坊がつる賛歌

 

 

 

  ミヤマキリシマ 咲きほこり

 

  山くれないに 大船(たいせん)の

 

  峰を仰ぎて 山男

 

  花の情けを 知るものぞ

 

 

 これは“坊がつる賛歌”の一節である。芹洋子さんが歌って有名になった“坊がつる”は、大分県の

 

九重連山の中にある。

 

 この歌をはじめて聞いたのは、彼女の南紀白浜での歌謡ショーだった。その時私は、バックの

 

オーケストラでビオラを弾いていた。もう三十年以上も前になる。甘く澄み切った歌声と、どこか懐

 

かしさを感じさせる叙情的な歌詞とメロディにその場で魅せられて以来、ずっと坊がつるに憧

 

れつづけてきた。

 

 十年ほど前、阿蘇にひとり旅をした時、南阿蘇の温泉に二泊の宿をとっていたので、宿願を果

 

たすべく、翌日、レンタカーで坊がつるまで足をのばしてみることにした。

 

 阿蘇から湯布院に向かってやまなみハイウエイを走ると、道はまもなく九重高原へと登りはじめる。

 

そして登りつめた所が標高千三百三十メートルの牧ノ戸峠で、ここはやまなみハイウエイでも最も標高

 

の高いところである。

 

 そこから下ってゆく途中の沿線には牧ノ戸温泉、星生(ほっしょう)温泉、寒の地獄、長者原

 

(ちょうじゃばる)温泉と温泉が軒並み続いている。そして長者原を過ぎてすこし行った所に、坊

 

がつるへの入口がある。これで確実に坊がつるに辿りつけると思いきや、道は途中で閉ざされていた。

 

そこには車をとめる空き地があり看板が立っていて、一般車はここに止めてあとは歩くようにと書

 

いてあった。

 

 歩いて二、三時間で行けそうな距離だったが、歩く装備もしていないし、時間的にも余裕

 

がなかったので、その時はそこで断念した。

 

 それから又十年の歳月が経過した。もう会社勤めからも開放されて、気楽な毎日を送っていたある

 

日、ある旅行社から家内あてに送ってきた宣伝パンフレットに目をやったとたん目が釘付けになった。

 

いくつかのツアー企画のなかで、『九重連山縦走と坊がつるへの旅』という見出しに目

 

がとまったのである。

 

 誰でも参加できるツァーで坊がつるまで行けるのなら行程も楽にちがいない。宿願の坊

 

がつるでもありかなり食指が動いたが、申込みをするところまでには至らなかった。団体のツァー

 

ということに対する抵抗が簡単には拭えないのである。

 

 ちょうどその頃、京都から小浜に抜ける鯖街道沿いにある一軒の喫茶店でコンサートをする話が持

 

ちあがった。

 

 ことの起こりは昨年のことである。バイオリニストのT君と小浜に釣りに行く途中、たまたま立ち寄

 

ったログハウスの喫茶店で、天井が高く響きもよさそうなのでデュエットを一曲弾

 

かせてもらったのがきっかけで演奏を頼まれたのである。

 

 その話が先日やっと実現して、ふたりでコンサートをした。その時、店のオーナー夫妻が大分県出身

 

だと聞いていたので、アンコールに“坊がつる賛歌”を演奏した。そして曲の紹介のところで、

 

いかにも“坊がつる”をよく知っているような口ぶりでしゃべったけれども、行

 

ったこともないのにあんなことを言っては申し訳ないのではないかという後悔もあって、この際団体

 

ツァーであろうと何でもかまわない、ぜひ行ってこようと決心したというわけである。

 

 

 五月の下旬の梅雨入りにはまだ間がある頃、神戸から夜行のフェリーに乗り、早朝七時に大分港に着

 

いた。予報通り、すでに雨が降りはじめている。一行は二十九人のツァー客に男性添乗員が一人、登山

 

のリーダーとして男性一人、サブリーダーに女性一人、合わせて三十二人のグループである。全員、

 

登山のベテランばかりのようで装備が板についている。リュックの両側に二本のストックを差した人

 

もかなりいる。私はハイキング程度だろうとあまく見ていたためにストックさえ持っていなかった。

 

 大分港からバスにのり牧ノ戸峠まで行き、そこから二日がかりの縦走を始めることになっている。峠

 

