今月のトピックス

 

 August ’99

8/29(日) ORCHESTRA 1905 演奏会

 <0>私的前書き

 先月も、エルムの鐘交響楽団さん、そして、新交響楽団さんの演奏会を聴きに上京しましたが、今月もまた、在京アマチュア・オーケストラ鑑賞といきましょう。
 ショスタコーヴィチの交響曲第11番を演奏するために結成された、
ORCHESTRA 1905さんの演奏会の報告です。

 この「今月のトピックス」の今年の2月の項で、やはり、ショスタコーヴィチばかり演奏するアマ・オケ「ダスビダーニャ」さんの演奏会の報告をしておりますが、その記事が縁で、MKKさんという打楽器奏者の方と、ネット上で知り合い、そして、今回の演奏会のことを知り、これは行かねば、ということになりました。(MKKさん、いろいろありがとうございました。)

 ショスタコーヴィチの11番「1905年」は、第1次ロシア革命を引き起こす原因となった、「血の日曜日」を生々しく描写した標題音楽です。詳細は、ORCHESTRA 1905さんのページで曲目解説がご覧になれるかと思います(ページはこちら)。

 私自身は、高校時代、まだ山奥に住んでいた頃、発売されたばかりのロジェストベンスキー、ソビエト文化省の演奏を、山を越えた隣の静岡県のFM放送て゜、壮絶な雑音、ノイズの中で微かに聞き取り、そんなひどい状況でありながらも、そのノイズ以上に壮絶な音楽自体に感激した覚えがあります。
 そして、ほどなくして、偶然、教育実習で私の高校にやって来た、やはり吹奏楽部の打楽器をやっていた先輩と偶然ショスタコ話で盛り上がり、
コンドラシンのレコードを借り、そして曲の全貌が明らかとなり、これまた感激し、そして、その先輩が、この曲のティンパニ・パート譜と小太鼓・パート譜を、当時のイタリア製の輸入スコアから写譜して作成したこともあって、教育実習の期間中、自主朝練と称して、幻想交響曲のティンパニ・デュオや、ショスタコの12番の第3楽章と共に、二人でアンサンブルを楽しんでいた、というとても思い出ぶかい曲なのです。(その方とは、今なおお付き合いが続いております。)

 そんな、個人的思い入れたっぷりな、11番ではありますが、なかなか実演に巡り合えません。10年近く前でしょうか、ロジェストベンスキー読響を振った定演、そして7〜8年前でしょうか、名古屋フィルの定演、その2回を数えるだけです。
 前者は、初めて実演に接したということもあり、感激もありましたが、
後者は、最初から最後まで、崩壊直前の綱渡り、とても聞いていられませんでした。実際、多くの弦楽器を補充したものの、それが裏目に出て、第2楽章の前半の部分は各パート内で完全崩壊、いつ止まるのだろう、とハラハラしましたし、第4楽章のクライマックスは、当時病み上がりで絶不調のティンパニストが、勝手に加速して、大太鼓とドラの駄目押し一発ソロの一小節前辺りで自分のパートを叩き終わって打楽器パート内が大混乱、かろうじてその駄目押しの二人が適当にあわせてソロを叩いたので、なんとか次のパッセージに到達できた、という感じでした。音楽に身を委ねて、ショスタコの訴えかけに思いを馳せる雰囲気など微塵もなく、今思い起こすだけでも腹立たしい思い出です。

 それ以来、この曲は、曲もろくろく知らない日本のオケがやるべきではない、とてつもない大曲難曲だ、という認識に至り、本場のロシア・オケの来日を待つしかないよな、と諦めておりました。

 そこへ今回、マーラー等の大曲を次々と手掛けた実績のある水星交響楽団さんのメンバーが主体となって、この企画があると知り、昨今の「ダスビダーニャ」さんの輝かしい実績も経験しているため、在京アマ・オケのショスタコ演奏ということで、おおいに期待をし、また、難曲故に過剰な期待は慎みつつも、再び東京へと向かうことになったのです。

