芥川メモ
この項においては、やや無秩序に芥川也寸志さんに関する、私個人的なメモなど書いておこうと思います。
日本近代音楽館
2001年11月22日、日本近代音楽館を訪ねました。東京は港区麻布台。ロシア大使館のすぐ近くのビルの1階です。とりあえず様子を見てから何を探そうか、などと図書館のようなつもりで気楽に入ったら、実はかなり狭いところで、いきなり「何をお探しでしょう」と係員の女性に訪ねられたので、とっさに「芥川也寸志の自筆譜の閲覧で」と答えていました。
年間の閲覧料500円を払い、閲覧証の交付を受け、さっそくいろいろ資料を探す事としました。まず出版譜を、そして自筆譜のマイクロフィルムを、という順に探して、そこに該当がなければ申し出てくださいとのこと。芥川の「蜘蛛の糸」のCDライナーノーツに、日本近代音楽館所蔵、と書かれていたのでNHK大河ドラマ「赤穂浪士」のテーマを是非探そうと思ったのですが、残念ながらなし。とりあえずはマイクロフィルムで自筆譜をいろいろ見せていただきました。「トリニタ・シンフォニカ」「トリプティーク」そして「交響管弦楽のための音楽」、どれもこれも丁寧な芥川さんの筆跡がとても見やすく、感無量で眺めていました。オペラ「ヒロシマのオルフェ」、エローラ交響曲、さらには今だ知らぬ作品の数々、「マイクロフォンのための音楽」「弦楽のための陰画」、ピアノ曲「ラ・ダンス」などなど・・・中には、チャイコフスキーの「白鳥の湖」の「ナポリの踊り」の小編成アンサンブルの編曲などもありました。「交響管弦楽の・・・」のスコアは指揮をする際の記号などもいろいろ書かれています。その中で、シンバルのソロに何度も丸が重ねて書かれていたり、場合によっては×が打ってあったり、小太鼓の8分音符連打のソロ、新交響楽団さんでは常に芥川さんからの口伝でリムショットでやっている部分、アクセントに全て丸がうってあったり、興味深く丹念に眺め楽しみました。
ついでに、伊福部昭の「日本狂詩曲」の巨大なスコアも現物を見ましたが、およそ10段にわたって打楽器がアンサンブルを繰り広げるこのスコア、とてもスリリングです。昭和12年刊行、10円のスコア。表紙にはかわいらしい(手塚治虫がよく描いていた謎のキャラに似た漫画風な)絵も描かれていて不思議な感じです。
さて、一通り、マイクロフィルムも見終わり、お目当ての「赤穂浪士」について尋ねてみました。94年に芥川さんのご遺族より楽譜等の寄贈があり、まだ未整理の部分もあるとのこと。ちょっと待たされた後、「赤穂浪士」と描かれた封筒からいくつかの楽譜が出てきました。15段ほどのさほど大きくない5線紙に馴染みのテーマが書かれたもの、まさしく、芥川さんが書いた本物の楽譜です。感激です。マイクロフィルムでみた、純音楽の楽譜に比べればややかきなぐった感のある、書き直したところもある汚いものではあります。楽譜の片隅には、何分何秒といろいろな場所に書かれ、放送用の楽譜であることを伺わせます。弦と木管、ギター、チェンバロ、そして打楽器・・・おや、あの印象的なムチのパートがないな?おかしいですね。
さらに、「赤穂浪士」の封筒からは、「作りなおし」と書かれた清書したキレイな楽譜のコピーも出てきました。そこにもムチのパートはありませんが、冒頭に打楽器パートに「2拍目にムチ」とただし書きがあります。どうも、最終的にあのカッコいいムチは挿入されることになったということでしょうか?
