涅 槃 の 道 場(香川県)

第六十六番 雲辺寺〜第八十八番 大窪寺  平成18年4月7日〜15日結願

 

  4月7日(金) 雲辺寺に向けて移動

 いつものドクターと示し合わせて昨日、伊予三島の宿で落ち合う。さいさき良く朝からいい天気である。今日はドクターの

希望で、足慣らしをかねて十六キロ程度の歩きにして、第六十六番雲辺寺のふもとにある民宿に泊まることにした。その

ため午後2時には宿に着く。宿は高さ900メートルの雲辺寺のふもと、標高240メートルの地点にある。

 道は国道192号線に沿ってゆっくりと登りで、沿道にはいたる所、桜が満開だった。途中、番外札所の椿堂に寄る。ここ

はその昔、熱病がはやり住民たちが苦しんでいる所に弘法大師が通りかかり、杖を土にさして祈祷し、病を杖とともに土

の中に封じ去った所、のちにその杖から椿の芽がでたところから椿堂と呼ばれるようになったそうである。門の横には大

きな椿の木があり、花がたくさん咲いていた。(写真参照)

 

  4月8日(土) 第66番雲辺寺→第67番大興寺→第68番神恵院→第69番観音寺

 今日は標高910メートルの雲辺寺に登り、観音寺市に向けて山を下り、大興寺、神恵院(じんねいん)、観音寺と巡拝し

て近くの宿に泊まる予定にしている。歩く距離は30キロちかくになるので、朝早く6時半に宿を出発した。雲辺寺への登り

は標高665メートルの車道に出るまでの1時間10分は、息をつく暇もないほどの急な登りつづきだったが、車道にでてか

らは少し楽になる。結局、2時間ほどかかって仁王門(写真)に到着する。下りは登りよりずっとゆるやかで、道も整備され

て楽だったが距離がながく、つぎの大興寺まで3時間かかる。下界は桜が満開で、大興寺境内の桜を見ながら宿のお接

待のおにぎり弁当を食べた。その後また2時間ほど歩き、神恵院に着く。ここは69番観音寺と隣あわせになっていて、納

経は一ヶ所で2ヶ寺分してくれた。4時半に宿に入ったので、今日は1日で10時間歩いたことになる。

 

  4月9日(日) 第70番本山寺→第71番弥谷寺→第72番曼荼羅寺→第73番出釈迦寺→第74番甲山寺

 今日は第70番本山寺(もとやまじ)を振り出しに第75番善通寺まで30キロ弱を歩き、そのままJR善通寺駅から阿波池

田行きに乗り途中の箸蔵(はしくら)まで行って泊まる予定にしている。1日だけ札所めぐりからはずれて番外霊場の箸蔵

寺と満濃池と金刀比羅宮をたずねてまわるというオプション旅行である。しかし今日のスケジュールがもともと欲張りすぎ

で、さらに73番出釈迦寺の後に高さ350メートルの裏山にある捨身ケ嶽禅定(ここは若い大師が修行のため絶壁から身

を投げたという場所である)(写真)まで登ったりしたため、善通寺には到着したが列車の時間がせまって、お参りもも納経

もせずに列車にかけこんだ。善通寺は明後日の朝にあらためてお参りすることになった。ところで写真に写っている女性

は、サングラスをかけた人相の悪い2人の老遍路の後を、わざわざ捨身ケ嶽までついてきた変わった女性である。

 

  4月10日(月) 75番善通寺

 昨夜半から降り始めた雨が1日中降りつづく。今日はオプションの日でもあり、朝すこしゆっくりし箸蔵駅前の宿に荷物を

置いて、ロープウェイで標高540メートルの箸蔵寺に登る。ここは真言宗別格本山になっていて、山の上の広大な敷地に

風格のある堂塔が散在している。特にこの時期は桜の名所としても知られているが、今日はあいにくの雨で、桜も遠くの

山並みもすべて霞んでいた(写真)。午後はJRで琴平に帰り、こんぴらさんにお参りした。雨の平日にもかかわらず、八十

八ケ所の札所では見たこともないほどの人出でにぎわっていた。善通寺に帰り着いた時間が3時半で予定よりすこし早か

ったので、明朝に予定していた第75番善通寺の参拝をしてしまう。ここは弘法大師生誕の地でもあり、さすがにスケール

の大きな寺で、境内で迷っている人を何人か見かけた。明日は雨がやんでくれることを祈る。

 