<1>ロシアとキルギスの民謡の主題による序曲 

 実は、個人的にはこの作品、あまり馴染みがなく、ショスタコの作品中でもそれほど重要な位置を占めてはいないのかな、とも感じますし、それ以上に、ショスタコにしては、主題の展開、再現といった構成が見渡しにくく、秩序立ってない、やや粗さの見られる曲だ、と思っていました。かなり複雑な変拍子も連続しますし、聞きにくい面(それ以上に演奏しにくい面)はあるかと思います。しかし、今回、ちょっと見る目が(聞く耳が)変わりました。

 さて、今回、11番の序曲プロとして置かれたこともあり、事前に予習した上(スコアは持っていないのでCDを聞いただけです)、主に2つの視点から、この曲を鑑賞しました。

 まず、第1点は、当然、11番の出来を占うという視点、果たしてこのオケがどのレベルまで11番を演奏してくれるだろうか?という視点です(ちょっとやらしいですけど)
 ダブルリード系(オーボエ、ファゴット中心)の音色が、非ヨーロッパ的なエキゾチックなテーマをゆったりと奏し、それに対して、高音域のビオラが答えます。この部分で、すでにこれはいけそうだ、と思えました。まず技術的な面で。特に、ここのビオラの旋律、少なくとも人材不足の東海地区のアマオケでは結構はずすだろうなぁ。それが美しく決まったところでまず安心。MKKさんのティンパニも幅広く重々しく、スケールの大きさを曲に与えていました。
 さて、アレグロの主部はいきなり、ホルンの小技の効いたソロで始まりますが、これまた無難に平然と響き渡り、私の頭の中では、意地悪い審査員的な技術チェックはひとまずお休み。晴れ渡った中央アジアの自然が浮かんでくるようです。地図で見ると中国の西隣に位置するキルギス。最近の邦人拉致事件でテレビ映像もよく見るのですが、やはりホルンだけあって、山岳のイメージなのだろうか?いや、草原の可能性も?それはともかく、大自然のイメージ、パーっと広がりました。
 続いて、弦楽器を中心に進み、やらしい後打ちの連続などあって、突然のシンバルの1打、そしてタンバリンの華やかな連打、祝祭的雰囲気が高まってきます。この辺りからちょっと気になり始めたのが、管打楽器の精力的な演奏に比較して、ちょっと弦楽器に盛り上がり、精彩が欠けてはいないか、という点。バランスの問題。おっと、いけない。そんな枝葉末節にこだわるよりも、その音楽の持つノリを大事にしなければ。ようは、管打楽器のテンションがかなり上がってきているんだ、と解釈。
 目まぐるしく、主題が交錯し、拍子も複雑な様相を呈している。しかし、それを、ノッて、自分の物として、迷うことなく前進しつづける、その生き生きした表現・・・、そして、その複雑さを見事に整理できているのは、奏者と共に指揮者の手腕の成せる技であろう。奏者と指揮者との信頼関係をも垣間見るようで、聴く方としてもとても安心できる。
 曲は終わりに近づき、やや唐突に冒頭のダブルリードの主題が、たくましいティンパニを伴って、金管群による伝統的なロシアンサウンドでもって回帰、そこの圧倒的なパワーにはやや驚きました。
 そのクライマックスの後の休止をはさんで、木管群の可愛らしい主題が、また加速し始め、駄目押し的なコーダを形作ります。その盛り上がりもまた心地よく決まりました。最後は、金管の重厚な和音とティンパニの乱打で華々しく、一気呵成にたたみかけます。
 正直、これはいける、と確信が持てました。この調子で是非11番も・・・。10分の演奏の後の、15分の休憩。11番が待ち遠しく思いました。