にはドライブインの売店があり、そこでストック代わりの杖を探したら、ちょうど大分県特産の竹の根

 

をつかった杖があったので、これでなんとか格好がついた。

 

 九時四十分、雨の降るなかレインコートを着て牧ノ戸を出発した。まずは沓掛山をめざす。半時間

 

ほどの登りである。決してリーダーより先に行かないようにと注意があったので、リーダーのすぐ後

 

についてゆくが、すこしまだるっこいペースではある。

 

 うまく行けば全山ミヤマキリシマという情景を期待していたのだが、すこし早すぎたようで、たまに

 

蕾が見られる程度だった。雨はどしゃぶりではないけれども、着実に降りつづいている。風

 

もでてきた。

 

 登山道が細く、逆向きのグループと出会うとどちらかが止まって道をゆずらなければならない。

 

我々のグループには夫婦者が何組か参加している。もともと夫婦仲がいいから一緒に行動

 

するのだろうが、中でも特にやさしい男性がいて、足元があぶなくなると後ろ向きになっては奥さんの

 

手をひく。そのために渋滞がおこり、先頭のリーダーとの間がひらく。後から来ているメンバー

 

はいらいらして、「夫婦仲がいいのは結構だが、すこしは考えてもらわんとなあ」などとぼやく者

 

もでてくる。

 

 雨の中、二度ほど休憩して、十一時三十五分、久住分れ避難小屋に着く。ここで昼食休憩である。

 

小屋の中はすでに先客で埋まっていて、しかたなく外で弁当をひらく。小雨とはいえ雨の中

 

なのでのんびりできない。半時間の休憩で、久住山をめざす。

 

 しばらく行くと中岳と久住山との別れ道になる。われわれは今日、久住山に登ったあと中岳にも登る

 

予定なので、この地点にまた戻ってくる。リーダーがリュックの重い人はここにデポ

 

しておいてもいいという。デポとはドイツ語のデポジツィオーンの略で、もともと『預ける』という

 

意味だが、登山用語では一時的に荷物を置いてゆく意味らしい。誰かが、「人間デポはだめか」と聞

 

いた。雨が降りしきる中、リュックのデポも人間デポも気がすすまない。

 

 十二時四十分、まず久住山頂に登りつく。ここは標高千七百八十七メートルである。すこし前

 

まではここが九州本土の最高地点といわれていたが、正確に測量してみると隣の中岳の方が四メートル

 

ほど高いことがわかり、現在では九州本土最高峰の地位を中岳に奪われている。雨と風が強

 

くゆっくりする気にもならないが、それでもリーダーが全員の記念撮影をして、十分ほどで下山を開始

 

した。

 

 下山は早く、十分そこそこでデポ地点にもどる。ここから空池、御池(みいけ)と二つの池のそばを抜

 

けて中岳に向かう。半時間ほどの道程である。たどり着いた頂上は風雨がつよく、九州本土最高峰も

 

見晴らしどころではなくすぐに下山した。再度、デポ地点にもどり、早くついた順に小休憩をしながら

 

遅れたメンバーを待つ。

 

 ところが数人のメンバーがいつまで待っても帰ってこない。その中には添乗員とサブリーダーも含

 

まれている。なにか事故でもあったにちがいないと、リーダーが駆け足で探しに行った。そして待

 

つこと半時間で、やっと全員がそろって帰ってきた。道をまちがえて違う方へ行っていたようだ。

 

 雨が降りつづき火山灰の足元がつるつると滑りだした。同行のベテランの話を聞いても、火山灰が濡

 

れると、いくらいい靴をはいていようが、ストックを持っていようが滑るときは滑るそうである。

 

そしていの一番に当の本人が滑ってしまった。その際、手のひらで地面をたたいた拍子に石で手を切

 

ったのか、気がついたら手のひらが真っ赤になっていた。後の人が気づき水筒をだして、この水で手を

 

洗ってはといってくれたけれども、リーダーが、「もうすこし下れば水場があります」というので我慢

 

をする。

 

 久住分かれまで戻ったところで、今度は北へ進路をとり北千里浜に向かう。道はゆるやかになり少し

 

開けた盆地がつづく。ここまで来て、やっとちょろちょろと流れる小川が現れた。雨が降

 

っていてもすぐに火山灰にしみ込むのか、水は非常にすくなく、手を洗うにも苦労するくらいだった。

 

