ネイサン、ジョディ帰国

 昨年7月、横浜市のAET(アシスタントイングリッシュティーチャー)として来日し、市立中学校に勤めていたネイサンが任期1年で帰国することになった。本人はもう1年間やりたかったようだが、一緒に来日していた婚約者のジョディの大学院進学の都合で、断念した。
 ネイサンとジョディが日本にいた1年間は、わが家にとってもとても楽しいものであった。彼らは、同じ市内でもかなり離れたところに住んでいたが、折に触れてわが家と彼らのアパートを往き来し、鎌倉のハイキングなどをともにした。

2001年6月 鎌倉駅前で


 ネイサンはAETとして本当によく働いた。JETやAETとして来日する外国青年には、残念ながら、日本の中学生や高校生の英語教師という職責よりも、本来禁じられているアルバイトの方に精を出している者も多いが、ネイサンはアルバイトは一切せず、教師生活を目一杯頑張っていた。会うたびに教え子達の話をし、「自分は教職に向いていることが分かった。カナダに帰ったら、大学院で教師になるための勉強をしたい」と言う。
 4つの中学校を受け持っていたが、先生達や子供達からたくさんの寄せ書きや記念品をもらい、大切そうに帰国の荷物に詰めている。

 レンタル家具を引き上げられたため、アパートを引き払い、帰国の2日前からわが家に泊まって、わが家から成田に向かうことになる。エアコンもないアパートで荷物のパッキングをしていたため、ジョディは体調を崩し、わが家での2日間、ほとんど寝ている。しかしながら、いよいよ帰国の日、朝早く出勤する私を見送るため、2人とも早くから起きてきて別れを惜しむ。
 次はバンクーバーで会おうと約束する。