 さあ、第2の点、いつものとおり、この作品の私なりの「曲解」、です。
 11番は、ロシア帝国の横暴に対する人民の反抗、がずばりテーマですが、ショスタコ曰く、このテーマは現代の問題でもある、と言っているようです(「証言」より)。そこで、気になるのが、作曲当時に起こった、1956年の「ハンガリー動乱」。ハンガリーの民主化を、ソ連が武力で弾圧した事件。
 11番の背後に見え隠れする「ハンガリー動乱」を横目に、「ロシアとキルギス」を鑑賞すると、その作曲の動機である、「キルギスのロシアへの自由加盟(現実はロシアのキルギス征服)100周年記念が、どうも気になります。そこで、この序曲に一つの性格付けをやってみようと思いました。実は、本番時には、これだ、というものが全体像としてひらめかなかったのですが、この文章を書くに当たり、演奏会の経験も踏まえて「曲解」してみましょう。

 プログラム・ノートにもありましたが、この作品に関する資料が少なく、どれがロシアの主題、どれがキルギスの主題、とわからない、とのこと。その疑問にも答えられたら、幸いなのですが、何しろ勝手な想像ですので、絶対に信用はせず、一つの絵空事としてとらえて下さい。

 私の手元にあるのは、音楽の友社「作曲家別、名曲解説、ライブラリー」の「ショスタコーヴィチ」編です。その132ページ以下にこの曲の解説がありますが、引用された民謡として、ロシアが1つ、キルギスが3つ紹介されています。しかし、それらがどういう楽譜かの指摘はありません。そこで推理します。この作品の主な4つの主題が、続いて紹介されていますので、それらに対応して考えますと、・・・・・・(その前提に無理があるとの指摘もごもっともですが・・・・・)

 まず、序奏のダブルリードによる主題。先ほども書いた通り、非ヨーロッパ的なエキゾチックな感じがします。装飾音符の引っ掛けも、例えばボロディンのアジア風旋律(「だったん人の踊り」とか「中央アジアの草原にて」とか)との共通性が見られるようです。よって、キルギス風。
 やっぱり、キルギス訪問の経験に基づくこの作品(本人は「キルギス序曲」と呼んでいたらしい)、冒頭はキルギスの主題で始めるのでは・・・・。

 続く、アレグロの主部、ホルンソロの音階的な動きの目立つ主題。これは、ロシア風と考えましょう。ホルンといえば、ドイツの森の狩猟、信号音のイメージもありますが、それが旋律的な動きを持った時、ロシア的な表情を見せるような気もします。チャイコフスキーの5番、ストラビンスキーの「火の鳥」の王子の主題。この主部の第1主題は、主題の第2小節目がハ長調でありながら、ラで一度終止する節回しも何となくロシア的に感じるのですが・・・・。ちょっと納得しづらいでしょうかねぇぇ。(ただ、後続の主題が5音音階に基づいているので、ホルン主題の全音階はそれと対比されているのではなかろうか)

 その次、主部の第2主題に相当しそうなのが、最初のシンバルの一撃のあと、3/4拍子に変わり、バイオリンが常にD線の開放弦を重音として使っている主題。単調なリズムによる、単純な一節。第1主題と明確な対比が感じられます。随分乱暴ですが、素朴な5音音階が特徴的。よってキルギス風。

 そして、中間の辺りから頻繁に現れる、3/8拍子と3/4拍子が交錯する主題。(移動ドで表記すれば、)ラシラソミー、と日本の民謡によく有りがちな、これまた5音音階によるあたり、キルギス風。これは、絶対アジア産の主題だと断言できよう。