 北千里浜は現在もさかんに噴煙をあげる硫黄山の東側山裾を通っている。途中、雨は降

 

ったりやんだりだったが、この辺りから本格的に降りはじめた。しばらく行くと別れ道があり、左は

 

諏蛾守(すがもり)越えで長者原へ、右はゴマドウ岩のそばを下って今夜の宿である法華院温泉山荘

 

へとつづいている。

 

 別れ道から宿までは一時間たらずの行程である。道は最初、しばらく登りで、あとは細く急な下

 

りがつづくので、この雨では油断ができない。左手にゴマドウ岩を見ながら、行く手はるか下の方に

 

建物が見えてきた。目指す法華院温泉のようだ。

 

 全員びしょ濡れになって、四時すぎにやっと宿に着く。受付は先客でごった返していた。濡れた靴

 

をそのまま下駄箱に入れないようにと全員にお盆状の受け皿をくれる。そして雨具、リュックなどの濡

 

れたものは乾燥室に置いておくようにというけれども、行ってみると部屋中、先客の荷物で占領

 

されていた。仕方なくすべてを寝室に持って入る。

 

 寝室は百二十畳の大広間で、すでに百二十組の布団が隙間なく準備されている。まだ到着していない

 

グループがいくつかあるようで、半分以上は空いていた。とりあえず自分の寝場所を確保

 

しておいてすぐに風呂にゆく。一日中、雨のなかの強行軍で体が冷え切っている。太股の筋肉

 

もつっぱって階段の登り下りさえ苦痛である。

 

 この宿の標高は千二百八十メートルで、ここの温泉は山小屋の温泉としては日本一の高地にある温泉

 

ということである。浴槽はそんなに広くないけれども、たまたま相客が少なくゆっくりできた。

 

夜は自家発電もとまり真っ暗になる。ふとんは隙間なく敷かれているので、懐中電灯かヘッドランプを

 

持っていなければ、夜中にトイレに立つこともできない。登山をする人はヘッドランプを持参するのが

 

常識のようだが、私はそれも持っていなかった。

 

 雨は翌朝も降りつづき、朝食後の出発まぎわになってやっと上がる。

 

 目指す坊がつるは宿から一キロも離れていない目の前にあった。今日の行程は午前中、大船

 

(たいせん)山に登りそのまま稜線伝いにとなりの平治岳(ひいじだけ)にも登り、再度坊がつるに下

 

りてきてから昼食となっている。しかし道は昨日と同様スケートリンク状態に違いない。足の筋肉も痛

 

いし、途中でみんなに迷惑をかけてはいけないという大義名分もある。なによりも数十年来

 

のあこがれの地である。この機会を逃しては今度いつ来られるかわからない。ということで、私

 

はひとりこの坊がつるで人間デポすることにした。

 

 坊がつるは周囲を九重連山に取り囲まれた盆地で、広々とした草原になっている。夏はキャンプ客

 

でにぎわうようで、キャンプ場として整備されている。りっぱなトイレと炊事場もある。炊事場には

 

清冽な湧き水が常時音をたてて流れている。ただ草原は昨日からの雨のため湿地帯と化していた。

 

一張りのテントが開けっぴろげのまま放置されていた。これは近くの山に登りに行っている間に濡

 

れたものを乾燥させようということだろう。私も今のうちにリュックの中のものをすべて出して干

 

すことにした。

 

 長年憧れつづけた坊がつるで、しかも一人きりで四時間もゆっくりできるのだから幸せには違

 

いないが、写真を撮ったり、付近を歩きまわっても一時間もあれば十分である。やはり時間

 

をもてあます。さいわいすぐ近くに昨夜泊まった宿があるので、そこまでコーヒーを飲みに帰った。水

 

が良いせいか非常に美味しいコーヒーだった。

 

 やわらかな日差しが照りはじめ、まわりの九重連山もくっきりと見えだした。一行は予定より時間

 

がかかっているようで、まだまだ下りてくる気配がない。待ちきれずに先に弁当を食べたら、

 

うとうとといい気持ちになってきた。どこかでホトトギスが鳴いている。ひとりでに坊がつる賛歌が

 

鼻歌になる。

 

 

 四面山なる 坊がつる

 

  夏はキャンプの 火をかこみ

 

  夜空を仰ぐ 山男

 

  無我を悟るは この時ぞ 

                              

                             (2008.12.22)