「さらにこんなものもあります」と比較的大きなスコアも出てきましたが、メロディーをたどると・・・「これ、八甲田山のテーマですよね。違うところに保管された方が良いでしょう。」まだ整理の途中ということか・・・でも、日本音楽の資料の散逸を防ぐべくこの資料館の設立に尽力した芥川さん、確かに、ちょっとしたことで未出版の特に純音楽以外の膨大な楽譜は散逸してゆくのだろう、よっぽど学術的にいろいろ調査研究しないと。
出版譜のコピーは、全体の半分を超えない範囲で可とのことですが、自筆譜のコピーについては、遺族の許可がいるとのこと。「芥川真澄さんにお手紙を書かれてください。そして特殊資料複製申請書にサイン押印をもらってからこちらにいらしてください」とのこと。現実にそうやって今までも演奏検討資料としてコピーはされているとのこと。現実に演奏される際は、また改めて著作権者に相談、とのこと。
なかなか、演奏までもっていくのは大変かと思う。ただ、今後、私の趣味の範囲内で、いろいろ活用はさせていただこうかとは思う。膨大な資料が眠っているようです。その他の作曲家についてはあまりしっかり見てはいないのですが、偶然カタログで見つけたのが、三島由紀夫作詞、黛敏郎作曲の「祝婚歌」(今上天皇成婚の際のものか)のマイクロフィルム・・・・。興味はあります。
最後に、芥川さんの年譜と作品目録のかなり詳細な冊子を購入。感激である。自宅に押入った強盗逮捕に協力、なんて記事まである。
全国各地の校歌の作品なども興味がある・・・少子化の時代、廃校も今後増えてこよう・・・芥川さんの作った校歌の収集などもする価値があるのか、と思いを巡らせてみたり・・・(校歌といえば、「題名のない音楽会」でやっていた黛敏郎の某高校のものなど短調で恐ろしく勇壮なものが印象的ではあったが閑話休題)。
芥川さんの作品研究、いろいろ今後考えてみたいな。
(2001.11.26 Ms)
画家「芥川紗織」
つい先日、名古屋フィルの定期演奏会を聴きに行きました。その内容はトピックスでも触れたとおりです。吉松隆の交響曲第1番をメインに、伊福部昭の「リトミカ・オスティナータ」、外山雄三の「ラプソディ」という、オール日本プログラム、とても素晴らしい演奏会でした。
さて、そのプログラムの表紙に掲げられたのが、名古屋市美術館所蔵の絵画「民話(1)」でした。その表紙画解説から興味深い事実を知ることとなりましたので紹介します。
外山雄三の「ラプソディ」を始めて聴いた時に新鮮さを感じた、といった前置きに続いて、市美術館の担当者はこう続けます。
・・・・敗戦後、アメリカの「占領」から「独立」した新しい日本では、伝統文化や民衆芸術に対して強い関心が集まっていたのです。
芥川紗織の作品<民話(1)>は、このような傾向を代表するもので、まさに日本の民話を主題にしています。豊橋に生まれ、東京音楽学校声楽科に学んだ彼女は、作曲家芥川也寸志と結婚して(歌を禁じられ)、画家に転向しました。そしてメキシコ美術展(1955年)で出会った新しい民族美術(メキシコ・ルネサンス壁画運動)に感銘を受けて、これ移行、日本の神話や民話をテーマにした作品を制作したのです。この作品が何の民話を描いているのかはわかりませんが、「月に吠える狼(?)」の民謡にも通じるような悲しい鳴き声が聞こえて来るような気がしませんか?
芥川紗織(1924〜1966) <民話(1)>1958年制作
芥川氏の妻についての情報、始めて知ることばかりだ。
まず、私と同郷、愛知県東部、いわゆる東三河の出身であること・・・私も今、仕事は豊橋である。
まるで、マーラーを彷彿とさせるような、作曲家が音楽家である妻を認めなかった、という事実。
芥川氏の年表をひもとけば、
1948年2月 山田紗織と結婚
1948年7月 長女・麻美子誕生
1955年2月 次女・由美子誕生
1957年4月 協議離婚
という事実があり、それとこの絵画の説明を照らし合わせても、何だか可哀想な気分になってくる。
1948年と言えば、このHPの主役、「トリニタ・シンフォニカ」の作曲年であり、第2楽章の子守唄などは初めての子供の誕生と何らかの関わり合いがありそうで微笑ましくも感じていた。しかし、結果として離婚、なわけか。離婚の原因が何かまでは詮索したくもないのだが、1954年の単身でのソ連への不法入国あたりが2人の溝を広げたのか?などとかんぐりたくもなる。芥川氏と結婚したばっかりに音楽の道は諦め、にもかかわらず結果として離婚、その後若くして死んでしまう・・・。なんだかそんな話を聞きつつこの絵画を見ると、離婚後直後の作品でもあり、淋しさが込み上げるものがある。
また、いつか名古屋市美術館に行ってみようか?芥川紗織さんの作品を探しに。
(2001.3.24 Ms)