 これらの主題が、それこそ、夜の繁華街のネオンの明滅が如く勢いで、現れては消え、消えては現れ、乱痴気騒ぎを始めているのが中間部です。一応、第1、第2主題の再現らしきこともありますが、整然と現れるわけではなく、やはり、その再現は不明瞭、断片的な感じなのですが、その混乱を制するのが、コーダの手前の一瞬の全休止の手前に形作られる、金管群によるロシアン・サウンドばりばりの、序奏主題の堂々たる再現です。
 ここで、私の推測によればキルギス風である、冒頭ダブルリードの主題が、エキゾチズムを排除して、伝統的な、重厚な金管によるロシア的なオーケストレーションが施された辺り、キルギスの、ロシアによる征服が象徴されているのではなかろうか???と考えた次第です。今回の演奏を聴いて、そのヒントを与えられたと言うわけです。
 さて、その金管群の咆哮で、一度、曲は終止したかのように思われます。しかし、その休止の後、キルギス風と思われる第2主題が木管でひそやかに演奏し始める時、私達は、ロシアに征服されてなお、自分たちのアイデンティティーを失わずに生きる、雑草の如くバイタリティーを持つキルギス人の存在に気付くという訳です。コーダにおいては、ロシア風と推測される第1主題は聞こえてきません。5音音階によるテーマが主導権をにぎって曲を終わらせるのです。
 以上、スコアもなく、感覚的に「曲解」してみたわけですが、どんなものでしょうか。

 ORCHESTRA 1905さんの演奏を聴いて感じたことをもとに、ちょっと空想してみました。あくまで、フィクションです。

 ただ、ここでの主題の出典の推測がハズレてしまうと、まったくもって意味の無いホントの曲解になってしまいます。一応、詳細なデータが入手できない現状においては、ロシアとキルギスの主題が、次々と入り乱れつつ、華麗な饗宴を繰り広げているのです、とでも言っておいた方が、無難かつ真実なのかも。〜あぁ、無責任な・・・・。

(1999.9.5 Ms)

<2>交響曲第 11番 「1905年」

 さぁ、端的に、まず、書きたいことがある。
 ちょっと、前項、「キルギス」は、言葉が多過ぎたか。頭でっかちに曲を聴きすぎた感もある。

 私は、この演奏に2箇所、涙した。本当である。

 まず、第2楽章、第2のクライマックス。楽章冒頭の「皇帝、我らが父よ」が、テュッティで再現されるところ。
 1度目のクライマックスが収束、弱奏に落ち着くのだが、それがまた、徐々に復活、木管やホルンの、とても苦しげな5/8拍子のフレーズを経て、再び、民衆たちが、全身の力を振り絞るが如く勢いで、嘆願の歌を絶叫する・・・・・。
 とても、リアルに感じられた。第1のクライマックスより、若干速いテンポでもあり、特に、ティンパニの速い3連符の連打、そして、金管群の情、容赦無い絶叫・・・・・虐げられた者達の思いが、ここまで、凄まじいものなのか・・・・・と、いつのまにか私も、そのデモ隊に加わり、その思いの丈を晴らしているような錯覚に陥る。「音」が、ここまで私の心まで押し寄せたことが、かつてあっただろうか?
 正直、とても口惜しい思いをした。
 つまり、前曲のような、審査員的な観点など全く私には無くなっていた。曲が描いているその事件の中に、私はどっぷりつかっていたのだ。我を忘れて、1905年の1月9日の王宮前広場に向けて私も行進していたのだ。そして、私の声が皇帝に届かぬことを、口惜しく感じていたのだ。

 続く、涙の箇所。第4楽章第2主題。いわゆる「ワルシャワ労働歌」の場面。
 正直に申し上げましょう。「キルギス」でも触れたとおり、管打楽器の、気合、思い入れに対し、弦楽器の弱さは、全体的に感じていた。人員的なバランスも、弦が少なかったのは事実であるし、それに増して、曲に対する思い入れ、そして、思いきった表現に欠けていたとは感じていた。特に、私が、「ダスビダーニャ」さんと比較してしまった点、これは申し訳無かったとは思う。しかし、管打の熱演に対して、冷めた弦、という印象はもってしまっていたのだ。
 しかし、バイオリン、ビオラが
sul Gで荒々しく歌う、「ワルシャワ労働歌」、ココの部分の気合、熱さは今までにないテンションの高さが、私には伝わっていた。
 そうか、そうだったのだ。
 ひょっとして、弦楽器は、
(この曲においては)当時の民衆と同じく、支配され、抑圧された人民なのだ。管打の抑圧に耐え、または管打に隠れる、弱い存在になりかねないオーケストレーションでもあろう。しかし、この「ワルシャワ労働歌」でもって、今までの抑圧、もしくは死と隣り合わせの悲劇的絶叫から離れて、始めて、「俺達の主張」を誰にも邪魔されず歌い上げているのだ。
 確かに音程も粗め、しかし、それがまた、リアルではないか。音程の正確さよりも大事なものがある。その音楽に込められた心、の再現。それこそが最優先ではないか。フレーズの最後の、アップ、アップというボーイング、これがまた、歌舞伎的な
たんかをきるような思いっきりの良さが、労働者たちの思いを素晴らしく表現していたと感じた。とても頼もしく、カッコよく感じた。
 権力を転覆させるほどの力をどんどんつけてゆく民衆達の強さ、したたかさが、私には凄く感動的であった。興奮しないわけにはいかない場所であった。

