が書きあがっているが、目を覚ましたら何もなかった、という逆の経験はありますが……。

   よし、これからは焼酎ではなく、ウォッカにしよう。



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