第1章へ 小説トップに戻る

祈り

序章 紅の決戦



それは壮絶な戦いだった。
世界を滅びに導こうとする魔王と、それを防ごうとする人間達。
しかし、あまりにも力の差があり過ぎた。
いくら人間達の腕が良かろうとも、魔王に勝利する事は無理だったのだ。
……彼女がいなければ。



「みんな、大丈夫?」
リナは仲間達に問う。
「おぅ……」
「なんとか、な」
「正義は……負けません、から」
「……」
強烈な衝撃波を受けたものの、かろうじて直撃は避けたようである。
しかしこれまでの戦いで、誰もが深く傷を負っていた。このままでは、全滅するのもそう遠くない時間の事と思われた。

そこは緑豊かな平原、だった場所。かつては数多くの動物達が平和な生活を謳歌していた。
しかし、今は瘴気に溢れ、緑も失われている。
原因は、リナ達が対峙しているモノにあった。
赤眼の魔王。この世界の魔王の欠片。
……そして、かつての仲間、ルークであったもの。

あの時は、偶然だろうと思っていた。
覇王将軍シェーラの創りし剣ドゥールゴーファをその手でつかみ、将軍へと突き立てたのは彼。
手に取ったものを操り魔族化することも可能な剣を持ちながらも無事でいたのは、ひとえにシェーラがそれを剣に命じていなかっただけだと思っていた。
……まさか、それが、彼の内に眠る魔王のせいだったとは、誰も思っていなかったのである。
しかし、変化は緩やかに、そして着実に起きていた。
いつも「ミリーナらぶらぶ」だった彼が、物思いにふけるような素振りを見せ始めた。
リナ達が声を掛けると、そこで始めて気が付いたかのように、ミリーナへと甘い言葉をささやき始めるのである。
しかし毎度のように彼女に冷たくあしらわれ涙する彼の、本当に僅かな変化を、誰もさほど気に留めなかったのである。
そしてリナ達は、魔王の復活をもって初めて、気付かなかった事を深く後悔したのである。

(このままでは、やられるっ……)
リナはそう分析した。
ガウリイもかなりの傷であったし、ゼルガディスもアメリアもすでに息が上がっている。ミリーナも、すでに戦える状態ではない。
全員が、気力・体力の限界に達していた。
「……もう一度だけ問う。我の配下となれ。さすれば、命だけは助けるぞ?」
シャブラニグドゥがリナ達……いや、リナの方を見てそう言う。
(冗談じゃ、ないっ……!)
いくらリナでも、魂を売り渡すような事をするつもりは微塵もない。
「せっかく見初めてもらったところ悪いけど、あたしは死んでも魔族に協力する気なんてないわ」
強気で言い放つ。しかし。
「……ならば、この者達の命、失っても良いのだな?」
魔王が、視線をガウリイ達に向ける。はっとするリナ。
途端、猛烈な瘴気の刃が彼らを襲う!

ズパッ、ズパッ!!!!

「ぐあぁっ!」
「くっ……!!」
「きゃあぁぁっ!!!」
見えない刃が彼らの体を切り刻む。体中を紅い血に染めながら、彼らは倒れ込んだ。
「みんなっ!!!」
リナは思わず悲痛な叫び声を上げる。
皆、ただでさえ深く傷ついていた。そこへこの攻撃。もはや動ける状態ではない。
と、ガウリイが剣を杖代わりにして、ゆっくりと立ち上がる。
「悪い……が、俺……達……は、……負けるわけ、には……」
「ガウリイ!だめ、動いちゃ!!」
「リナ……守らな……ては……」
「ガウリイっ!!!」
全身を朱に染め上げながら、なおも戦いを続けようとするガウリイ。
深い悲しみと恐怖がリナを襲う。
「やめて……やめて……!!」
その様子を僅かな歓喜を持ちながら見つめる魔王。
彼らの感情を喰っているのだ。
「……くくく……心地よいぞ、おまえ達の心は。恐怖、怒り、悲しみ……それら負の感情は、われら魔族にとって無くてはならないものだからな」
片手を軽く上げる。紅い瞳に、残酷な光が宿る。
「その男、おまえの目の前で殺してやろう。そして、我に絶望という名の最高の馳走を捧げるが良い!!!」

その言葉を聞いたとき、一瞬、刻が止まったように思えた。
周りから音が消えた。周りの景色も消え、そこにあるのはただ闇のみ。
いや……赤眼の魔王とガウリイの姿が目の前にあった。
そして、リナは見た。
魔王の手から放たれた、圧倒的な力。
ガウリイの身体が紅き闇の槍に貫かれ。
ゆっくりと、ゆっくりと崩れ落ち、そして動かなくなる姿を。
『リ……ナ……』
焦点の定まらぬ瞳を向け、微かに囁き、そして命を失う、最愛の男の姿を。
……このままでは確実に起こってしまうであろう未来の光景を!

