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忘れないで、あなたが人間であるということを。 変わってしまわないで、あなた以外のものに。 どうか、そのまま。そのままの、あなたで―― 「魔王剣!」 声と共に、剣に赫い闇が宿る。 上段から振り下ろされた刃は、先程まで好き勝手に破壊活動を繰り広げていた魔獣を易々と引き裂いていた。 恐ろしいまでの威力。だが、一番恐怖を誘ったのはそんなことではなく―― 「見てくれたか!? ミリーナ! 俺の魔王剣!!」 硬直していた私の耳に、ルークの嬉々とした声が飛び込んできた。 はっと我に返る。 「…被害状況は?」 ルークの台詞をわざと無視し、周辺の被害状況を確認する。 露骨にがっかりとした顔をしていたが、私が怪我人に治癒の呪文をかけ始めると、気分を切り替えたのだろう。 周りを見回し、他の怪我人に取りかかっていった。 その姿を横目で確認し、気づかれないようそっと安堵のため息をつく。 大丈夫。何の変化もない。いつも通りの彼だ。 そう、心の中で繰り返す。 きっと、あれは目の錯覚だったのだ……と。 自分は巫女ではないのだから、あれは単なる見間違いだと……。 だが、一回抱いてしまった恐怖は、なかなか消えようとしなかった―― 魔獣の出現による被害は、決して軽微ではなかった。 あちこちで建物が崩れ、無惨な姿をさらしている。 怪我人も多く、薬師や魔法医が村の中を縦横に奔走している。 だが、幸いにも死傷者はでていなかった。 その所為だろう。 被害を嘆く声と同時に、魔獣からの解放を喜ぶ歓声も流れてくる。 少し離れたところでは、ルークが村人に囲まれている。 照れた顔をしながら、称賛を受けている姿からは、何も不審なところは感じられない。 出会った頃に感じた、裏の住人特有の匂いさえも……。 初めて出会ったとき、赫い闇が人の形をしているような、そんな印象を受けた。 燃えるような赤毛と、暗殺家業の人間特有の闇。 その二つが交じり合った結果だろう。 だが、話してみると、そうでもなかった。 闇に手を染めながらも、完全に染まりきっていない――そんな感じがした。 出会い、そして。 自分の後を付きまとい始めたときは、正直、物好きな男だと思った。 鬱陶しいとも思った。 追い出す口実で使った、「赤毛の人間は嫌いだ」という台詞を真に受けて、髪を黒く染めたときには、さすがに呆れて物も言えなかった。 何故、そこまでして自分に付きまとうのか見当もつかなかった。 確かに外見だけなら、魅力的な部類に入るのかもしれない。 人形なら、傍においておいてもいいだろう。 だが、私は人形ではない。人形になるつもりもない。 その為、私の外見のみに惹かれて言い寄ってきた男は、長くても数日程で私の前から消えた。 それなのに、気がついたら、ルークが私の隣にいるのが当たり前になっていた。 いないと不自然に思うようになってしまった。 髪を黒に染めた所為か、それとも、陽気な口調の所為か、最初の頃感じた赫い闇を、彼に感じることはなくなっていた。 だから、かもしれない。 何時の間にかそんな印象を受けたということすら忘れていた。 それなのに―― ――魔王剣を発動させたルークから、以前の比ではない、赫い闇を感じた―― 自分でも意外だったのだが、私が抱いたのは、闇をまとうルークに対する恐怖ではなかった。 彼にまとわりついた赫い闇が、彼を自分とは異なるものへ連れていってしまう。 彼が自分から遠く離れたところへ行ってしまう。 そう感じ、そして、そのことを恐れていた。 馬鹿馬鹿しかった。この私が一人の男を失うことを恐れている、なんて……。 でも、確かに、それは事実だった……。 暗殺家業に手を染めていた所為だろうか。 陽気な性格とは裏腹に、ルークには、人間不信なところがあった。 一歩間違えれば、人間そのものを嫌いになりそうな、そんな部分を内包していた。 今でも何故かはわからない。 ただ、直感的に、そうさせてはいけない――と思った。 もし、彼が人間という種族そのものを嫌いになってしまったら。 恐らく、あの赫い闇は容赦なく彼を奪っていってしまう。 そんな気がしていた。 そんなことは認められなかった。自分でも不思議だった。 でも、私は彼を失いたくなかったのだ。 他の何よりも、ルークという人間が失われることが恐かった。 だから、だろう。 私はことあるごとに繰り返していた。 「あなたは人間だ」と……。 そして、 「私も人間だ」……と。 それがどの位効いていたかなんて分からない。 でも、彼は、変らずに傍にあり続けてくれた。 そして、その事実がすべてだったのだ―― ……息が苦しかった。 体温が下がっていくのがわかる。 もうじき私は死ぬのだろう。 確実に来る事実として、自身の死を受け止めていた。 取り乱すつもりも、誰かを、何かを恨む気もなかった。 淡々とその時を迎えようとしていた。 ただ、ひとつだけ。 たったひとつだけ、どうしても、気にかかることがあった。 それは……。 ルーク。ルーク……。 ずっと私の傍にいてくれた人。 こんな私を愛していると言ってくれた人。 そして、おそらく、私もあなたを愛していた。 素直に言ったことはなかった。言えなかった。 それを後悔していないといえば、嘘になる。 言えばよかった、とも思う。 でも、言えない。 こんなときでも。こんなときだからこそ。 決して言えない。 私はあなたを残していってしまう。 そんな私の一言で、あなたを縛りたくない。 だから、最後まで、この想いは言えない。 きっと、これは、今まであなたに甘えて一言も告げなかったことへの罰。 だけど、ルーク。これだけは譲れない。 私はあなたを残してしまう。 だけど、あなたをあの赫い闇へと渡すことだけは認められない。 だから、ルーク。どうか、どうか―― 「……人を、嫌いにならないで……」 呆れているでしょうね。 普通、こういう台詞を最期の言葉にしたりはしない。 それは分かっている。 だけど、どうか、どうか―― 人を嫌いにならないで。 嫌いになることで、あの赫い闇に飲まれてしまわないで。 私は、あなたのことを失いたくない。こんな時でさえも。 最期まで我が侭でごめんなさい。甘えたままでごめんなさい。 だけど、どうか―― 忘れないで、あなたが人間であるということを。 変わってしまわないで、あなた以外のものに。 どうか、そのまま。そのままの、あなたで―― ……届く、だろうか……? 届いた、だろうか…… ―― 闇の中で何かが、嘲笑った、気がした ―― fin. |