●井上メルマガ('06/07/06)  山宣の碑を訪ねて

 井上さとしです。

    通常国会が終わって、会期中は十分できなかった地域周りに追われており、メルマガがご無沙汰になり申しわけありません。

    6月末に2泊3日で長野県内を一巡した際に、上田市の別所温泉にある山本宣治の碑を訪ねることができました。山宣は、京都出身の戦前の労農党の代議士で、ただ1人治安維持法の改悪に反対し、右翼の凶刃により命を奪われました。

    その山宣が、暗殺される4日前に演説したのが上田市の上小農民組合連合会での講演会でした。農民たちは様々な困難の中、山宣の一周忌に記念碑を建立しましたが、その後、弾圧が強まるなかで警察はこの碑をこなごなに壊すよう命令しました。しかし、地主の斉藤氏は、警察には壊したと始末書を出し、碑をひそかに自宅の庭に埋め保存していたのです。

    それから36年後、碑が埋められていた事実が知らされ、1971年に碑が再建されました。まさに山宣のたたかいは国民の中に深く、深く刻み込まれ、守られていたのです。私は、20年前にもこの碑を訪問したことがありますが、改めて訪問したいと希望し、今回、実現しました。

    山宣の墓は京都・宇治の生家の近くにあります。山宣を偲んで毎年墓前祭が行われ、私も挨拶をしたことがあります。折に触れてお参りし、誓いを新たにする場でもあります。この墓の背面には「山宣独り孤塁を守る だが僕は淋しくない、背後には多くの大衆が支持しているから」という山宣最後の演説が彫ってあります。そして、その拓本は、我が日本共産党国会議員団の部屋に額に入れて掲げてあります。国会内では時には少数で孤立したように見えても国民の願いの中では多数派であるという思いで私たちを奮い立たせてくれます

    今の国会議員団は、こうしたたたかいの礎の上にあります。先の国会では、教育基本法改悪法案が上程され、自民と民主で教育勅語礼賛競争までやられました。現代版治安維持法ともよばれる共謀罪も強行が狙われました。山宣の時代のたたかいを改めてかみ締め、たたかいいを広げる思いをかためた長野での行動でした。



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