今月のトピックス

 

August ’02 

 8/19(月)第14回アフィニス夏の音楽祭 より

 今年もまた、昨年に続き、長野県は飯田市まで、山岳ドライブを楽しみつつ、涼を求めて表記の音楽祭を楽しむ。昨年同様、コンサートではなく練習風景の参観。昨年はショスタコの室内交響曲ハ短調が目当てであったが、今年は、ブリテンシンプル・シンフォニー、そしてブラームス弦楽五重奏曲第2番、さらには、弦楽マスターコースにて、ブラームスヴァイオリン・ソナタ第1番

 午前10時過ぎに現地入りして、マスターコースの見学。いろいろあるうちで私が選んだのは、ミュンヘン・フィルの第1コンサートマスター、ヴェルナー・グロープホルツ氏を講師に、生徒は、読売日響、そして大阪フィルの団員の方。時間の関係でほとんど第1楽章だけであったが、とても面白い。ドイツ語でのやりとりでたまにピアニストの方が通訳してくれた程度で詳細までどんな指導があったかはわからないが、旋律の歌い方、微妙な間の取り方やら、音色の変化など、次々と細かな指摘を与えて曲を仕上げてゆく。作り上げる音楽の楽しみ、充分味わえた。
 課題曲のブラームスのソナタ、いかにもブラームスらしい、ニールセンの競技的3拍子の元祖とも言える、第1楽章はリズムの変化も面白く(一部、生徒の方も何度やってもピアノ伴奏にうまく乗れないところもあったようで。ヘミオラ尽くしはやっぱやりづらいですね。)、またハーモニーそして旋律の美しさなども堪能できる逸品。展開部などは、動きもせわしなく技術的にも難しそうで、独奏ソナタなりに盛り上げてくれる。一度、しっかりとコンサートで聞いてみたい1曲である。ブラームスの交響曲を思わせるパッセージなどもところどころ聴かれて、ソナタを知らなくても(私のように)楽しむことができるでしょう。
 しかし、プロ中のプロのバイオリンをほとんど1mくらいの距離で目の当たりに聞けるというのはそうそうない。去年は弦楽オケの練習を大ホールで聴いただけだけだったのでさほど感じなかったが、今回は人形劇場という小さな人形劇用のホールの客席(席は収納されていた)での練習を参観したこともあり、プロの音に感激することしきり。

約1週間の飯田での練習の後、明日が最後の総まとめの東京でのコンサート。成功をお祈りします。 (2002.8.21 Ms)

 午後は、ブリテンとブラームス両方重なっているため、まず最初にブリテンの練習を見学。指揮者なしでコンサートマスターである、シュテファン・ヴァーグナー氏(ハンブルク北ドイツ放送交響楽団第1コンサートマスター)の指導のもと第4楽章「浮かれたフィナーレ」から。とにかく弦の響きの厚さに感激。そして、冒頭、休符を挟んでの主題提示において、微妙なテンポの変化、タイミングの取り方なども何回も合わせながら、かならずしもインテンポではないフレーズがピタリと合って来るのだ。その過程が面白い。各パートのトップにドイツから来た講師陣が陣取ってさかんに意見交換しつつ曲を仕上げてゆく。指揮者なしで、聞きあうだけでこれだけのまとまりを持った音楽が出来上がるのだ。これぞ、アンサンブルの冥利。
 ただ、これは、アマチュアでも出きるはずだ。彼らたちのようにほんの数分では無理だが、半年以上も練習すれば・・・・。この一体感、方向性の一致こそ、安定し、また生き生きとした音楽を作る土台ではなかろうか。
 常時コンマスが主導的立場で演奏は進むが、コーダの手前、ピチカートの和音打撃のあと、ゲネラルパウゼの後に、チェロとバスのみによって始まるところなどは、低弦だけの間でアンサンブルの連絡が取り合えていて、これも何度かの練習でピタリと合ってくる。
 第3楽章「感傷的なサラバンド」の、切々と訴えかける雰囲気はとても良い。ホールに弦の音が満ち溢れ、ホールの中に収まりきらないほどにその感情が発散されてゆくようで、これも感激しきり。ちゃんとしたコンサートでも聴きたいと思わずにはいられない。

