●井上メルマガ('06/10/31)   忘れてならないこと

  井上さとしです。

    83人の真剣なまなざしがぎゅっと集まりました。今日の午後、院内で開かれた中国人強制連行の被害者の皆さんの集会で挨拶した時のこと。死ぬまでに解決してほしい――その思いが痛いほど伝わってきました。

    戦争末期に日本政府は、閣議決定により約4万人もの中国民間人を連行し、国内35企業の135事業所で強制労働をさせました。その労働は、わずか1年の間に6830人(17.5%)を死亡させるという残酷なものでした。敗戦後、被害者らは、賃金は未払いのまま無一文で中国の港に送還させられ、多くの人々は物乞いをしながら徒歩で故郷に帰り着きました。ところが企業は、賃金未払いにもかかわらず、政府が指示した賃金より多額の賃金や戦後の休業手当を支払ったと偽り、政府から巨額の賠償金を受け取ったのです。

    被害者とのその家族の皆さんは、日本政府と加害企業を相手取って「謝罪と賠償」を求める裁判を全国各地で展開しています。そして、今回、被害者と遺族83人が「座して死を待つことは出来ない」と来日されました。遺影を掲げてのパレードを議面前で激励し、叫びのような訴えを聞きました。その後での院内集会です。

    私は挨拶のなかで、この問題が、無理やり連行し、強制的に働かせ、賃金も支払わず、そのうえ支払ったと偽って賠償金を手にした――4重の罪があると強調しました。そして、被害者の1人、劉連仁さんの言葉を紹介しました。

    強制労働から逃げ出し、終戦を知らないまま北海道の山中で13年間も逃亡生活をしていた劉さんは、提訴から4年後、東京地裁での勝訴判決を聞くこと亡くなりなりました。その劉さんが地裁の法廷でのべた「私の経験はすでに歴史 となりましたが、歴史を忘れてはなりません。被害者は忘れてはなりませんが、加害者はもっと忘れてはなりません」という言葉です。そして、日本がこの歴史と向き合い、謝罪と補償をしてこそ、真の日中友好も実現できると結びました。大きな拍手がありました。

    挨拶を終え、席に戻ると、実は隣に座っていた人が劉さんの息子さんの劉煥新さんでした。言葉は通じませんが、ぎゅっと握りしめた手から思いが伝わってきました。

    歴史を忘れることはもちろん、歴史を捻じ曲げることも許されません。過去を反省してこそ、未来をともにみつめあうことができるのです。



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