  4月11日(火) 第76番金倉寺→第77番道隆寺→第78番郷照寺

 期待に反して午前中はげしく雨が降る。急遽、予定を変更して今日は78番郷照寺(ごうしょうじ)までとする。距離にして

20キロ弱だから午後早くに坂出駅ちかくの宿に入れるだろう。朝7時40分に善通寺門前の宿を出発する。出掛けは雨が

やんでいたが、すぐに降り始めた。76番金倉寺(こんぞうじ)も77番道隆寺(どうりゅうじ)も雨のなかのお参りとなる。その

後、丸亀市にはいってから徐々に小やみになり、丸亀市内のホテル・ニューキャッスルで丸亀城(写真)と讃岐富士を眺め

ながら昼食しているうちに日がさしてくる。午後はときたまポツポツした程度で、雨がやみ、かわりに非常に蒸し暑くなっ

た。13:15郷照寺に着いて、ポンチョ上下とリュックカバーをすべて取る。汗びっしょりになって、午後3時すぎに宿に着い

た。

 

  4月12日(水) 第79番天皇寺→第80番国分寺→第81番白峯寺

 昨日は宿に着いて、夜から雷雨となり、一時はげしく降る。その雨も早朝にやみ、7:15雨具なしで出発する。今日は79

番天皇寺、80番国分寺とまわり、その後高さ380メートルと440メートルの2つの峠を越えて、81番白峯寺にお参りし、

近くのかんぽの宿に泊まる予定にしている。歩く距離は20キロほどになる。雨上がりということもあり無理をさけた結果で

ある。峠の登りはかなり急で、ここも遍路ころがしのひとつに入っているそうだが、途中の休憩所からの景色が見もので、

平地の桜はもう散ってしまったが、山の上は今が満開で、桜越しに見る讃岐平野の眺めが素晴らしかった(写真)。宿に

は午後2時半に着く。この宿も標高260メートルの高台にあり、部屋や浴室からの瀬戸大橋の眺めが最高だった。

 

  4月13日(木) 第82番根香寺→第83番一宮寺

 瀬戸大橋の見えるかんぽの宿を朝7:45に出発する。昨日歩いた遍路道には、延々数キロにわたってぬかるみと川の中

を歩くような所があり大変苦労した。今日は午前中からまた雨が降りはじめるそうなので、遍路道を歩くのをやめて県道

180号線をゆくことにした。県道180号線は高度300から500メートルの範囲で山の稜線をぬうドライブウェイで、車は

めったに通らない。ほぼ2時間歩いて根香寺(ねごろじ)に着く。ここの仁王門にはめずらしく仁王さんの前に大きな草鞋が

でんと置いてあった(写真)。ここを出発する頃から雨が降り始め、山を下りる間も、平地に下りてからもずっと降りつづ

け、午後の2時すぎ、一宮寺(いちのみやじ)を出て半時間ほどするまで降りつづいた。今日1日で山の上を14キロ、高松

市の平地を14キロ、合計で28キロほど歩いて、午後4時半に厚生年金会館の宿に着いた。

 

  4月14日(金) 第84番屋島寺→第85番八栗寺→第86番志度寺

 なんとか雨を免れて、1日中曇りでよかったが、明日はまた1日中雨の予報がでている。今回は雨にたたられているよう

である。今日は朝7:40に宿をでて、まず標高290メートルの山の上にある屋島寺にお参りし、一旦山を下り、再度230メ

ートルの八栗寺(やくりじ)に登り、下山してからは海岸線を4キロほど東進して86番志度寺(しどじ)にお参りして、門前の

宿に泊まる予定である。1日で歩く距離は20キロたらずだが、2度の山越えがあり、しかも高さはたいしたことなくても傾斜

がどちらも急で、かなりしんどい思いをした。写真は八栗寺の美しい多宝塔である。今日1日歩いて興味をひいたのは、屋

島山頂から目の前に見えた島が桃太郎で有名な鬼が島だということだった。ちなみに昨日歩いてきた鬼無(きなし)という

所は桃太郎の生誕地で、鬼退治の故事にちなんで地名も鬼無となったそうである。明日はいよいよ結願(けちがん)の日

である。

 

  4月15日(土) 第87番長尾寺→第88番大窪寺(結願)

 予報通り朝から雨となった。今日は朝7:15に宿をでて、まず平地を8キロ歩いて87番長尾寺にお参りし、その後は高さ

400メートル前後の高地を15キロほど登ったり下りたりして、最終的には標高445メートルの大窪寺(写真)にたどり着い

て、この度のお遍路が1年ぶりに結願した。天気さえ良ければ標高774メートルの胎蔵峰(たいぞうみね)を越えれば大

窪寺への近道なのだが、雨の日は危険だということで峰の麓を迂回した。朝からの雨は昼過ぎにはやんだものの、風が

つよくなり非常に寒い1日だった。途中の”おへんろ交流サロン”に立ち寄り弁当を食べたときに、館長が地元ロータリーク

ラブ発行の『遍路大使任命書』とバッジをくれた。これからお遍路文化の普及に協力してほしいということだろう。宿でも結

願を祝って赤飯がでた。これでこの遍路日記も終わりだが、けじめをつけるために一応、第1番霊山寺(りょうぜんじ)まで

歩いてから帰宅しようと思っている。(完)