ハッと気が付くと、ガウリイはまだ無事だった。
今見た光景は、まだ現実のものとなっていない。
だが、魔王は力を集め始めている。
(あんなこと、絶対にさせない!!!)
リナの決断は早かった。

……四界の闇を統べる王
    汝の欠片の縁に従い
    汝が全員の力もて
    我にさらなる魔力を与えよ

リナの身に付けたタリスマンが、十字の形に淡く光を放つ。
(たとえすべてが滅んでも、ガウリイは……ガウリイは、殺させない!!)
彼女は呪文の詠唱を続けた。

……闇よりもなお昏きもの
    夜よりもなお深きもの
    混沌の海よ たゆたいし存在 金色なりし闇の王
    我 ここに汝に願う
    我 ここに汝に誓う
    我が前に立ち塞がりし すべての愚かなるものに
    我と汝が力もて 等しく滅びを与えん事を

……それは禁断の呪文。
『混沌』……すなわち、金色の魔王・ロードオブナイトメアをこの世に具現させる呪文。
制御を誤れば金色の魔王にその器を奪われてしまう。
以前は運良く、世界も滅びず、また器を取り戻す事ができた。
しかし、次はそうはいかないだろう。
この世界にリナの器を通して具現した『混沌』は、今度こそこの世界を無に還すかもしれない。
それでも、絶対に譲れないものがあった。
(……ガウリイ)

「や、やめろ……!」
「駄目です、……その呪文はっ!!」
リナが何をしようとしているのか気付いたゼルガディスやアメリアが、慌てて止めようとする。
しかし、深く傷ついた身体は動かず、必死で掛けた声も彼女に届いているとは思えなかった。
「そんなことをすれば、お前だって……!」

「……」
ミリーナは、もはや己の意志に従わない身体を横たえながら、赤眼の魔王を見つめていた。
(ルーク……馬鹿な……人……)
いつも調子のいい事ばかり言っていて。
人目を憚らずに彼女に纏わりついてきた彼。
正義感がとても強くて、厳しかったけれど。
今は、赤眼の魔王に全てを奪われてしまった。
彼としての意識は無く、ただこの世界に滅びをもたらさんとするのみ。
もはや彼女になす術は何もない。
その頬を冷たいものが流れていた。

「重破斬(ギガ・スレイブ)!!!」
‘力ある言葉’を唱えると、リナの掌の上に黒い球体が現れる。
一見闇が集ったように思えるが、この黒の球体こそが『混沌』そのものである。
「これで……魔王を滅ぼす…………!?」

どっくん。

リナの心臓の音に共鳴するかのように、球体がその形を乱す。
何しろ、全てを生み出せしものの力である。
それを、たかが人間というちっぽけな存在が使っているのだ。
体力・魔力はおろか、魂すら急速に消耗していく。
呪文の制御が、失われていく。

どくんっ!

(だめっ!)
『混沌』が、揺れながら少しずつ大きくなっていく。
(前と同じ過ちを繰り返すわけにはいかないっ!)
必死に術を制御しようとするリナ。
しかし。

どくんっ、どくんっっ!!!

球体の乱れはさらに激しくなり、そして……リナの魂は闇に堕ちた。



……そして、輝く光の中。『彼女』は全てを視た……。



「リナあぁっ!!!」
一瞬、黒い闇に全身を包まれたリナ。
彼女に向かってガウリイは必死に叫ぶ。
しかし、彼女を包んだ闇は瞬時に消え、彼女は静かに佇んでいた。
眼を閉じ、その手に安定した小さな『混沌』を携えて。
「リナ……」
彼の言葉に導かれるかのように、……彼女はそっと眼を開ける。
強い意志の宿った紅い瞳。
「……さよなら」
小さく呟くと、黒の球体を握り潰す!