 限られた時間ということで、後ろ髪を引かれつつ、ブリテンとはお別れ、ブラームスの五重奏ものぞく。こちらは狭い講習室での練習。第1Vn,第1Va,Vc.3人の講師に挟まれる形で二人の日本の若手オケ奏者が奮戦していた。それにしても、トップのヴァルター・フォルヒャート氏(フランクフルト音大教授)のVnの音の艶やかで、鳴りまくった様はやはり至近距離(2,3mくらい)で目の当たりにすると、普段聞いているVn.の音がVn.のそれとは認識できなくなりそうなほどの印象。五重奏の第1楽章最後のクライマックスからざっと最後まで聴く事が出来たが、いきなり5人の一体となった熱い演奏(スコアもかなり込み入っているようで、また分厚い音がしている)が扉を開けるや飛び込んできて圧倒された。
 第2楽章は、ブラームスの交響曲第3番の第3楽章のあの有名な旋律によく似た悲しみに満ちた旋律。そう言えば、この作品、Op.111で、ブラームス自身は、創造力の限界を感じ、これをもって絶筆するつもりで書いたとのこと、それを思うと、彼の過去の作品のパロディ風な雰囲気すら感じられてくる。第4楽章はピアノ協奏曲第2番の第2楽章のモチーフだし、コーダの辺りはハンガリー舞曲風なノリで畳み掛けてくる。ブラームス版、「英雄の生涯」ってところか。英雄の業績を陳列している。・・・・確かにブラームス、何と言っても質量ともに室内楽の大家なわけだし、室内楽の王道たる弦楽四重奏よりは、規模の大きなものを好んでいたし、この五重奏が彼の総決算という意図も感じられないわけでもない。
 やはり、五重奏だけに迫力も増し、また音の厚さが感じられる。そして、ブラームス特有のリズムの多彩な変化(一拍の2分割、3分割が頻繁に交錯する様はスリリングだ)、などアンサンブルとしても困難な部分がありそうだ(第3楽章の冒頭などかなり合わせが難しそう)。強力なトップの指導の元にこれをまとめあげている様が感じ取れて共感。

 是非とも皆様にもオススメしたい音楽祭である。長野県の音楽祭と言えばまずは、松本のサイトウキネンだろうが(偶然、地元TVのニュースでも練習開始を伝えており、小澤氏のインタビューそしてブリテンの歌劇「ピーターグライムス」の冒頭が流れていたっけ)、このような地道なものももっと評価されていいと思う。一般の聴衆としては、本物の音が、マスターコースや室内楽の練習を通じて堪能できるのも良いし、また、オーケストラの一員としては、アンサンブルかくあるべし、といったお手本が、その過程を通じて体感できるのも有意義だ。北海道のPMFほど大規模ではないものの、教育音楽祭、というスタイル、とてもいいと思う。夏の避暑がてら飯田まで出かけるのも強くオススメしたいところ。

 今回もまた、車での小旅行。設楽町の名倉の「道の駅」で、格安の野菜なども手に入れつつ(今回、甘くてとてもおいしいトウモロコシが売り切れなのは残念)、さらに長野県に入って国道153号沿い、平谷村の「道の駅」にて、濃厚なとろろ御飯もおいしい。そして、昼神温泉にてゆったりと湯につかり、そして翌日一日(午後3時まで)、音楽三昧という按配(できることならもう一枠分滞在したかったところ)。東海地区の方なら最近流行りの「安近短」だし、関東関西からにしても、中央道を降りてすぐの好位置だし、夏のリゾートによろしいのではないかと。リピーターとして来年以降も可能な限り是非、と思っている。

注目の知事選のポスターも記念撮影、台風の影響も無く、おやきも買って、2002年信州の夏をお手軽に楽しんできた次第(2002.8.24 Ms)

 

