今月のトピックス
北欧音楽紀行 August ’00
デンマーク、スウェーデン、フィンランドの3ヶ国をこの夏、旅してきました。
2年前の夏はさらにノルウェイも含めた4ヶ国で、グリーグゆかりのベルゲン、そして、雄大なフィヨルド(彼のピアノ協奏曲の冒頭のムードの背景には絶対、このフィヨルドがあるのだと確信しました)を堪能しましたが、その他の3ヶ国はほとんど首都をちらりと観光しただけでしたので、今回は、これら3ヶ国の首都以外の地方ものんびりと周って来たという訳です。しかし、こんなツアーよく企画してくれたね。ありがたや。N旅行様。
まず、デンマークはコペンハーゲン入り。8/10、半日の名所巡りの後、街の中心部、歩行者天国ストロイエ散策。そして、馴染みの楽譜屋「DAN MUSIK」へ。コペンハーゲンが本拠の、ウィリアム・ハンセン社のスコアをいろいろ探す予定だったが今回は品薄。とりあえず、ニールセンの交響曲第2番は購入。その他は見るべきもの無し。しかし、違う場所にありました、ありました。最近続々と録音の始まった、ニールセンの新版のスコア・・・・・分厚く重たい代物で金額も1万円ほど。購入は諦め、交響曲第5番のスコアはじっくりと目に焼き付けてきました。既存の手書きと思われるミニチュアスコアに比べて断然見やすい。彼の鉛筆による自筆譜、ペンによる自筆譜、さらに既存の出版譜を比較検討したものらしく、自筆譜が数ページ見られたのも嬉しい。第1楽章のクライマックス、オケ本体とは全く違うテンポ感で演奏される小太鼓の魅力的なカデンツァも、最初の部分はしっかり4/4拍子として小節線が存在していた(あやふやな記憶によると既存のスコアでは、小節線が無かったような気がする)。時を忘れ、ニールセンの5番が頭を駆け巡っていた。
その他、デンマーク語によるニールセンの文献を購入。全く読めやしないが、写真がふんだんにあって楽しい。農民出身の彼らしい、快活な一面が偲ばれる。若きニールセンの百面相の写真などホントに面白い(アメリカ西部風、クシャおじさん風、ゴリラ風、ウィンクしたお茶目風などなど)。あと日本においてはほとんど情報がない彼の妻についてもいろいろ載っている。日本の文献では生没年とも不明だが、ここにはしっかりと(1863〜1945)と記載されてます。
さらに、英語によるニールセンの分厚い論文集も思いきって購入。楽譜の引用がふんだんにあり、独特の調性感、構成法などにも鋭く切り込んでいるようです(これを読むのはかなり大変そうだ。でも、今、日本でニールセンについて勉強するのはこういった手段になるのだろう。ちなみに本の題名は「THE NIELSEN COMPANION」 著Mina Miller。この文献からニールセンに関する知識をさらに手にいれたいと考えています。その成果が紹介できれば、と考えています・・・いつになるかは???。
夜は、コペンハーゲン中央駅のど真ん前、遊園地でもあるチボリ公園へ。コンサートホールでは、公園のオーケストラ、チボリコンサートホール管弦楽団の演奏会を聴きました。シベリウスの交響曲第5番。プロコフィエフのバイオリン協奏曲第1番を、なんと、ペッカ・クーシストのソロで。そして「火の鳥」組曲。演奏のほどは・・・・うーん。この詳細はまた別の機会に。
続いて8/11は、コペンハーゲンを擁するシェラン島から西の島である、フュン島へ。最近、橋が開通し、バスで3時間ほどでフュン島の中心的な街、オーデンセへ。アンデルセンの生まれ育った街である。当然観光もそこが中心(彼の生家と、博物館が目玉だ)。しかし、私の目的は誰がなんと言おうと「ニールセン博物館」、しかし、午前中の30分の自由時間を全てこのニールセン博物館に割くつもりが行ってみたら12時から、とのこと。中に入れずじまい。オーデンセ名物のどでかい豚肉のステーキが何枚も出される1時間半ほどの昼食の後(ご当地では昼食は2時間以上が礼儀なのだとか。1時間半で出てきたのは奇跡的なことらしい)、無理言って5分だけ時間をもらって、オーデンセの石畳の古き町並みをダッシュ。せめて絵葉書だけでもと、博物館の入口で絵葉書を買って再びダッシュ。また絶対来るぞ、と誓いつつ息を切らしたのも楽しい思い出。オーデンセ訪問の詳細も、また改めて書きたい!!