 さて、私はこのコンサートで、始めての経験をした。腕が、手が、震えたのである。もちろん、病気ではないつもりだ。

 まさしく、この交響曲最大のクライマックス第2楽章の第3の頂点打楽器群の強烈なる連打にのって、オケ全体が大音響の爆発と化す、虐殺シーン、である。

 小太鼓の3連符の、銃撃を表わすようなソロに続く、弦楽器のフガート。これは、どちらかといえば、安全パイをとった、決して速くは無いテンポ感であったが、その後のクライマックスも、速すぎず、遅すぎずのコンドラシン的アプローチで最も納得できるテンポ感だ。
 打楽器群、特に、ここで始めて強奏で登場する
大太鼓の圧倒的存在感が凄かった。完全にコンチェルタンテなティンパニのソロは言うに及ばず、打楽器群、そして、金管群の充実が、この暴力的事件を誰にでも想像できるような暴力的音響で表現していた。また、この大音響の中、その輪郭を明らかにしている木琴が、隠れずに明瞭に聞こえてくるのは、打楽器奏者としても嬉しいことであった。
 とても、オーケストラのコンサートでは考えられないような、
うるささ、騒々しさ、だったのだとは思う。第1、頭よりさきに体が反応していたのだ。麻薬を打ったことなど無いが、体の感覚、そして感性の麻痺、といってもよかろう。「音」の力で体が震えるだなんて・・・・・信じられない。しかし、私の曲に対する思い入れ、さらには、演奏者の曲に対する思い入れが、完全に「血の日曜日」を通じて一体化していたように感じられた。
 そうだ、きっと、私も、この惨劇を目の当たりにしたならば、その恐怖、そして怒りに体は震えるのであろう。
比較的性格温厚だとされる私も、ホントに憎むべき相手の目の前で、ワナワナと手を振るわせ、その怒りを理性によって無理やり押さえ込み、事無きを得たという経験もあるのだ。その感情の素直な体の反応である、震え、が「音」だけによって喚起されていたのだろう。

 そこでまた、私の想像の翼は羽ばたいてしまうのだが・・・・・

 このリアルさ、単なるショスタコーヴィチの生まれる前年の出来事の描写、では済まされないように思うのだ。彼の見た光景だからこそ、この描写はありえたのではないか。当然、スターリンの大虐殺第2次大戦、もそうだろう。そして、この作品と同時期に起こった、1956年のハンガリー動乱。これを避けてこの作品は語れないような気もしてくる。ハンガリーの自由化、脱共産化を武力鎮圧したハンガリー動乱。ここに、心有る人々は、共産主義の限界を感じずにいられなかっただろう。「1905年」の事件が現代の出来事でもある、と語ったとされるショスタコーヴィチにとって、この部分は、「ハンガリー動乱」の描写でもなかったか?
 そう言われれば、このクライマックス、ロジェベン的なスローなテンポを取った時、「1905年」の事件よりも、
戦車の隊列を思わせるほどの重厚さが現れる。確かに私はココの部分、中国の天安門事件「血の日曜日」の映像を思いうかぺるのだが、ハンガリー動乱の主役であった戦車の隊列こそ相応しい、と感じられないだろうか。
 ふと、人類の愚かなる歴史の繰り返しをも思うとき、このショスタコーヴィチの描いた音楽に納得せざるを得ないのだ。ここまで、自分をマジにさせる音楽、それがショスタコーヴィチの音楽なのだ。この充実感、高揚感は、他のどんな作曲家も私に与えてはくれない。

