●井上メルマガ('07/6/8)   ワシントンと二宮尊徳

  井上さとしです。

    今日も文教科学委員会で教育3法の質問に立ちました。テーマの一つは、教育再生会議が先日打ち出した「徳育」の教科化の問題です。戦前の修身教育が特定の価値観を押し付け、若者を軍国主義に駆り立てたことの反省から戦後教育は出発しました。その後、様々な逆流がありますが、今、学校での道徳教育は「教科」ではなく、「道徳の時間」として行なわれており、評価も無いし、もちろん教科書もありません。

    教育再生会議はこの徳育を特別の「教科」にしようと打ち出したのです。これをどう批判するかの打ち合わせをした時にベテラン秘書が戦前の修身科教科書の復刻版を持ってきてくれました。実は修身教科書をじっくり見るのは初めて。ぱらぱらとめくると、様々な偉人の話のオンパレードです。

    そして火曜日の質疑。国民新党の議員への答弁で伊吹文科大臣が、「ワシントンや二宮尊徳はこういう行動をしたとか、こういうことを教えるんだと思うんですね。それを学んで自分も、そういう規範を身につける。何を参考例に出すのかは、国がある価値観を持って決めるような検定教科書的なものを作るのは非常にむずかしいのではないか」と述べ、特定の価値観を持ち込まないことを強調しました。

   この答弁を見て、「もしかしてと」思って修身教科書をめくると尋常小学校3年生用のものに、ワシントンも二宮尊徳も出ているではありませんか。よし、これを使おう、と決めました。そして今日の質問です。

   私は伊吹大臣の先の答弁を引用し、「実は、ワシントンや二宮尊徳は戦前の三年生の修身の教科書に両方載っている」というと、大臣は「そうですか」と声を上げ、議員席からも「良く調べたな」という声が上がりました。

   今の子ども達はワシントンや二宮尊徳は余り知らないと思います。大臣は2人とも同じ修身教科書に載っているとは思わずに答弁したのだと思います。しかし、「道徳」といえばワシントンと二宮尊徳が思わず口に出ることに子どもの時の道徳教育の影響の大きさを実感しました。

   私は「偉人の行動を学ぶといっても、その選び方や教え方によって、特定の価値観が入ってくる。戦前の修身はまさにそうだった。教科書を使うことは結局、一定の枠にはめた道徳観を教えることになる。徳育の教科化は行うべきでない」と強調しました。修身教育の復活は許してはなりません。



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