デジカメ随想(3)    「何を撮るか」

 
 アマチュアカメラマンは、どんな目的でどんな写真を撮っているのでしょうか。そんなことを考えているときに、1年前くらいの記事ですが、やや興味ある話を思い出しました。
 行政のムダを追及している市民グループから、東京消防庁の消防総監室に掲額されている歴代総監の肖像画が追及された話です。
総監が退任する都度、画家に頼んでその総監の肖像画を書いてもらい掲額していたとのこと。市民グループの情報開示請求により明らかになったその所要経費は、1件につき126万円(消費税含む)だったそうです。
 明らかに税金のムダ遣いに違いなく、指摘されて東京消防庁は、その後は肖像写真に切り替えることにしたそうです。確かに、写真なら写真館でプロが撮ってカラーの全紙大に引き伸ばしたとしても、10万円もかからないくらいだろうから大変な節減です。
 それにしても、東京消防庁はそれまでなぜ「画」にこだわってきたのでしょうか。民間会社で創業者の肖像画や胸像などが作られる例はありますが、通常2年程度で交代する総監を顕彰するのに、写真ではなく画にしなければならなかった理由について考えてみました。
 おそらく、写真は、@低コストで完成までに時間もかからない、A良くも悪くもリアルに描出できるので、その人の姿を記録として残す場合に適するなどといったメリットもあるが、肖像画の場合には、@写真のように複製ができないので、希少性があり有り難みが大きい、A写真のようにリアルすぎずに、本人が喜ぶ「いい顔」に描けるなど、より大きいメリットがあるといったところではないでしょうか。
 
 このような比較をさらに他のジャンルについても広げていったら、写真の本質について考えさせられます。
 まず風景の場合。例えば富士山については、様々な場所から様々な主題で写真に撮られています。私のデジカメクラブの仲間にも素晴らしい写真を撮っている方がいます。一方、葛飾北斎の「富嶽三十六景」や林武の「赤富士」はじめ、富士山ほど古今の有名な画家によって描かれてきた対象も少なくありません。
 そして私は、富士山だけは、どんなによく撮れた写真でも、よく描けた絵画には絶対にかなわないと思っています。なぜなら、富士山の大きさや美しさなどを平面的な写真画像で表現するのには、どうしても限界があるからです。これらについては、自分の中でイメージ化し、多少デフォルメしたり、極端な色を使ったり、かつ、ボリューム感を出せる絵の具等を使って表現できる絵画にどうしても分があります。
           
梅原龍三郎「富士」
 
 次に花ですが、背景や前後をボカした花の写真などには、ハッとするほど美しいものがあったりします。花瓶に生けた花束を静物画として描く場合と写真で表現する場合を比較すれば、やはり絵画の方が豊かな表現ができるようですが、屋外に咲く自然の花は、カメラとカメラレンズの特性ともいうべきボケなどを駆使して撮った方が断然きれいに表現できます。
 同じような意味で、若い女性のポートレートなども写真の方がより美しく表現力に優れたものが多いように思います。(モナリザのように、内面的な美しさの表現ではやはり絵画の方がよいと思いますが・・・)
 
 このように、対象となるものの表現手段において、芸術的な要素が強いものについてはやはり絵画の方が優っていますが、写真も、機能を駆使して技巧的に撮ればかなりの表現が可能となるといったところでしょうか。
 但し、社会的なメッセージの表現については、なんといっても写真が一番です。戦場写真にしろ、街角の単なるスナップにしろ、「今」を切り取って、社会に何らかの問いかけをしていく場合や、社会的な事象に対する自分の思いを伝えていく場合などには、写真の新鮮さやリアリティにどのような表現手段もかないません。せっかく写真という表現手段を選んでいる以上は、「きれいな」写真ばかりでなく、もっと社会的なテーマにもチャレンジすべきではないでしょうか。 
 
 「何を撮るか」というテーマに対してずいぶん前置きが長くなりましたが、要は、写真の本質を踏まえた上で、自分が今後、どのような写真を撮っていけばよいかを考えてみた次第です。
 私としては今後、風景や花などは少しでも芸術性の高い作品となるようテクニックを磨くとともに、そのような作品だけでなく、いわゆる「社会派」的な写真も撮ってみたいと思います。
 
(というわけで、「一日一葉」には、風景や花の写真ばかりではなく単なるスナップも時たま載せていましたが、これからは、もっとメッセージ性のあるスナップを載せられるよう努力したいと願っています)