 演奏会の興奮を思い返しながら、推敲もなしに一気に書き上げ、とても疲れてしまった。上記以外の詳細な感想、まだまだあります。続きはまたのちほど。

(1999.9.13 Ms)

 なんだか、我ながら怖くなるほどに目茶な文章です。恥ずかしい限り。ここからは、やや冷静に書き連ねてみましょうか。

 とにかく伝えたかった上記3点以外にも、まだまだ書きたいことがあります。

 まず、第1楽章。最初に、いいな、と感じたのがハープ。作曲家の指示どおり、(ユニゾンではありますが、)最小限のハープ2台を用意していただきました。以前の「エルム」さんのバルトークのオケコン(管弦楽のための協奏曲)でも感じられましたが、ハープの音がよく届くホールなのでしょうか。隠し味というよりは、もっと積極的な役割なので、おやっ、と耳を向けてしまいます。冷たげな雰囲気を醸し出しながら、そして嵐の前の静けさを演出する重要な役割をハープが負っているように感じました。
 弦の静謐なサウンドに柔らかなアクセントを要所でつけてゆく、その響きが耳に心地よかったです。特に第1楽章で2箇所出る、ちょっと派手目な上行するアルペジオが華麗に決まりました。指揮者のアクションもまたしかり。

 続く、トランペットの弱奏のファンファーレ・ソロ。これが最初の緊張のしどころ。高音域ですし、かなり高度な技術がいることでしょう。しかし、難なくクリア。フレーズの繰り返しにおける、強弱の差もばっちり。ここで、オケに対する信頼はワンランク・アップ。そして、ホルンの同様なソロ。これもばっちり決まった。素晴らしい。下手なプロならメロメロだ(名古屋の某プロオケも?)。

 そして、始めて歌謡的な旋律として、フルートの低音域のアンサンブルで革命歌「聞いてくれ」が出た辺りも、ぞくぞくしました。とても美しい雰囲気を感じました。ここで始めて、人間の感情が表れるのです(弦による、広場の冷たい空気と、金管ソロの不気味なファンファーレ、そしてティンパニが刻む権力の悪辣さ、それらの音楽素材との対比が際立ちます)。その「生身の人間」の存在を、このフルート・アンサンブルに聴きました。

 第2楽章は、やはり最初のテンポ設定が、演奏前からとても気になっていました。ここで誤ると崩壊の危機が高まります。決して猛烈に速くは無いですが(さすがにムラビンスキーという訳にはいかない)、妥協した、ゆっくりしたテンポという訳ではありません。一瞬、アマチュアにしては、ちょっと冒険では?と感じたのも確かです。
 しかし、このテンポで行けるか?という第1印象も徐々に失せ、(確かに低弦辺りは細かいパッセージがつらかったでしょうが)オケの力量に対する心配は消滅、私もいつのまにか、ショスタコーヴィチの音楽そのものの魅力に完全に打ち負かされてしまいました。その経過が、上記の興奮の様子、というわけです。
 それにしても、
金管群には脱帽です。第1楽章にも見られる弱奏の緊張感だらけのソロも、テュッティにおける大爆発も、ホルンを除いてアシストなしで吹き切ったというのは、私のような地方出身の者にとっては、アマチュアの力量をはるかに超えるレベルだとしか言いようもありません。

