●井上メルマガ('06/09/16)   松代大本営を見学して

 井上さとしです。

    日本の戦争とはいったいなんだったのか――長野市にある松代大本営を見学して、改めて考えさせられました。松代大本営とは、大戦末期に、空襲を避けて本土決戦を指揮するために、軍を統帥する大本営と天皇の御座所を移動する目的で秘密裏に掘られた、のべ10`に及ぶ巨大地下壕です。

   「九条の会」交流集会で国会報告をするために長野を訪れた17日、「大本営の保存をすすめる会」の縣重夫さん、前長野市議の伊藤邦広さんの案内で、和田あき子県議候補とともに見学しました。

    まずは象山地下壕の中に入りました。いや、驚きました。公開されているのは地下壕の1割だけですが、中にはいるとその巨大さに圧倒されます。この壕は、中央省庁の一部と日本放送協会(NHK)と中央電話局(現NTT)が入る予定で約1万人が執務する予定でした。とてつもない規模です。他に大本営参謀が入る予定だった地下壕や天皇移転のための施設もあります。

    大本営の建設は絶対秘密で、「松代倉庫」という名称で超突貫工事で進められました。国民とともに大量の朝鮮人労働者が動員され、とくに朝鮮人は、過酷な労働と劣悪な住環境を強いられ、多数の人々が亡くなりました。

    全体で8割程度の工事が進んだ段階で敗戦を迎え、大本営として使われることはありませんでしたが、天皇の御座所はできており、天皇移転のための特別仕立ての車もできていました。当時、「一億総玉砕」という言葉が使われましたが、単なる精神的スローガンではなく、首都東京を見放して何千万の国民が死のうとも、天皇と軍の中枢が長野の山中の地下壕に立てこもって「国体護持」をはかる――これが、あの戦争だったことを示しています。

    「沖縄で住民を巻き込んでの長期の地上戦が戦われたのも、この松代大本営が完成していなかったから。時間かせぎのために、沖縄の住民が犠牲にされました。沖縄のガマと、この地下壕は一体のものです」という、説明の言葉に、かつて訪れた沖縄のひめゆり記念館の展示を思い起こしました。

    今、あの戦争は何だったのか――その歴史観が鋭く問われている中、多くの皆さんに訪れていただきたい場所です。侵略戦争を正当化する安倍政権との対決に静かな決意を固めています。



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