 8/11(日)フィルハーモニア・スプレンディダ 第7回定期演奏会

曲目

チャイコフスキー   イタリア奇想曲 作品45
アルチュニアン    トランペット協奏曲

ニールセン      交響曲第4番 「不滅」 作品29

指揮 : 川合良一
トランペット独奏 : 坂井俊博

その他、開演前ロビーコンサートにて

ニールセン      弦楽四重奏曲第2番へ短調より
              第2,4楽章

(2002.8.21 Ms)

 ニールセンにつられて、またもや見知らぬアマオケのコンサートに。まだまだ若い団体のようだが(1997年設立)、意欲的なプログラムを組み、丁寧に誠実に演奏に取り組んでいるように感じられ共感をもつ。少なくとも私が知る限りの東海地区の団体の平均よりは上をいくレベルであるように感じた。
 特に、共感をもった点は、イタリア奇想曲での3拍子の民謡テーマの歌い方の各パート間の統一。旋律のフレーズの最後、及び、その最後の三つの音が合いの手として何度も出てくるのだが、この部分の最初の8分音符でかなり目立ったクレシェンドをしていて印象的だったのだが、それが最初のオーボエから、コルネットから、合いの手のフルートから、すべて統一されていた。フルートは勢い余って、クレシェンドの先の音の音程がうわづってしまうのだが、それは全く気にならない。音程よりは、音楽の表現へのこだわり、といったものの方が大事ではないか。意外と、プロでもここの部分、こんな強調しているものも聴いたことがないが、楽譜から読み取れる事を誠実に(何となくCDとか聴いて、聞き覚え的に適当に処理することこそ控えたい)表現しようとする一つの象徴的な部分として私の記憶に残っている。
 冒頭のファンファーレも、張り切り過ぎたものでなく、格調高さすら感じたし、木管などが加わる部分も、金管主導(木管が聞こえない)ではなく、絶妙にブレンドされ各素材の味が微妙に聴き取れる、といったもので丁寧な曲作りを感じた。
 弦の悲痛かつ情熱的な旋律も、見事コントロールが行き届いていたし、また、中間の勇ましい4/4拍子の部分も、チェロを先頭に躍動感あるリズムを主張、あの伴奏を聞いただけでもわくわくしてくる。Vn.の旋律も、ホルンの対旋律もピーンと張り詰めた凛々しいもの。続くコルネットも細かな動きがばっちり決まって(よく、からまってしまう部分)聴いていて気持ちの良いもの。
 後半はやや、テンポの変わり目での若干のズレもなかったわけではない。また、最後のテンポアップも個人的にはもう少し欲しいと感じたところ・・・・そう言えば余談ながら、この曲、松尾葉子先生の指揮で演奏したことがあるが、弟子の方にトレーニングしていただいたとき、「先生はこの最後の部分は2小節を一つで振ります」などと言われて衝撃を受けた覚えがある。そんな振り方、というのが新鮮かつ(そのスピード感を思えば)興奮。現実にはそうふらなかったけれど。でも、それくらいの勢いこそイタリア奇想曲の幕切れに相応しいようにも思う。
 それはともかく、最後の3/4拍子の民謡テーマの再現を導く低音の下降スケール、で今まで気にしたことはなかったが、ホルンが一瞬だけそのスケールに加わり、そこだけがもの凄い音量で飛び込んできたのには驚き・・・こういった(プロでは聴けない)ややアンバランスな部分もアマチュアならではか。主張したい、という気持ちが伝わるのは決して悪くはない。面白い。
 このイタリア奇想曲、比較的身近にアマオケで聴かれる曲だからこそ、今までの体験と比較できるが、かなりいい線いった楽しませてくれた演奏であったことは確かだ。