「ぐおおおおおおおおぉぉぉぉぉっ…………!!!!」
リナの手から精神世界を通り転移した『無』に全身を包まれ、断末魔の声を上げる魔王。
必死に抵抗しようとするが、己より強大な存在の力の前には、抗う術はなかった。
その姿がゆっくりと『無』に溶け、そして……あたりには静寂が戻った。


「やっ……たの、か?」
魔王の姿が消え、あたり一面を包んでいた濃厚な瘴気が晴れた後。
ゼルガディスが問い掛ける。
「……ええ」
静かに答えるリナ。その眼は、魔王が溶けた空間を見つめたまま。
アメリアは不安そうな顔を向ける。
「リナさん……、リナさんは、本当にリナさんですか……?」
金色の魔王に身体を乗っ取られるという前科があったせいか、皆が真剣な視線をリナに注ぐ。
……沈黙の時が過ぎる。
「あたしは……あたしよ。リナ=インバースよ……」
だが、ゼルガディスは疑わしげな眼を向けた。
皆から逸らそうとしているリナの目をまっすぐに見据えて言う。
「本当に……リナなのか?……何だか様子がいつもと違う……ぞ!?」
その言葉に、再び皆の視線がリナに集まる。とたんに、傷ついたような表情をするリナ。
一瞬泣きそうな顔をし、そしてリナは激昂した。
「様子が違うって……当たり前じゃない!!!あたしは……あたしはっ、この手でっ、ルークを殺したのよ!?この手で!!!そりゃ魔王になってしまったけどっ!あいつは……馬鹿で格好つけでミリーナしか見てないような最低な奴だったけど!!でもっ、でもっ、……大切な仲間だったのに!このあたしがっ!!!!……」
感極まって叫ぶリナ。その様子に、皆がはっと胸を衝かれる。
そう、今彼女が倒したのは魔王でもあり、またルークでもあったのだ。
泣き崩れる彼女を、ガウリイが傷ついた身体でそっと支えた。
もはや誰も、何も言えなかった。
血のように真っ赤な夕焼けに、夜の帳が下りようとしていた……。



その後、ミリーナはリナ達一行と別れる事になった。
「もう、そろそろ旅も止めようかと思って……」
魔力剣を抱え、彼女は言った。
寂しそうな微笑み。
ルークの形見と共に、これから彼女がどう生きていくのか……リナ達には分からなかった。



「これからどうします?リナさん」
アメリアがリナに尋ねる。
そこは宿屋の2階、リナとアメリアの2人に割り当てられた部屋の中である。
「え?……あ、うん。どーしよっかぁー……」
どことなく元気の無い声でリナは答える。
リナはまだ復活していなかった。
まだ銀色が抜けない髪が示すように魔力が戻っていない事も事実だったが、何より、まだ精神的に落ち込んだままだったのだ。
(かつての仲間をその手で殺した心の痛手は、そう簡単に治るものじゃありませんしね……)
アメリアはそう思う。皆で彼と戦ったとはいえ、実際に手を下したのは彼女である。
そうしなければ皆の命、いや、この世界そのものが失われていたとわかっていても、それを納得することは難しいだろう。
気にするな、と彼女を説得する事ができないように。

「お〜い。メシに行かないか?」
空いたドアから顔を出し、ガウリイが食事に誘う。
「あ、リナさん!食事ですよ?さ、食べに行きましょう♪」
とりあえず、リナの気を晴らすためには食事が一番効果がありそうということで、最近皆はよく御馳走を食べに行っていた。
しかし、やはり落ち込んでいるのか、リナはいつも、たったの5人前しか食べなかった。
一番の趣味であった盗賊いぢめも、半月に1度しか行わなくなった。
(これは相当根が深い……)
皆はそう思った。
しかし、その考えは的確でもあり、また、全くの見当外れでもあったのだ……。



そして、ある日の朝。
リナは姿を消した。
昨夜まで使っていたはずの、宿の冷たいベッドに置き手紙を残して。

「みんなへ。
ちょっと一人で旅したくなっちゃったから、別れます。
みんな元気でね!」
短い手紙からは、彼女の真意を測る事ができなかった。

皆は各国を巡ってリナを探した。
しかし、彼女を見つけ出す事はできなかった。
彼女の故郷であるゼフィーリアにも行ってみたが、家に戻った形跡も無かった。
まさか、仲間を殺した罪悪感に耐え切れず自ら命を絶ったのでは……と心配する彼らに、リナの姉と名乗る女性は言った。
「大丈夫……あの妹(こ)は死んだりしていないわ。ただ……あの妹にはあの妹なりの考えがあって、あなた達と別れたのよ。それに、私には判る。あなた達は、きっとまた、あの妹に会える」
静かな微笑み。
根拠など何一つ無かったのだが。
不思議と、その言葉は信じる事ができるような気がした。


……その後。
ガウリイは、リナを探し出す旅を続けた。
ゼルガディスは、己の身体を元に戻すための旅を続けた。
アメリアは、王女としての責務を果たすためにセイルーンに戻った。
皆、それぞれの道を進み始めた。


そして、物語は始まる……。


第1章へ 小説トップに戻る