その後、フュン島のほぼ中心に位置する、イーエスコウ城の観光。湖の上に立つ、赤レンガのキレイなお城だ。お花畑、野菜畑、きれいにカットされた菩提樹の並木、人を怖がらず悠悠自適に闊歩する孔雀の群れ・・・・自然と人為のすこぶる心地よいバランス。これこそ、自然との共生か・・・・。心和む滞在であった。ちなみに、オーデンセからイーエスコウへ南下する道のり、もう一本西の道を12kmほど行くとニールセンの生家が残っているという。わらぶき屋根の小さな家らしい。今でも、この辺りの農家はわらぶき屋根も多く残っている。そして行けども行けども、畑とちょっとした森。今では、自家製の風力発電もかなり目立ってはいるけれど(国内の電力の1割が風力によるらしい。ここ数10年で、50%を風力発電で賄う計画で、国も財政的援助をしているとか。なかなか凄いプランだ。)、ニールセンの音楽の背景、故郷には触れることができたのではないかと思う。
しかし、ニールセン、全く観光の目玉になってないのが悲しいような嬉しいような。ニールセン博物館以外で、オーデンセでもイーエスコウでもニールセンの姿を見ることは出来なかった。・・・・アンデルセン博物館の前の土産屋で、オーデンセの風景のイラストの絵葉書があり、その片隅に、あまり似てないニールセンがバイオリンを弾いている異様な絵葉書がかろうじて発見できたのみ。
21世紀、ニールセンの音楽がブレイクして、もっと観光の目玉になっているだろうか? でも、このままでも充分いいような気もするな。
(2000.8.31Ms)
デンマークとはお別れ、翌8/12はスウェーデン入り。日本人としてはほとんど初体験かもしれない、という陸路による入国。
というのも、今年の7月に、デンマークのコペンハーゲンから、海を隔てた対岸のマルメへと結ぶ、オスアン海峡橋が開通したばかりなのだ。この橋を渡るのは、ほとんど日本人として(というよりは、日本人観光客として)はじめてのことらしい。
ちなみに、余談。東京湾のアクアラインと同規模の橋のようだが、こちらは日本における建設費の1/5で完成したとか。人件費はこちらも高いので、違いは、不透明な使途・・・・・というわけですか?日本のガイドさんも言っていたが、同僚が、土建屋さんの一行を連れて、何度もオスアン海峡の工事現場まで来たのだそうな。無駄の多い日本の公共事業・・・・・北欧に見習うべきは、工事の工法よりは、利益誘導システムなき健全な企業のあり方、ではなかろうか?などと考えるうちに、あっという間に、国境を超えスウェーデンへ。パスポート提示なし。オマケに、料金所もノンストップ。バスのフロント部分にコンピュータと連動するチップのようなものを取り付け、後日、会社の口座から料金が引き落とされると言う最近話題のブツだ。見習うべきものは多いですなァ。
さて、コペンハーゲン対岸のマルメ。広上淳一氏も一時こちらのオケを振っていたように記憶します。それほど大きな街ではなかったようです。駅でトイレ休憩しただけなので詳細は語れませんけど。
マルメ周辺はスコーネ地方と呼ばれ、古くから北欧随一の大穀倉地帯。ということで、デンマークとスウェーデンがスコーネの支配を巡り、何百年と戦争を続けた地でもあります。ということで、城や貴族の館などが散在し、観光資源には事欠かない・・・・のですが、何せ、スウェーデンの南のはずれで田舎なわけです。せっかくの観光資源は生かされるに至ってないようです。200以上ある古城のうち、観光化されているのは1割程度。普通に人が住んでいて未公開、もしくは荒れるにまかせる状態のものも多いようです。ただ、今年、コペンハーゲンから陸路でつながった事により今後、観光地の整備が行われるものと期待されております。
また、私は詳しくありませんが、このスコーネ地方、「ニルスの不思議な旅」の舞台ということで、日本でもアニメ化されていますし、将来は日本人も押し寄せる可能性があります。そんなスコーネを、誰よりも早く体験してきたのです。うらやましいでしょう!!
スコーネの古城巡り、私達はまず、エーベスクロステル城へ。デンマーク人のバス運転手も、こんな田舎の無名観光地など来たことが無かったのか、道を二度も間違え、行ったり来たり。田舎の細い一本道で、農家のお宅にお尻をつけて際どい方向転換など、スリルあるものでした。
このお城、まだ人が住んでおり、庭園のみの観光・・・・・ひなびたところでした。建物も古いし・・(当たり前か)・・、でもふと思う。綺麗に飾られた現代的な再建された城(日本にはそこらじゅうにありますねぇ)に比べれば、正直、薄汚いぐらいの貧弱な代物・・・・しかし、ここに本当の歴史なり、過去の人々の生き様などが投影されているはずではなかろうか?
歴史の生き証人たる、華麗ならざる素朴なこのお城(と言おうか、邸宅ていどの規模だが)を見るにつけ、「歴史的情景」が頭をよぎるのであった・・・・・シベリウス初期の劇音楽(後に「フィンランディア」が独立した楽曲となったことで有名)、スウェーデンの東の辺境における、ロシアとの対立の歴史を彷彿とさせるこの音楽、スウェーデンの西の辺境における、デンマークとの対立の歴史と重ね合わせても、そんなに大きな間違いでもなかろう、と思いつつ、「歴史的情景」は、その後も頻繁にこのスコーネ地方において、私のなかで壮大に響き渡るのでありました。
さて、もう一つのお城は、スバーネホルム城。これは、ちゃんとした(!)お城だ。湖に面して高くそびえる赤レンガの城。城の中のレストランで、王侯貴族さながらに、豪勢な昼食などいただく。なんでも、日本のテレビでも紹介されたとかで、食事が出てくるまでの間、その時の写真を見せてくれた。関口宏の頭がまだ白くなってないところを見ると結構昔ではなかろうか・・・。
城の中はレストランの他にも、博物館があり、昔の城の生活や、また、庶民の生活ぶりを伺わせるものなど多数あり・・・・・・しかし、展示物については、精彩を欠くなァ、というのが正直なところ・・・・・やはり辺境の地だ・・・・・昨年の東欧、特にチェコ、ドイツあたりの観光の内容に比較してしまうと、おおいに地味である。
なんて書くと、たいしたことないじゃん、ということになろうが、でも、その城の周辺まで含めた、素朴な風景など、とても心に残るものがあったのです。城のそばの湖、遠くに白鳥の姿・・・スバーネホルムとは「白鳥の島」という意味です。 文字通りの白鳥の登場。さらには、そのうちに、(きっと近くに住む人たちなのだろう)結婚式を終えたばかりと思われる男女が正装し、城の周りの芝生の上で記念撮影。日本人の結婚式に、こんなゆとり、余裕など微塵も感じられないね。のんびりと時間はすぎてゆく。きっと数百年の間、変わっていないであろう風景の中にいた私達、なんて幸福なんだろう!
(2000.9.20 Ms)