ネイサン再来日(中学校教師に)

 ’99年3月、妻がカナダのネイサンの家を訪れた際、英語教師として日本に行きたいという相談を受けたが、その後、ネイサンの依頼によりバンクーバー市の教育委員会に推薦書を書くなどの協力をした結果、ネイサンは無事にYAET(Yokohama Assistant English Teacher)として横浜市の市立中学校教員に採用され、2000年7月に再び来日した。1年間滞在する。

 妻は1年ぶり、私は9年ぶりの再会となったが、ネイサンはすっかり落ち着いた青年となっていた。クリーンなイメージは昔のままだ。教育委員会が提供してくれるウイークリーマンションに2週間程度入っている間にアパート探しをするのだが、妻が協力した結果、すぐ見つかった。引っ越しまでの間、我が家にも一泊し、久しぶりに積もる話をする。独学で少し日本語を勉強したというが、おはよう、こんにちわ程度でほとんどしゃべれない。

 泊まった翌日、鎌倉を案内する。円覚寺や建長寺では座禅する場所を目を輝かせてみている。9年前、中学生の時の来日がきっかけで禅に興味を持ち、時々、カナダからロスアンジェルスの禅センターに通っていたというだけある。落ち着いたら座禅会に通いたいという。いつのまにか肉食をしなくなっており、野菜と魚しか口にしない。

 暫定宿舎からアパートに引っ越しの日、荷物を車で運んでやる。アパート近くの勤務予定の中学校を見に行くと、夏休みだが部活で登校していた女子生徒がさっそく話しかけてくる。

 ネイサンが入居したアパートは全部で8戸で、若い日本人ファミリー世帯ばかりだが、入居した1週間後、アパート全体のバーベキューパーティに招待してくれたと喜んでいた。日本の生活にどんどん慣れて、英語教師としての役目を果たしつつ、日本生活を大いにエンジョイしてもらいたい。