 続く、協奏曲。1950年の作品ながらも、ボロディン的な、アジア・ロシア的作風で充分聴きやすいもの。アルメニア出身ということでハチャトリヤンとの親近性もあり。トランペット・ソロもかなり調子の良い雄叫びを聴かせていた。ただ、アレグロの主要主題、テンポ設定が早過ぎたような気もしないではない。オケによる主題提示で主題がイマイチ聞き取りにくかった・・・縦の線がピタリと来なかったと思われる。私もそんな知っている曲ではないが、一度TVで見た程度ながらも、主題は確か知っていたはずだが、アレグロになってもピンと来なかったので不思議には思ったのだが、主題提示で乱れていたのは、鑑賞上の不都合は確かにあるものの、果敢に攻めた結果であれば、まぁ良しとしましょうか。
 中間部のゆったりした辺りで切々とアジア的なムードが漂って来るが、その部分の木管のソロ、クラを中心に、なかなかいい感じでした。
 ただ、曲の最後に結構長いカデンツァがあり、どうもソロの調子が良くなかったと思われ、大変に残念。そのカデンツァの後に重々しいコーダがついているだけなので、その不調が巻き返せぬまま曲が終わる仕掛けで、ちょっと聞いている方としては辛いものもあった。
 でもトータルとして考えれば、攻めの姿勢、歌心など、共感できる部分の多い演奏ではあった。

 さて、ニールセンの難曲「不滅」である。かなり善戦していたと思う。ただ、オケとしての能力の限界はあったかもしれない。最後の第4部の例の「競技的3拍子」も決して妥協せず1小節一拍のテンポ感で進めてはいたものの、やはり乱れは気になる。特に3回目のティンパニ・デュオの部分に高音域で装飾つきの音がぶつかってくるところは、完全にテンポ感リズム感が崩れてかなり危うい感じとなった。
 全体としては手堅くまとめてはいたが、ニールセンの奔放な楽想を、とにかくまずは型にはめてまとめよう、という段階の演奏とも感じられ、もう1ランク上を目指して、もっと、思いきりの良い表現など聴き取れたらさらに良かっただろうと思う。
 やはり、プログラム前半の健闘ぶりからしても、ニールセンの楽曲自体の難易度をまざまざと思い知らされたような気がする。アマチュアで取り上げるにはなかなかの困難が伴うということです。
 ティンパニは舞台後方最上段に、ステレオ効果を狙って、左右両隅に配置。ただ、なかなかアンサンブルはやりにくかったのではなかろうか。一番奏者は女性でなかなかに健闘していたが、全体にもっと迫り来る力が感じ取れたらなお良かったと思った。
 このティンパニの配置の件、個人的には、隣り合わせでアンサンブル重視の方が手堅いのではと思うのだが(ティンパニ奏者としての実感)、実際のところどうなのか。ニールセン自身何らかの指示があったように記憶しているのだけれど。スコアにも何らかのコメントはあるがまだ判読していないし。

 最後になってしまったが、コンサート開演前にロビーコンサートあり、ニールセンの弦楽四重奏曲も演奏され、思わぬ出来事に感謝、感激。会場の表示には「第1番」とあったが実際には「第2番」でした。ただ、第1番は後年改訂され作品13となり、第2番が作品5となっているので混乱は確かにある。今回の「第2番」はへ短調のもの。
 第2楽章、これはとても美しい旋律。ドヴォルザークの緩徐楽章を思い起こさせる素直素朴な旋律、5音音階風な歌謡性に富んだもので、とても親しみやすい。「家路」と同類なノスタルジーを感じる。フィナーレはやや通俗的な雰囲気はあるものの、「熱情」の調性、チャイコフスキーの4番、ブラームスの3番、ピアノ五重奏曲などと同じく激しさを感じさせるもの。ただ、ニールセンにおいては、激情に身を委ねていきおいにまかせて・・・・というほどのテンションの高さはなく冷静さも感じられる。アンチ・ロマンティスト、新古典主義的な下地は確かにありそうだ。
 あえて、親しまれていないまだまだ無名な作品を、メインプログラムにあわせて、ロビーコンサートで取り上げていただいた当団には心より感謝したい。そして、また機会あれば、ニールセンの他の作品なども取り上げていただければありがたいものです。

(2002.9.7 Ms)


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