 あと、追加して面白く感じた点として、「虐殺シーン」の最後で、打楽器群の繰り返される連打がワンランク音量を上げていたようです。
 何故だろう、と気になって後日楽譜で確認したところ、テュッティの旋律が終わって打楽器だけとなり、続く「死体の山」を導く準備として、弦が弱奏のトリルを始めます。その部分で打楽器に、
piu FF の指示があり、ここで階段的に音量を上げたのでは・・・・と思うのですが、なかなかそれを感じさせた演奏というのは、CDでも見当たらないような気もします(そこまで気にして聴いていなかっただけか?)。
 ひょっとしたら、打楽器群のソロの終止に向けてクレシェンドを開始した時に偶然そのように聞こえてしまっただけなのかもしれませんが、楽譜の指示に忠実に従っての意識的な音量調整であるなら、かなり細かなところまで音楽作りをしているのだなぁ、と感心すると共に、まだ自分の楽譜のヨミは浅いなァ、と反省もします。

 あえて、一点残念な点を挙げさせていただくなら・・・・・。
 やはり、第1、第2のクライマックスが収束してゆく過程で、金管が吹き終わった後の弦のみで重厚に繰り返される主題が弱かった。管打の作り上げるボルテージの高さが尋常でないのは十分理解するのだが、せっかくの「ワルシャワ労働歌」での頑張りを思えば、もっとそういった部分もやれたのでは・・・・と感じてしまう。(第3楽章のクライマックスの後も同じ。特に、
指揮者が左右に幅広くうねりながら指揮して、弦5部のユニゾンに対しもっともっと、という感情を露わにしながらも、容赦無いトランペット、ティンパニの3連符の同音連打にほとんど消されていたのが残念。)

 第3楽章の殊勲賞は、やはり延々と葬送のテーマを切々と歌い上げたビオラでしょう。
 この主題、決してロマン的に歌いこみすぎても変でしょうし、かといってあまり無味乾燥なのもどうか。冒頭はどちらかと言えば
茫然自失地獄絵(ついさっき、ワイドショーで、芳賀研二の疑惑のアンナ肖像画についてやってたばかりだ)を見た直後であり、感情の表現に困惑しているかのような真っ白な状態なのではないか、と思います。それが、徐々に和声も2声、3声と加わりながら、悲壮な追悼の感情が露わになっていきます。その経過が心に染みてきました。当然、この高音域のビオラのパッセージ、難しくかつ、かなり重要な役割ですが、その任務を完璧にこなしていました。
 個人的な今までの感想では、第2楽章の虐殺が終わった直後の、王宮広場の死体の山の描写
(弦が全てトリル付きで歌われる部分)が、その虐殺の結末を雄弁に語るのですか゜、続く第3楽章は、主題の単純さ、面白みの無さも有って、緊張感が持続できず、早く次の部分へ、と急かしたくなるのがホンネでした。しかし、今回の演奏では、その虐殺の結末を第3楽章も引き続き我々に訴えかけてくるものを感じたのです。それが、ビオラの長大なパートソロだったのです。

 フィナーレは、前述の「ワルシャワ労働歌」に最も感銘を受けたのですが、当然、冒頭からグイグイ引っ張っていく、全員一丸となった鬼気迫る演奏、聴いてる方も、とてもエキサイトしてきますね。
 さて、この楽章では、やはり
「警鐘」について書かねば。
 とにかく、オケ全体が怒涛の如く音を撒き散らすコーダで「鐘」を聞こえさせるというのは並大抵のことではないですよね。やはり、「のど自慢」のチューブラーベルでは困難だろうな。ということで、
調律された鉄板のような楽器で、最後の「警鐘」は鳴り響きました(「ダスビダーニャ」さんの「バビヤール」でも使用してましたね。)。ほとんど目が釘付けになってしまったのですが、一打するごとに、ブランブラン、前後に激しく揺れて、打点をうまく見つけるのが大変なようです。既に出番の済んだ、チェレスタ奏者が、叩き終わった鐘の揺れを直す役をしていたのも必要な役回りなのだなぁ、と思いました。
 さて、音のほうは、鐘というイメージより、やっぱり
「鋼(はがね)」という感じ。硬質な金属音。
 オーケストラにおける楽音としての「鐘」の音、といった時に大半が、教会の鐘、のイメージになるのでしょうが、やはり、この「警鐘」に、教会の鐘はイメージできないでしょう。
 私の妙な空想によれば、江戸時代
「火事だ、火事だぁーい!」という叫び声と共に鳴っている、「半鐘」のカンカンいう音、そんなイメージ。数多くの江戸庶民が、いや、ロシアの労働者たちが、危機的状況の中、その危機を叫びながら、その危機からの脱出を目掛けて、ある一点に向かって突進して行く、そんな光景が、リアルに思い起こされるような「警鐘」だったと思います。

 これから、いつの時代でも、ショスタコーヴィチは我々に「警鐘」を鳴らし続けるのだろう。権力が存在し、必ずしもその権力が、大多数の民衆のコントロールの下に働いていない現実がある限り・・・・・。

 さて、最後に、ここでやはり、ティンパニについてコメントしたい。
 全楽章通じて、ほとんど協奏曲のように目立つソロ有り、曲の冒頭に提示される弱奏による重要な主題から、オケの迫力を支えるダイナミクスの要としての役割まで、見事に演じきった、という感じ。何度も、目が、耳が、そちらに向いてしまうのですが、1番私の気にいった箇所は第4楽章のクライマックス。
マーラーの6番の悲劇のモチーフを思わせるフレーズの重々しさが最も私に共鳴したようです。旋律線の合いの手で、金管と共に1小節のロール・クレシェンドするところも素晴らしく気持ち良く決まっていました。
 演奏会の最後は、花束嬢が舞台最上段まで上がってゆくという、あぁ何とも贅沢な・・・・という感じですが、実行委員長として、これだけの演奏会をまとめあげ(事務面としても大変だったことでしょう)、かつ、演奏面としても完璧な仕上がりを見せていましたのですから、その栄誉は当然と言えましょう。
 聴衆の一人として、とても感謝してもしきれないほどです。一発企画もののオケということもあってオケ全体が、完全燃焼、だったのでしょう。また、いつか、このオケの演奏を聴いてみたいと思います(無いものねだりでしょうか・・・・・)。

 とても、満足の上、帰路に着くことができました。
 ただ、この演奏会の前に、オノボリさん的ですが、お台場、フジテレビへ行き、
「笑う犬の生活」グッズを購入しました。「一人忠臣蔵」が大好きなので・・・・・・。それは、どうでもいいのですが、とあるバンドが、もう、耳もつんざくばかりの大音響でライブしており、自分の声も聞こえないほど。不愉快でした。私も、当然、ただうるさければ、その迫力に押されて感動するというわけではないわけです
 この「1905」も正直、大音響なのですが、なぜか不愉快にはなりません。やはり、電気的に増幅された、見せ掛けだけの「デカイ音」と違い、生の音なのが、耳に優しいと言うことなのでしょうか。科学的に分析して、ホーン数を調べたとして、どちらがハイレベルかは分かりませんが、それにしても、この格段の違いは人間の生理的なものに由来するのでしょうか?

 それにしても、ショスタコーヴィチ、実演に限ります。古典の音楽がもともと、貴族達のレセプションのBGMで、聞き流すことが十分可能であったことに比べ、何という変化だろう。演奏されている現場に居合わせた以上は、ショスタコーヴィチの主張に耳を閉じることはできないのです。嫌がおうでも、ショスタコ・ワールドに無理やり引き込まれてしまいます。ベートーヴェン以上に、横柄な音楽であることは確かです。昨今流行の「癒し」と対極にある音楽・・・・決して、現在、万人受けするものでもなさそうだが、私は聴き続けたい。また、機会があれば、ショスタコーヴィチの実演にどんどん巡り合いたいものだ。

 ふと、そんなことも感じつつ、東京を後にしました。

 なお、つぎは、(全く正反対な世界だな、)ラハティのシベリウスのための上京します。これまた、楽しみな演奏会、今度は寡黙な感想文にしたいなぁ。

突然の台風で家に閉じこもったのが幸いして完成す(1999.9.15 Ms)

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